ミスター核融合

毎日のように届く中国の内乱のニュース。
対岸の火事と傍観しているわけにもいかなかった。
中核部品は内製化しているものの、開発事業団参加の10の国家、その傘下の多国籍企業については、
資材の供給で影響がないわけではなかった。
中国は人口が各々数千万から数億のいくつかの地方政府に分断していた。
裕福な沿岸部と、政情不安定な内陸部、さらには北京を中心とした中央政府。
各々が利害と政治的主導権を狙って戦っていた。
国家全体、国民ひとりひとりを高度なシステムによって集中管理し、世界の工場と言われるほどに世界経済を支えた巨大国家。
その巨大さはかえって弱点となってしまった。
巨大な人口を支えるためのエネルギーは国民の急速な高齢化により若年から高齢者へと吸収され、
労働人口の減少、21世紀になってから急速に構築された社会インフラの老朽化、内陸部にくすぶる根強い民族問題。
こうした問題が一気に噴出し、中央政府のタイミングの悪い政権交代もあり、地方政府の不満は大爆発した。
巨大な星ほど寿命が短いという宇宙の法則の通り、巨大国家は内乱により消滅しようとしていた。
しかし、星の消滅と同じく、巨大国家の消滅により貴重な副産物が周辺国家に離散しはじめていた。


*     *     *     *

事業団の中で木星の開発を主に担当する、木星資源開発局が立ち上がろうとしていた。
理沙は半年前に、「エンデヴァー」の推進システム技術の漏洩問題で、調査委員会からの尋問等で振り回されていたが、
その件もいったんは片付き、木星資源開発局の立ち上げに注力することになった。
事業化計画がおおよそできあがり、スケジュールの精査をはじめたところで、理沙はある日事業団長官から呼ばれた。
「最近の調子は?例の件以降は」
しかし、理沙の日々の状況は長官はすべて知っているはず。話の切り出し方からして何かあると理沙は思った。
「ええ、ようやく落ち着いて」
そして長官の正面の席に座り、「で、何のお話でしょう?」
中国の国家崩壊の事だと前置きをして、長官は中国からの技術者流出について話した。
「事業団としても人の囲い込みに動いている。エサを撒かなくても魚が釣れるほどの状態だ」
そして理沙の前に何人かの技術者のプロフィール情報を並べた。
「元宇宙開発の部門の技術者、マネージャー、核融合エンジニア、等々」
各々が命からがら中国国外に亡命した者だった。
現場の最前線で働いていたエンジニアが大量流出している事は聞いていたが、
自分の目の前で技術者のバーゲンセールされているのを見るに、中国国家の崩壊はもう時間の問題と理沙は思った。
「それともう一つ」
長官は少し声のトーンを落として言った。
「体制の強化を考えているのだが、まだオフレコ状態で詳細はまだ話せない。とりあえず今日は概要だけだが」
理沙の目の前で長官は別の資料を開いた。


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「ダメだった」
疲れ果てているヴェラ。
テーブルの上で突っ伏してしばらく動けない。
コーヒーを飲みながら彼女の事を眺める理沙。
議会への働きかけが難航して毎日多忙であることは聞いていたが、
たぶん、ほとんど寝る事もなく議会向けの資料作成ばかりに追われているのだろうと思った。
ヴェラはようやく起き上がり、生気のない目つきで、
「しかし、何ゆえにここまで難航するんだろうかと。自分の能力の無さを痛感する」
「あなたのせいじゃないよ」
理沙はその言葉を口にしたが、ちょっと不適切かとも思った。
「いや、時期の問題かもしれないし、必ず必要になる技術だと思う」
「あなたはいいよね。注目プロジェクトだから」
飲みかけたコーヒーが口の中でむせそうになる。
睨みつけるような目つきのヴェラ。
しかし、すぐにいつもの表情に戻り、
「ごめん、気持ちがちょっとすさんでいたから、ああ、でも何もかも忘れて休みたい」
再びヴェラはテーブルの上に突っ伏してしまった。
理沙は一人コーヒーを飲みながら、彼女が目覚めるのを待っていた。


