建設開始

省庁との交渉を進めるかたわら、作業プラットフォームと生産プラントを建設するための準備は淡々と進み、
いつでも建設開始可能な状況となっていた。
しかし、議会やエネルギー省からの承認は下りない。
協力会社からはいつになったら作業が開始できるのかと、事あるごとに理沙の元に打診が入り、
理沙はそのたびにまだ待って欲しいとの返事を返すだけ。
しかし、企業側は開始見込みで前倒しで作業を行っているゆえ、もしここで中止となれば、莫大な損害を抱える事になる。
そんなある日、並行して進めていた自動増殖システムに関して、
STU側で興味を示し、前向きに取り組みするとの返答が理沙の耳に入った。
早速理沙はSTUの担当部門のリーダーと会うことにした。
「本当にできますか?」
理沙は半ば諦めていたので、懐疑的な気持ちもあったが、
「できます」
担当者は、きっぱりと、疑いもないという言い方だった。
いくつかのプレゼンテーションと見せられ、詳細な方法についてはところどころ課題となっている事項はあるものの、
現時点可能なもの、1年以内には実装可能なもの、今後の課題ではあるが技術的メドがたっているものについて説明を受けた。
問題は、いつ具体的に実現するのかということである。
「まずは、社内で実験をいたします。成果が見えてきたところで再度連絡いたします」
「おおよそのメドだけでも」
しかし、担当者は首を振った。
「残念ながら、今日お伝えできるのはここまでです」
理沙は少しの間考え、やがて頷いた。
「わかりました」
使い方を誤れば、または悪用すれば、核兵器または核兵器以上の影響力を持つ自動増殖システムである。
事業団本部へ戻る途中の車の中で、理沙はしばしの間目を閉じて、次の会議に向けて心を落ち着ける事にした。


*     *     *     *

「要求額を、もう少し見直してみました」
画面越しに、エネルギー省担当者と、いったいこれで何度目かという会話をした。
理沙は要求額の概略について説明し、数字の根拠と、事業の実現可能性について、
これもまた何度目だろうかという説明をした。
エネルギー省担当者から理沙に対して、いくつかの質問が出たが、
これもまた何度も聞いたリスクに関するものであり、理沙は淡々と説明した。
しかし、担当者の声のトーンの微妙な違いに理沙は気がついた。
ひととおりの質疑応答は終わり、理沙の左横に座っている長官が、エネルギー省長官に問いかけた。
「いかがでしょう」
今までも同じような場面はあった。
長官同志が、テーブルに向かい合い、または今日のようにリモートで会話し、しかし、そのたびにプランは却下。
しばらくの間があり、エネルギー省長官は言った。
「もう、議論は出尽くしたような気がする」
長官は、理沙の方に視線を向け、理沙もまた長官を見つめた。
「承認いただけるということですか」
頷きもせず、エネルギー省長官は、テーブルの上で手を組んでじっとこちらを見ている。
「全額承認というわけにはいかないが」
翌日、エネルギー省から正式な返事があり、これで何度目になるか、議会への提出の手続きが進められた。


