事業化スケジュール
「そうなんだ。。。。」
荷物をまとめているヴェラ。
理沙は閑散とした彼女の部屋の中を眺め、
「路頭に迷うことになるわけだ」
「そんな、不吉な事を言わないで」
最後のコンテナの蓋を閉めて、すべては終わった。
最後のコンテナを台車に載せる。
「連絡ちょうだいね」
理沙はヴェラのことを抱きしめた。
これで二度と会えないということはないとしても、事業団立ち上げの頃から数えるとかれこれ15年近い縁になる。
理沙の脳裏に彼女との様々な思い出がよぎる。
ヴェラが台車を一人で押してゆくのを見送る。
彼女のオフィスはもぬけの殻状態だった。
* * * *
リーダー男との確執、中国の国家崩壊にともなう多数の技術者の受け入れ、STU(Space Technorogies United)の設立等、
この1年間は理沙にとっても事業団にとっても激動の時期となった。
一時は事業団の存在が危ぶまれることもあったが、40年近く続いた東西の新冷戦状態が終わり、
依然として混乱状態ではあるものの、軍事的緊張状態は中休みとなった。
軍事費に回された多額の金が事業団に投入され、木星の資源開発は正式案件として議会承認を得る事となった。
軍出身の理沙は、非常時となれば軍に引き戻される契約となっていたが、その心配もなくなり、
事業団の中核メンバーとして木星の開発案件に注力することができるようになった。
まずは、単なる構想どまりだった木星開発の、具体的な事業化スケジュール策定に着手した。
理沙は会議メンバーを前にして、ロードマップを示した。
実施時期 | 達成目標 |
2063~2068年 | 木星への大量輸送手段の確立、作業用プラットフォームの建設 |
2069~2073年 | 核融合燃料生産プラントの建設、パイロット生産の開始 |
2074~2078年 | 核融合燃料大量生産体制の確立、物流体制の拡充 |
「木星大気のヘリウム3総量は、「エンデヴァー」の調査で確定した量がわかってきました」
木星上層大気をかすめ飛んで、大気のサンプルを採取する原子力ラムジェット機の映像が映し出された。
理沙が参画した「エンデヴァー」最初の航海では達成できなかった、木星上層大気の組成調査とサンプル採取が完了し、
本格生産用の原子力ラムジェット機の設計も完了していた。
「ただ、これだけ大量の機体を製造する手段は、今のところは」
ひとつひとつのラムジェット機が大気中から採取できる水素/ヘリウム3の量は、
標準型の発電所用核融合炉を1か月稼働させるのに十分な分量なのだが、
今後の太陽系内での核融合燃料の需要の伸びを考慮すると、生産量の拡充と生産コスト低減が要求されるはずである。
「まだ、見通しが立っていないということか?」
そして、長官からの厳しい指摘が続く。
長官からの指摘は予想していたことではあったが、理沙はまだ見通しが立っていないことには触れず、
「生産型ラムジェット機のプロトタイプのテストを木星で確実に行い、本格生産用の機体製造にフィードバックします」
長官は理沙の説明にまだ不満があるようだったが、説明を進めた。
作業用プラットフォームの建設に向けた進捗状況を示し、
概要設計をもとに作成した立体ディスプレイ映像を披露し、各ブロックの説明を行った。
この映像作成のために連日2人のスタッフが徹夜をしていたのだが、彼らの目から見て完璧に思えても、
そんな苦労も技術的背景もない上層部からは、様々な質問が理沙に向けられた。
核融合燃料生産プラントの立体ディスプレイ映像についても同様だった。
どうにか説明会は終えたものの、理沙は疲れ切っていた。
容赦ないほど大量の課題事項と、今後に向けての詳細プランの作成。
自分のオフィスに戻ると、配下のメンバーに向けてのリモート会議。理沙の仕事には切れ目というものがなかった。
* * * *
理沙の仕事が表の世界だとすれば、ヴェラの仕事は裏の世界と言えるだろうか。
議会で承認を得て、本格的に動き出した木星の開発事業に対して、
世の中を裏で支える事になる次世代システムについては、
ヴェラからの強いアピールとロビー活動も空しく、予算は打ち切られ、
事業団オフィスを追われた彼女は、STUの事業部所属となりとりあえずはシステム開発の仕事で生き延びる事はできたが、
閑職に追われた感があった。
「時間もできたことだし」
ヴェラから、翌月に退職することを聞いて、理沙は出張の途中で彼女のもとを尋ねた。
「もういいかなと思って。先にごめんね」
ヴェラは左手の指輪を理沙に見せつけた。
「おめでとう、でも本当のところは」
彼女の肩を軽くたたいて理沙は、
「すごく悔しい」
幸せいっぱいのヴェラ。彼女は満面に笑みを浮かべて、
「それと、できちゃったみたい」
理沙は再び彼女の肩をたたく、そして抱きしめた。
「あたしはいつになったら休めるんだろう」
翌日にはオフィスに戻った理沙。