*     *     *     *

上司から、会わせたい人がいると言われて理沙が会議室に行くと、上司と一緒に一人の男がいた。
先日に長官から見せられたプロフィールで見たことのある男だった。
中国籍の核融合エンジニア。
彼は簡単に職歴を述べたが、すでに理沙はプロフィールを見ていたのでほぼ聞き流していた。
しかし、「エンデヴァー」の技術情報漏洩の件で、との彼の言葉に理沙ははっと我に返った。
「いや、直接かかわったわけではなくて、別な部署の人間から推進システムの設計書を見せてもらいました」
彼は、「エンデヴァー」の設計書がなくても、自力で推進システムを作り上げる技術はあったと述べた。
また、設計書を見たことで、自分たちと同じように設計に苦労した人たちが国際共同チームにもいた事に感銘を受けたとも。
その話を聞きながら理沙は、リーダー男とフランスの核融合技術センターの技術者との喧々諤々の日々を思い出した。
自分たちの技術的方向性が正しいことを確認し、苦労の結果土星探査船は完成し、
出発の日には管制室で皆と涙を流して喜んだことを彼は淡々と話した。
政情不安定ゆえに国外に脱出したが、人類のために自分の技術を生かしたいとの言葉に、
理沙は「エンデヴァー」乗組員のひとりとして、また現場の人間として心を動かされた。
彼とはその後一緒にカフェテリアで話をしたが、
理沙の「エンデヴァー」での木星・土星探査の話に惹かれ、そのまま夕食もともにすることになった。
理沙が思っていた事は誤解だった。
「エンデヴァー」の設計情報に頼らなくとも彼らは自力で核融合推進システムを作り上げる技術があり、
争っている政治家、上層の人間と違い、技術者同志は互いに心つながるものがあった。
彼の事を単なる事業団の持ち駒としてではなく、一人の技術者として大切に扱っていきたいと理沙は思った。


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宇宙技術に関わる企業連合、STU(Space Technorogies United)の設立が正式に決まり公表されることになった。
事業団に参画している、特に中核技術を担う民間、国営企業が集まった企業連合の中核会社がSTUである。
巨大化、独占企業としての問題が懸念されたが、莫大な資金力を後ろ盾に、事業団の仕事を一手に引き受けるということで、
中国に対抗するものとして1年前から準備が進められていた。
先日会った技術者に、理沙はSTUの話を持ちかけてみた。
事業団は管理会社のようなものなので、現場上がりの彼に合うだろうかと気にしていたので、
上司と相談しながらSTUの技術部門を勧めてみた。
「紹介頂けて嬉しいです。私の性に合っていると思います」
ふと彼のプロフィールを改めて眺めてみて、家族構成が気になりそれとなく尋ねてみた。
「家族を全員連れて行きたかったのですが、残念ながら妻と2人の娘だけ、両親は連れてゆく事ができませんでした。」
それでも、家族揃っていて幸せだと理沙は思った。
自分は一人で家を飛び出して単身米国に渡り今に至るが、今日この日まで心が休まる時がなかったように思えた。
「今度、私の家に招待しますよ。ホームパーティーしませんか」
彼からのその言葉に、理沙は心の底に暖かいものを感じた。


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しかし、立場上は浮かれているわけにもいかない。
重責を任されていながらプライベートにどんな落とし穴が待っているか。
亡命者ゆえ、厳重なチェックが常に入っていた。
もしかしたら中国のスパイで米国の国家転覆を画策しているのではないかと。
彼のSTUへの入社は事務的に淡々と進み、理沙と初めて会ってから2か月後に彼はSTUの社員になった。
これでいったんは自分の手を離れたと、理沙は再び事業立ち上げに向けた準備に集中した。
ヴェラから呼ばれてカフェテリアで会ったのはその翌週。
彼女は先日と比べてだいぶ顔色がよくなっていた。
開口一番、「もう、諦める事にした」
そうなんだ。。。と理沙は、落ち込んでいる彼女をなんとかなだめる言葉を探っていたのだが、
「でも、研究は続けようかと。必ず必要になる技術だから」
何があってもへこたれない、さすが鋼のメンタルの女だ。そして彼女は、
「幸い、議会で予算は通らなかったけど、技術に興味を持った会社があって、そこで続けようかと」
会社名を尋ねたところ、STU参画企業にも含まれているかなりの大きな会社だった。
国からの予算とは桁が違うほどに少額ではあるものの、研究を継続できるということで彼女は飛びついた。
「事業団を辞めるかどうかは、まだ考え中」


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先日STUの社員になった技術者から、今取り組んでいる仕事のことで近況を伝えるメールが届いた。
同じように中国から亡命した技術者が何名もいて、その中でリーダーの役割を与えられて、さっそく多忙のようだった。
STU社員からの情報では、彼が個人的に集め構築したデータベースには、
核融合炉の設計、構築、運用、事故事例に関する膨大なデータがあり、現場では非常に重宝しているようだった。
中国では[ミスター核融合]と呼ばれていた事もあったらしい。
理沙は、早速彼のメールに返信した。
「お元気ですか[ミスター核融合]、先日はホームパーティーの招待ありがとうございます」
ホームパーティーの約束はしばらくの間は無理そうだった。
理沙はメールを書き終えると早速次の会議に向かった。



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