短い期間ではあるが、理沙はタスクメンバーに休暇を与える事にした。
理沙自身は各タスクとの調整があり、形だけの休暇となってしまった。
自宅にいても外出中でも、各タスクリーダーや協力会社からの問い合わせや連絡が途絶える事はなかった。
とはいえ、そのほとんどはプロジェクトの開始有無についてのものである。
理沙の場合、国内国外どこにいても職場であることには変わりなく、1泊2日で理沙はヴェラに会いに行くことにした。
ちょうど半年前に娘が誕生したところで、彼女は年齢のこともあり子供をもつことは諦めていたのだったが、
2度の不妊手術の末子供を授かり、会議中に彼女から娘誕生の知らせを聞いた時、思わず声を上げそうになった。
家のベッドの上で静かに寝ている娘を見ながら、理沙はしばし日々の喧騒を忘ることにした。
「いいよね」
「いいでしょ?」
プロジェクトの立ち上げのために、昼夜を問わず働き、
時々、何のためにこれほどまでに忙しいのか、矛盾を感じることもあったが、ヴェラとその事を話すたびに彼女は、
「でも、あたしの分まで頑張ってくれているんだものね」
その言葉に、理沙は嬉しいと思うとともに、自分に対する羨ましい気持ちも少々感じていた。
理沙は、時間の経過も忘れて、ベッドの上で幸せそうに眠る娘を眺めた。
ヴェラがコーヒーを持って再び部屋に入ってきた。
そっとベッドのそばを離れ、テーブル席に座ると、テーブルの上に置いていた理沙の携帯端末のアラート表示が点滅した。
理沙はディスプレイ上のメッセージを眺め、すぐに端末をバッグの中に入れた。
「気にしなくていいよ」
「でも、急ぎなんでしょう?」
理沙は首を振った。そして、しばらくの間日常の他愛のない会話が続いた。
仕事とは無関係の、地元のコミュニティ活動への参画の事、
娘が生まれる前に、図書館で読みあさった大量の本の事。
料理を上達させたいことを目的として読んだ本もあったが、
特になにを読むかも決めずに、ふとタイトルが気になって読んだ本がほとんどで、
技術書ばかり読んでいた今までが、いかにムダな人生だったのか、そんな彼女の話が続いた。
娘が泣くたびにヴェラはベッドの方に行き、理沙もあとを追うようにベッドの方に行った。
「あら、理沙の方が抱くのが上手ね」
理沙が娘を抱くと、ヴェラの時よりも早く娘は泣き止んだ。
なんだか複雑な心境だった。


理沙は翌日までヴェラの家に滞在し、翌日は夫も休日のため娘含めて4人で車で外出し、
暖かい陽ざしを浴びながら公園を歩いた。
「しばらくまた会えなくなりそうだけど、また連絡するね」
公園の入り口のところで、理沙はヴェラと別れた。
「体調崩さないようにね」
2人は抱き合った。
そして別れを惜しんで泣きそうになっている娘に手を振った。
「仕事が、うまくいきますように」
協力会社所属の夫から、真顔で言われると複雑な心境になる。理沙は夫と固く握手を交わした。
駅へと向かう道を歩きながら、理沙は何度か後ろを振り返り、そのたびに2人は手を振った。
ヴェラは、理沙の後姿を見ながら、この2日間での理沙との他愛のない会話を思い起こしつつも、
何度も言いたくなった事を、結局言えなくて後悔した。
「帰ろうか」
夫に促されて、ヴェラは帰宅することにした。


*     *     *     *

「今まで、いろいろと紆余曲折あり、また、世間の逆風もありましたが」
管制室に集まったスタッフたちを前にして、長官は話を始めた。
「ようやく今日を迎える事ができました。ですが、これはまだスタートラインです」
マルチモニター画面上には、数キロ離れた先で出発準備完了した1機のヘビーリフターが見えた。
作業プラットフォームの中核ブロックを搭載し、2時間後に打ち上げ予定。
さらに、巨大な格納庫の中では、第二便が貨物の搭載を完了し来週出発予定。
第三便、第四便も準備が着々と進められていた。
「人間とは、矛盾を常に抱えている生き物です。合理的に考え物事を進める事もあれば、そうでない時もある。
エネルギーを生み出すために、わざわざこのような面倒な手続きを踏まなくても、もっと理想的な方法があるのでは。
地球は有限であるゆえ、持続可能な方法で生き続けていけばいいのではないかと」
理沙は、すぐそばで訓示をする長官を見上げながら、今日この日までの苦労をしみじみと思い出していた。
「とはいえ、判断は下されました。私たちは将来のエネルギー安定供給と、人類の生活圏拡大のための一歩を踏み出します」
訓示は終わった。
フライトディレクターが、管制室のスタッフに指示をした。
「全員配置について、マイナス2時間から秒読み続行」


夫に呼ばれて、ヴェラは居間に行った。
壁面ディスプレイ上では、1機のヘビーリフターが出発を待っていた。
[5分前、船内動力に切替]
読み上げるアナウンスの声に、ヴェラは小さく声を上げそうになった。
いつも聞きなれている、理沙の声だった。
娘が再び泣きだしたので、ヴェラは再び寝室に行き、娘を抱きかかえるとあわてて居間に戻った。
次々に理沙がチェックリストを読み上げるたびに、ヴェラは気分が高揚した。
[1分前、点火シークエンススタート]
気がつくと、いつの間にかヴェラは夫の手を握っていた。
カウントゼロはその後すぐにやってきた。
巨大なヘビーリフターはゆっくりと上昇を始めた。



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