根回し工作

「いよいよ、大航海時代がやってくる」
会長は、「エンデヴァー」元船長を前にして、熱く自分の想いを語り始めた。
「ここまでくるのに、かなり時間がかかったが、ようやくブレイクスルーが見えてきた。地道な努力ばかりだったが、
ここで一気に投資をしようと思っている。そのためにあなたの力が借りたい」
「私ごときの人物に、いったい何ができます?」
相手はSTUの最大の出資会社である投資会社の会長、
対して、自分はまだまだ金もコネもたいしてない一人の起業家。
7年程前の決意表明の時の熱い気持ちは、まだ生き続けているが、気持ちだけでは先には進めない。
月や火星の不動産、輸送システム運用の会社を立ち上げようと資金集めに奔走しているが、金はなかなか集まらない。
「あなたには強い想いがあるだろう、その気持ちのままに進んでくれればいい、私が全面的に支援する」
じっと見つめる、会長の視線の奥にはいったいどんな思惑があるのか。
しばらくの間お互いになにも言わなかったが、やがて元船長は、
「では、あと10年後に大統領選挙に出馬します」
まずは言ってみて、反応を見る事にした。
「いいでしょう。その前にまずは会社を立ち上げて、実績を作ってください」


*     *     *     *

同じ頃、理沙はワシントンで議員達に会って木星開発事業の事業化のためのロビー活動、エネルギー省役人と会い、
今まで事業団内で綿密に練った事業化プランの説明に奔走していた。
しかし、反応は芳しくない。
そもそも役人達は聞く耳をもっていないという態度だった。
「数字に根拠がなさすぎる」
提示した予算金額は、国家予算レベルの法外な金額。
「エンデヴァー」の2度の調査により、木星のヘリウム3資源の量の見積もりが精緻化された。
事業化するにはまだまだ時間が必要だが、
原子力ラムジェット機により、木星大気から実際にヘリウム3サンプルを採取できたことは、大きな成果だった。
STUと連携し、地球/木星間の輸送船の設計、ヘリウム3/水素の精製プラントの設計についてはすでに完了しており、
ゴーサインが出ればいつでも建造に着手できる状態にあると、理沙が提示した資料内では述べていた。
「もうかなり現実的な数値になっています。国家予算でこれ以上の予算配分の事業などいくらでもあります」
毎年膨れ上がる一方の国防費について、理沙はあえて触れることはしなかった。
自分の首を締めるだけである。
「投資に対する回収がまだ始まっていないのに、次は木星か。国民に説明可能な金額にまとめて欲しい」
月と火星の開発事業の現状について問い詰めているのだと、理沙はすぐに理解した。
現在、月には1万人、火星には3000人が居住しており、月のヘリウム3採掘等、地球国家のためになる事業も徐々に軌道に乗っているが、
いまだに水や食料等、生活インフラの大部分を地球からの輸送に頼っており、完全自立にはまだほど遠い状態。
多額の投資に対しての回収はどうかと言えば、非常に心もとない状態だった。
「今の生活で精一杯の国民に、20年後の事を訴えても、話にならないのだよ」
「ですが」
理沙は静かな口調で、さらに食い下がった。
「今から20年後に国民が窮地に陥って、もしあの時に木星でのエネルギー開発に着手していたら、と後悔しても遅いです」
大した会話の進展もなく、理沙はその日もエネルギー省を後にした。
まとめた資料の数字の根拠については、理沙自身も、無理やり感が否めないことは認めていた。
なんとかロジックで通そうと今日も論理武装はしてきた。
実際のところ現場では、資料の中で述べられている事とかけ離れた状態であった。


