時には雨の日もある

建設が始まるまでは、交渉に交渉を重ねても遅々として進まないプロジェクトだったが、
いざ開始が決定し、事が進むと、事態は恐ろしいほどの速さで進んだ。
最初のモジュールの輸送開始から半年ほど経過したが、世界の3箇所の拠点から計40回もヘビーリフターが飛び立ち、
輸送されたペイロードは合計で7万トン。「エンデヴァー」10機分の量である。
予定されている工期は1年半。最初に1基の作業プラットフォームと、1基の精製プラントが作られて木星に輸送される。
予算申請の段階では3基の作業プラットフォーム建設が予定されていたが、規模縮小を条件に今回ゴーサインが出された。
災害発生時も想定し、最低でも2基必要と長官は訴えたが議会は受け入れることはなく、とりあえず条件を飲むことにした。
世の中、何事も前例を作れば次の予算は通しやすい、とにかく事故を起こさずに成果を出せばいい、
そんな中で、ケネディ宇宙センターでの通算14回目のフライトの際のトラブル時には、スタッフ皆がひやりとした。
マイナス12分時点での、燃料系統トラブルのサインに、フライトディレクターはすぐに中止を指示した。
スタッフがさっそくバックグラウンドの協力会社も巻き込んで調査を始める。
その間にも、ステータス表示のパネルには不具合を示すアラート表示が増えていった。
管制室で対応を見守る理沙。スタッフの背後ではオンサイト、リモート含め技術者が張りつきで調査が進められる。
「わかりました。異常信号を検知した誤動作です」調査開始から5分後、燃料系統の担当者が声を上げた。
サブシステムをすべて一旦リセットし、次々に起動を行い、全体としての動作正常を確認すると、秒読みは再開された。
15分ほどの遅延。インシデントとして登録されたが重大扱いとはならなかった。


昼夜関係なく物事は動き、理沙もその大きなうねりのような動きの中に埋没していた。
1日に2回の進捗会議の場で、山ほど発生している課題について幹事会社であるSTU担当者と協議し、
重要度の高い課題から次々に解消してゆく。
当日発生した課題については、重要度の高いものについては難易度に関係なく当日中に解消することが求められ、
[ミスター核融合]を中核とする技術チームは、寝る間もなく働いていた。
それでも、彼らはしっかりと要求通りに課題を解決し、プロジェクトの進捗が止まる事はなかった。
表に出ることはないスタッフも含め、中国人の技術者は非常によく働き、成果をあげていた。
故郷は国としての体制すらないほどに荒れ果ててしまったが、根無し草状態になっても、身一つで生活のために働く。
世界を相手に、そして今では地球を超えて太陽系の覇権のために働く。彼らは心身ともにタフだった。


*     *     *     *

「そろそろ辞める頃合いだと思っていた」
今日も重大な課題が無事解消し、ほっとひと息ついていたところで、理沙は大佐から呼び出された。
「先日、定年後も働くとおっしゃっていたばかりなのに」
理沙は、窓の外の夕日を眺める大佐の背中を見つめる。今日はなぜかその姿が小さく見えた。
「いや、昨日気が変わった」
いつものように、2人はソファーに向かい合い座る。
理沙は、いつものように今日の作業状況を大佐に報告し、今日発生した重大インシデントも即日解消したことを伝えると、
「大佐、非常に残念ですが、あなたの下で働くことができて光栄でした」
「私も結構無理難題を言ってきたが、あなたは常に私の期待に応えてくれた。感謝している」
感謝という言葉を、理沙は大佐から初めて聞いたような気がした。
今までもミッション遂行のたびに、ねぎらいの言葉はあったが、今日はなんだか雰囲気がいつもと違う。
「後任の人事は、いつ決まるのでしょうか?」
理沙が大佐に尋ねると、大佐はじっと理沙の目を見つめ、
「あなたが後任だ」
理沙はすぐに、やんわりとであるが断った。
「私からあなたに教える事はもうない。これからはあなたが全体を指揮して、プロジェクトを完遂させる」
威圧するような鋭い視線に、理沙は了解するしかないと思ったが、そのことを言いだそうと思った矢先、大佐は再び笑顔になった。
「いやいや、私はあなたのことを推薦したが、長官から断られた」
事業団内の力関係のことについては、理沙も日頃から理解はしていた。
「軍からの介入を良く思わない人間が、あちこちにいるわけだ。プロジェクトで事が起こるたびに、暗にクビの話が出て、
私もしょっちゅうヒヤヒヤしていた。そのたびにあなたに助けられてた」
そして、これもまた初めて見る光景だったが、大佐は深々と理沙に頭を下げた。
「後任は、事業団側から出る事が決まっている。とはいえ、あなたは実質上のリーダーだ。よろしく頼みます」
仕事をともにして約25年。今の大佐は初老の老人のように見えた。


