確執はもう過去の事
夜明け前の幹線道路を一人で歩く、髪の毛はぼさぼさ、目はうつろで視線が定まらない。
理沙は同じ道をリーダー男の家に向かう時の、ほんの半日前のことを振り返った。
とにかく会いたいという一心で歩き、胸の鼓動を抑えながら彼の家の前に立つ。
そして彼が出てくるとすぐに抱きつく。
なんとも浅はかだったと思いつつも、とにかく衝動に動かされるままにそのあとは動物的欲求に支配される。
そして衝撃的な事実を知る。
そのあとのことはよく覚えていなかった。
ただ生き続けたいという意志でサイボーグの体を得て、果たしていったい何がしたかったのか。
足取りは非常に重く、病院までの道のりが永遠に続くように思える。
* * * *
調査委員会に出頭せよとの事業団総務からの指示。
詳細な説明はなく、身に覚えがない理沙は総務のオフィスに出頭すると、総務担当者からの説明内容に非常な違和感を覚えた。
政情不安定で国家としての末期状態を迎えていた中国の情報はいろいろと聞いているものの、
土星探査船の推進システムについて調査官から問われて、さらにわけがわからなくなった。
「いったい私が何を?」
非常に遠回しではあるが、調査官は理沙のことを疑っていることがわかった。
政情不安定な中国から多数の技術者が流出して米国に流れ、一部、事業団に受け入れられた者もいたが、
彼らの口から、土星探査船の核融合推進システムが、
実は中核技術は「エンデヴァー」の技術を流用していると聞くと、事業団上層部は大騒ぎとなった。
「私が情報漏洩したと疑いますか?」
「とりあえず、関係者全てにヒアリングをしている。もし正直に話してくれるのであれば、その後の処分は考慮する」
しかし、理沙には全く身に覚えがないので、終始情報漏洩関与については否定した。
調査官からの尋問は続き、並行して関係者の行動記録が詳細に調べ上げられ、身辺調査も行われた。
理沙については関与がない事が確認され、調査官からの尋問も終わったが、
翌週に理沙はリーダー男に疑惑の目が向けられて、協力会社含めた大事になっていることを同僚からの噂として聞いた。
所属部署がお互いに離れた理沙とリーダー男。
接点はその後何年もなかったが、突然にリーダー男から連絡があった。
* * * *
「久しぶりね」
事業団オフィスのカフェテリアで2人は会った。
同じ建物の中で働いているのに、今日まで全く会わなかったのが不思議に思える。
「元気そうだね。仕事の方は?」
ええ、と理沙は答え、2人は屋外エリアの風通しのよい場所でテーブルについた。
「あなたから声がかかるなんて、何があったのかな?」
理沙にはわかっていたのだが、あえてわざと質問してみた。
リーダー男は周囲の視線を気にしていて明らかに怪しい。
「尋問されたそうだね」
ええ、と理沙は目を伏せていた
「あなたもでしょ?」
理沙の口調が徐々にきつくなってゆく。
「身に覚えがないのに、なぜか私の事を追及して解放してくれない」
あの時と同じだった。
心から尊敬していて、いつでも頼れる人物と思っていたリーダーには、実はとんでもない裏の部分があり、
衝撃の告白をされて、理沙の頭の中で何かがぷっつりと切れた。
彼に平手打ちを食らわせて家を出る。
「今の私には何もできない。本当に関与していないのであれば、正々堂々と戦ったら?」
そして理沙はリーダー男の目をしっかりと見つめた。
2人は見つめたままでしばらく何も話さなかった。
やがて、理沙の方から立ち上がり、オフィスに戻った。
午前中の仕事の続きをしていたものの、途中で手が止まった。
理沙は頭の後ろに手を組んで、しばらくの間天井を見ながら考えていた。
* * * *
リーダー男自身についての追及はその後も続いた。
協力会社経由で情報が漏れたということが判明し、
その会社がリーダー男の妻の勤務していた会社だということと、
「エンデヴァー」の推進システムの設計が佳境の時期に、お互いの交際が秘密裏に始まっていたということで、
踏み込まれたくない私生活にまで調査のメスが入った。
調査の詳細については理沙の耳に入ることはなかった。
理沙自身、聞きたくない内容ばかりだということもあるが。
しかし、彼に対する疑惑が深まるほど、理沙はかえって違和感を感じていた。
果たしてそれほどの悪事をするような、彼は悪人なのだろうか。
目先の利益に目がくらんだのだろうか?
そんなことを思っていた頃に、調査委員会からの再びの出頭命令がやってきた。
「一時期、チームで一緒に仕事をしていた時期がありましたね」
調査官からリーダー男との私生活での接点について問われるのではないかと、理沙はふと恐ろしくなった。
情報漏洩に絡む利害というよりも、自分の私生活に踏み込まれるのではないかとの別な意味での恐れがあった。
しかし、調査官は、
「あなたの考えを訊きたいです。彼は利益に目がくらんで今回の件に絡んだと思いますか?」
その一言が、理沙には非常に重いものに感じた。
理沙のちょっとした発言で、彼の今後の人生が大きく変わる。
心の中まで突きとおそうとしているような目で、調査官は理沙を見つめる。
「確かに、長い時間彼とは仕事で一緒になりました。正直なところ、公私含めて」
* * * *
夜があけて、空は紫色から徐々にオレンジ色に変わってゆく。
歩き疲れて理沙は街道脇の公園でベンチに座る。
大きく背伸びをして朝のひんやりした空気を吸い込む。
胸が張り裂けそうで、叫びたくなり、何もかもを捨ててしまいたいと思ったりもしたが、不思議と徐々に気持ちが落ち着いてきた。
サイボーグの体になっても、なんとか受け止めてくれて、不完全燃焼になってもとりあえずは彼と一夜を過ごした。
再会するまでの1年半のブランクはしょうがない事だったんだとのあきらめの気持ちが、徐々に理沙の心を解きほぐしていた。
髪の毛を整えて歩き始める。
この先まだまだいい事あるさと思えるようになってきた。
* * * *
結局のところ、関与が疑われた協力会社については、リーダー男の妻とは別な社員が情報漏洩に関与していたことが判明し、
「エンデヴァー」の計画に参加していた全チームメンバーに対する尋問は終わった。
リーダー男についても、情報漏洩に関与していないということが証明されることはなかったが、尋問は終わった。
ただし、当時のプロジェクト上の管理責任については問われ、規定に従った処分が実施されることになった。
理沙は、再び事業団オフィスのカフェテリアでリーダー男と再会した。
今回は偶然であったが。
周囲の視線を気にすることもなく、2人は前回と同じく、屋外エリアの風通しのよい場所でテーブルについた。
「理沙、本当に助かったよ」
「何が?」
2人は目を合わせることもなく、しばらく無言のままでコーヒーを口につけていた。
「当然のことをしただけ。もう過去の事よ」
コーヒーを飲み終えると、理沙は立ち上がりオフィスに戻っていった。