2人並んで撮った写真をフォトプレートに入れて、デスクの上に置いてしばらく眺めた。
いつになったら休めるんだろう。。。。その言葉が再び脳裏をよぎったが、立ち上げると会議室に向かった。
* * * *
核融合推進システムのロードマップについて、STUの技術者からのレクチャーが始まった。
[ミスター核融合]も参加していた。
理沙も手伝ってSTUに入社したのはつい1年前だったが、もう既に古参の技術者のように溶け込んでいた。
大量かつ安定的な物流を実現するための輸送システムについて、現実的な案が既にいくつか作られていた。
長さ400メートルの貨物船、タンカー、400人乗りの定期船。
「エンデヴァー」で技術的に確立した推進システムを使用し、さらに発展させた、現実的な宇宙船が次々に設計され、
プロトタイプの建造もまもなく始まろうとしていた。
「今は月のヘリウム3に頼っていますが、木星のヘリウム3が利用できるようになれば、輸送革命が起きます」
[ミスター核融合]の推進システムに関する説明は非常に生き生きとしていた。
今日明日すぐにでも実現するのではないかと思えるほど、彼の説明には生命力と説得力にあふれている。
その力の源、混乱した故郷をあとにして、途方にくれているところを見ていた理沙は、
その影の部分を隠して仕事に打ち込んでいる彼の次々に湧き出る知識と活力に敬服していた。
自分の仕事についての夢を熱く語る彼の事を心から尊敬していた。
会議が終わり、理沙は彼と事業団オフィスのカフェテリアでしばし雑談する。
「ご家族と連絡は?」
ひととおりさきほどの会議の余韻が終わると、プライベートの話題に移った。
彼は小さく首を振った。
「メールしたのですが、返事はありません。たぶん忙しいか、私に心配させたくないのか」
深くは触れなかったが、政変で政府要人や企業の重要人物が拘束されたとの噂もあり、
かつて国の根幹を支える事業に参画していた彼は、政府から要注意人物として目をつけられていた。
敵国に亡命ともなれば、残された家族はどうなるか。
想像するのも恐ろしい事だった。
「何か私に力になれる事があれば、言ってください」
「ありがとうございます」
単身アメリカにやってきて、根無し草状態から立ち上がってきた理沙は、彼の気持ちを痛感していた。
* * * *
プロジェクト立ち上げの議会承認はとれたものの、具体化して、予算見積もりができないことには次のステップには進めない。
中核メンバーはシステムの具体的なデザインを行うために増員された。
概要設計の具体化のために、システムの中で数々の検討が行われ、シミュレーションが行われ、設計は具体化に向けて進む。
作業プラットフォーム、原子力ラムジェット機と同様に、高度な技術を求められているのが核融合燃料生産プラントである。
通算3回目のプロジェクト内部でのデザイン検討会。
上層部からの数々の課題事項、STUからの技術的な提案、
何度も設計と検討のサイクルが回される中で、デザインは洗練され、具体化した。
長さ600メートル以上、高さも600メートルある生産プラントは、昔の石油採掘プラントと似ているところもあるが、
石油採掘プラントが半分海中に沈んでいるのに対し、こちらはすべてが空中に浮いているところが異なっている。
中央には球形のタンクが密集していて、水素とヘリウム3を精製する中核システムがあり、
下部には原子力ラムジェット機を係留する接岸エリア、上部には生産物を積み出すための作業船接岸エリアがある。
形が具体化すると、気持ちが前向きになり、現実味が増してゆくものだ。
寝る間を惜しんで働いたメンバーのことを思いつつ、理沙は上層部向けの説明会に向かった。
* * * *
「根本的に新しいことに取り組みたいと思います」
理沙がそのアイディアをメンバーの一人から聞いたのは、昼食の後のちょっとした雑談の場だった。
「夢物語だと笑われるかもしれませんが、もし実現できれば製造業に大革命が起きます」
大量の原子力ラムジェット機を建造するためのプランで中核メンバーが悩んでいた時、
少し頭を冷やして休もうと、理沙はいったん仕事を打ち切って、食事をしようとメンバーを誘い出した。
「ちょっとした頭の体操です。最初に2体のロボットが、自分を複製できる能力を身につけて、子供を作ったとして」
先日、ヴェラから長女が生まれたという連絡があったことを思い出し、理沙は飲みかけのコーヒーを少し吹き出しそうになった。
「人間だと9か月かかりますが、計算上1年として、自分自身と同じものを作り出して、その子供がまた子供を作る」
口の周りのコーヒーをふき取った理沙、彼の話はさらに続く。
「20年後には、総勢100万体のロボットになります。もし製造期間が半年ならば、10年で100万体」
想像の世界は無限の可能性がある、と誰かが言っていたような気がした。
理沙はしばらくの間彼の話に聞き入っていた。次の会議の開始時刻も忘れて。