「採取船を10倍に増やす必要があります」
そこまで本腰を入れないと、木星からヘリウム3を採取する意味がない。
技術主任からの見積もりの説明に対して、事業団上層部のメンバーから、ため息が漏れるのが聞こえた。
解決策として、採取船をさらに長時間木星大気中を飛行させて、採取するヘリウム3の量を増やす案。
採取船を大量に製造するための生産ラインを、宇宙空間に製造する自動化工場案。
自動化工場を建設するための自動増殖ロボットの案は、自然発生的にとある技術者のアイディアとして生まれてきた。
しかし、まだ現実性に乏しい。
夕方のまだ早い時間にホテルに入り、大佐と上層部メンバーに今日の状況を報告を行うと、2時間があっという間に過ぎていた。
食事にでも行こうとタクシーを呼び、ワシントンの街中を繁華街に向けて走ると、すぐに渋滞に巻き込まれた。
「また、デモですよ」
運転手はすぐに回り道を見つけたが、回り道を走っている間も、理沙は何度かデモ行進をする人々を見かけた。
生活苦による政府への不満、困窮者対策のための予算配分の訴え、
そのような悲痛な叫びの中に、理沙は明らかに自分たちに矛先を向けていると思われる、鋭い言葉を聞いた。
[莫大な予算をつぎ込みながら、何の成果もあげていない、木星の開発プロジェクトを中止せよ]


*     *     *     *

いったん作り上げた、ヘリウム3/水素精製プラント設計と、ヘリウム3採取用の原子力ラムジェット機の設計について、
技術主任の考えを受け入れ、再度デザインを見直すことになった。
考えられるいろいろな仕様を取り込みすぎたせいで、過剰なデザインとなったことも、予算の肥大化の原因のひとつだった。
もう少しスリムに、どうしても必要な部分は妥協せず、不要と思われるところは思い切って削ぎ落す。
前例のないものだけに、想像がふくらんで肥大化した代物になってしまったが、
冷静に、再びゼロベースで考える事とし、半年の検討期間を設定した。
夏の終わり頃に始まった再検討は、半年後には形となり、冬になると理沙は再びワシントンに向かった。
今までのプランに問題があったことにはあえて触れず、エネルギー省役人に対して、理沙は精緻化されたプランを改めて説明した。
「まずはパイロット生産用としてプラントを1基、採取船を20機ほど。作業拠点としてのプラットフォームを1基」
ヘビーリフターを何度も使用してユニットを輸送し、宇宙空間で組み立てる。
建設にはすでに建設が完了している、地球/月L3作業プラットフォームを使用し、月の鉱物資源を利用してユニットを製造する。
構築のためのシナリオを役人の前で披露し終えると、理沙は、
「まずは中核部分のユニットを木星に輸送して、徐々に生産拡大のために拡張していきます」
次に説明に使用したのは、月の核融合燃料生産についての今後の予測資料だった。
「月のヘリウム3資源のおかげで、核融合エネルギーの利用が現実のものとなり実用化寸前にまでなりましたが、
月のヘリウム3も遠くない先に枯渇することが、今後の予測として示されています」
今後の月でのヘリウム3生産予測数値を見せた後で、話を再び木星へと戻した。
「10年後にはパイロット生産開始、20年後には本格フル操業させると想定して、月での生産量が減少する前に、
木星での本格フル生産を開始することになり、核融合燃料枯渇となる事態は回避可能と考えます」
役員が手で理沙の事を制止した。
「話が拡大していく一方だ」


*     *     *     *

「結局のところ、先に進んでいません」
送別会から4年の月日が流れ、元船長と会うのは久しぶりだった。
「一筋縄ではいかないものだよ。役人相手にはとにかく時間がかかると覚悟した方がいい」
4年の間に、元船長はメリッサと結婚し、しかし理沙は多忙のため、結婚式に参加することについては願い叶わず、
祝福のメッセージを送るのがやっとだった。
「プラントと作業プラットフォームの詳細設計には予算がつきましたが、建造には待ったがかかりました」
話題は、元船長の出馬についての話に変わった。
「知名度はあっても、それがなんだという事を、いやという程思い知らされたよ」
あんがい楽勝だと理沙は思っていたが、彼の話を聞けば聞くほど現実の厳しさがわかってきた。
夢を語っても、心に響くものがなければ意味がない。
心に響くものを必死に訴えても、人々が興味がなければ何も起きない。
理沙と元船長は、一緒に食事をしながら、政治の世界にどうしたら参入できるのか意見を交わした。
意見を交わす中で2人は、人々が常日頃の思い煩いの中に埋もれながら、気づいていない、世の中の成長の限界について、
危機感を持っていることに気づいた。
「だからどうなんだと皆は言うかもしれないが、そう言っている連中に限って何も手を打てないんだよ」



「サンプル版ストーリー」メニューへ