*     *     *     *

「ちょっといいかな」
大佐に促されて、理沙は会場から出た。
大佐の退職を記念した壮行会は、事業団の関係者の他、軍関係者や軍OBも参加した、かなり盛大なものとなった。
とはいえ、理沙にとってはすでに軍関係者よりも事業団関係者とのつながりが強くなっており、軍人に囲まれる中でも
ある意味借りてきた猫状態。あまり仲がいいとは言えない軍人と事業団職員が、会場の中で互いをライバル視していた。
そんな不穏な雰囲気の一次会も終わり、親族と軍関係者だけの二次会は非常に和やかな雰囲気、
だらだらと時は流れ、日付も変わった頃、酔いがまわった軍OB連中を横目に、理沙と大佐はベランダ席へ出た。
夜風が非常に心地よい。
大佐は、しばらくの間配下の街の夜景を眺めていたが、やがて言った。
「あなたのお父様が、お亡くなりになった」
突然の大佐の言葉に、何を言っているのか理沙はよく理解できなかった。淡々と彼の話は続く。
「もっと早くに言おうと思っていたのだが、なかなか言えなかった」
2か月前に、つくばの研究施設で働いている際に、突然の心不全で倒れ、蘇生処置も効果なくあっというまに亡くなったとのこと。
過去に理沙は、自分から親とは連絡を断っていたのが、思いがけない人から思いがけないタイミングでのその知らせに、
悲しいという思いよりも、なぜ大佐の口から知らされることになったのだろうかと、非常に不思議に思った。
「今まで、なかなか言えなかったが」
今の大佐は、まるで今までのことを反省し、詫びているようにも見える。
「あなたのお父様とは時々連絡をとりあう間柄だったが」
20数年間、お互いに連絡すらとっていなかった親子、では、なぜ大佐とは交友があったのか。
疑問はふくらんでゆくばかりである。
「常日頃から、自分の身に何かあってもあなたには言わないでくれと言われていた」
「私の父と、大佐とのつながりは?」
理沙がようやく大佐に問い詰めると、
「昔、お父様にはお世話になった。まぁ、そんなところだよ」


突然の大佐からの話に、ほろ酔い気分は一気に醒めて、
その日の夜は、いろいろな思いが頭の中を駆け回ってしまい、理沙はなかなか寝付けなかった。
翌日の朝、オフィスに行くと、理沙は早速会議に呼ばれた。
大佐の離任手続き、新任の上司の紹介と引継ぎが慌ただしく行われたが、前日の夜の会話のことが頭の中に残っていて、
会議の場での理沙の発言には、今日に限って、いつものような歯切れの良さが欠けていた。
ちょうど対面の席に座っている大佐に対しても、なぜか視線をしっかりと合わせる事ができない。
大佐の方も、少々気まずいのか、理沙と目を合わせる事はなかった。
慌ただしい引継ぎの後には、本題として精製プラントの課題事項が取り上げられた。
中核部品の不具合については、2週間ほど課題事項になっていたが、今回も優秀なエンジニアたちがなんとかしてくれるものと期待していたものの、
未だに解決には至っていなかった。かなり深刻な問題に発展しており、プロジェクト全体の進捗上、判断が求められていた。
「作業プラットフォームは、来年夏には完成する見通しが立っていますが、精製プラントはその時までに間に合いません」
画面の向こう側の、STUリーダーから状況の詳細説明が続く。
説明を聞きながら、理沙はまずは気持ちの整理をすることにした。
冷静に、状況をしっかりと正面から見つめ、物事の優先順位を正しく見極めながらプランを頭の中で組み立ててゆく。
それが、父親の死をいったんは忘れる最善の方法だった。



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