技術的課題

議会から予算がついて、正式にタスクチームが動き始めて半年。
正式に動き始めたとはいえ、タスクチームはまだ少人数。
これから本格的に要員や資金を投入するための判断時期にさしかかっていた。
今日は事業団本部での上層部向けの定例会議。
理沙は上層部メンバーへの説明を始めた。
「核融合燃料資源開発のための、具体的な進め方と、概算費用がまとまりました」
チャートに示された開発工程のロードマップは、タスクチームが半年でまとめたもので、
「エンデヴァー」の調査で得ることができた木星大気の組成情報をもとに、
実際に設計される生産プラントの仕様が明確になりつつあった。
「木星上層大気から得られるヘリウム3と水素がこの値で示されます。原子力ラムジェット機で大気中から採取して、
24時間稼働して得られる量がこの値。原子力ラムジェット機の年間稼働率を80パーセントとして、年間得られる量がこの値」
理沙から見てテーブルの対面、一番奥に座っている長官の表情はあまりさえない。
「具体的なデータが得られると、実感が湧くものだね」
予想通りにそこで長官が口を挟んできた。
「これでは発電所1箇所も動かせないです。危険を冒してわざわざ大気中から採掘する理由が見つからない」
「はい、その通りです。なので数で勝負することになります」
理沙は次のチャートを見せた。


*     *     *     *

先日STUに入社した、中国から亡命してきた技術者からも、理沙は同じような意見を聞いていた。
彼の家でのホームパーティーの席、さわやかな夜風を感じながら彼と2人で雑談していたところで、プロジェクトの話になった。
「わざわざ遠くまで行かなくても、地球や月で調達できればそんな苦労の必要はない」
そうですねと、理沙は相槌を打ちながらも、
「ただ、地球に拘束されている時代もあとどれだけ続くのか。地球に頼らない世の中がいつかやってくると思っています」
木星大気の組成については頭の中に入っているので、原子力ラムジェット機の稼働率とプラント生産能力については
理沙はいつでもすぐ説明できる準備ができていた。
「私には、木星が太陽系の中心になるとは、到底思えない」
屋外で、おだやかな夜風に吹かれていると、この場からずっと離れたくない気持ちになりそうだった。


*     *     *     *

「少なくとも、1000機単位の原子力ラムジェット機を用意して、年間稼働率80パーセントとするとこの値になります」
続いて原子力ラムジェット機から採取したヘリウム3と水素を精製するプラントの説明になった。
1年前にはまだ絵に描いた餅の状態のプラントだったが、原子力ラムジェット機を係留するプラットフォームが具体的な形になり、
中央部の精製システムとタンク群、上部にあるコンテナ係留ヤードも効率の良い稼働を目的にデザインが洗練されていた。
「稼働当初は数名の管理者を常駐させますが、安定稼働後は完全自動化で稼働させます」
プラントの概要説明を終えると、技術担当部門からの指摘が入った。
「まだ、技術的な課題の部分がぼやけていると思いますが。プラントを稼働させるための必要エネルギー量がどれだけなのか」
採掘された資源が、プラントを稼働させるためだけに消費されてしまったのでは、プラント自体が無用の長物になってしまう。
「残念ながら」
理沙は素直に認めた。
「その部分は精査中です。今後、技術部門の方々のお力を借りたいところです」
技術担当はあまりいい顔をしなかったが、了解をした。
プラントの詳細説明を前にして、理沙はいったん休憩にすることにした。


*     *     *     *

プラントの詳細説明は技術部門からの指摘もあり、2時間かかってしまったが、
もうこれで終わりという曖昧さはなく、とにかく課題を明確にし各セクションへのアクションに落とすまでが今日の目標だった。
タスクチームが検討をするためにいったん議会で予算はついたものの、
具体化したプランとなり、事業団が組織として動き出すための、今は重大な時期だった。
半年前の不明瞭な状況とは違い、各セクションの長は真剣だった。
さらには突然に全否定するような質問が時々長官から入る事もある。
しかしこれも長官の重責からくる当然の発言である。
朝から始まった会議は昼食を挟んで午後に、夕方になり、夜になった。
木星に輸送する資材、原子力ラムジェット機、生産プラント、作業プラットフォームの建造についての話題になったときには
夜も遅く、日付が変わろうとしている時刻だった。
会議の3回目の休憩。
会議室で夜食を食べる事にした。
「あとどれくらいですかね?」
一番先に食べ終えた技術担当部門のリーダーが言った。
「ようやく7割といったところ。残りの3割が実は大変だったりします」と、理沙。
他のメンバーは黙々と食べ続ける。
会議室の空気がどんよりと重くなる。


*     *     *     *

理沙は作業工程を示すチャートを表示した。詳細は膨大な量になるためまずは概要を示す。
工程 作業概要
01:作業基地建設 地球/月L3での作業基地建設、地球/月から資材を輸送、地球/月L3上で組み立て
02:作業プラットフォーム建設 地球/月L3作業基地での作業、地球/月から資材を輸送、作業基地上で組み立て
03:作業プラットフォーム輸送 地球/月L3作業基地から、木星周回軌道まで作業プラットフォームを輸送
04:生産プラント建設 地球/月L3作業基地での作業、地球/月から資材を輸送、作業基地上で組み立て
05:生産プラント輸送 地球/月L3作業基地から、木星周回軌道まで生産プラントを輸送
06:パイロット生産準備 木星周回軌道での量産型原子力ラムジェット機の実証試験
07:パイロット生産開始 量産型原子力ラムジェット機を使用し、小ロットでの生産開始と製品の地球への輸送
08:本格生産準備 量産型原子力ラムジェット機を大量生産し、本格生産体制の構築
09:本格生産開始 本格生産開始し、太陽系内での物流中継体制を確立させる
各々の工程の詳細は各自の手元で見る事ができる。
作業基地の建設から始まり、膨大な量の資材の輸送が必要だった。
1000トンを輸送できるヘビーリフターは毎日のように地球や月から飛び立ち、既に見慣れたルーチンワークになっていたが、
さらに多忙になるはずだった。
「いや、数が足りない」
物流/購買担当リーダーがひとりつぶやいていたが、無反応だった。
皆同感といったところか。
「現在稼働しているヘビーリフターを動員しても、予定期間内での実現は無理です。ヘビーリフターを増強するならば別ですが」
地球での資材調達と、衛星軌道への輸送は現実的でないということになり、
重力の小さい月から資材を輸送して、衛星軌道上で資材を製造、
中核部品のみ地球からの輸送にするということでプランは精査されていった。


*     *     *     *

でも、それだけが最善の方法だろうか、と理沙は思っていた。
理沙はタスクメンバーと会話していた時に、ヒントとなる考えを得てしばらくの間温めていた。
頭の体操のつもりで、2体のロボットが100万体のロボットになるまでの工程を、子供向けのアニメーションのようにまとめて、
資料の最後に忍び込ませていた。
考えが煮詰まってしまって、会議メンバーが皆長期戦で疲れ果ててしまったのを見計らって、理沙はそのアニメーションを披露した。
<自分自身と同じ子供を作り出して、その子供がまた子供を作る>
皆があっけにとられていたが、それも理沙にとっては事前に想定していた事だった。



「サンプル版ストーリー」メニューへ