明暗を分ける

理沙が実質上のプロジェクト責任者になってから、ほぼ1年の月日が流れた。
「出発準備完了しましたので、これよりドックから引き出します」
作業プラットフォームの中核部分が、キャリアーに抱えられて、ゆっくりとドックから引き出されていった。
この日がやってくるまでの間、大小さまざまなトラブルがあったが、
理沙を筆頭とした管理タスクのメンバー、および地球/月L3の作業拠点で働く作業員、
プロジェクトに参画している大小数えきれないほどの協力会社の人々は、昼夜を問わずに働き続けた。
かつてのアポロ計画のように、一つの計画のために国力を全て注いで黙々と働き続けるのは、100年ぶりとまで言われた。
世界各国では、人類の未来のためだと前向きなスローガンも叫ばれる所もあれば、
プロジェクトに反対する勢力もまた根強かった。
長官が建設開始の際の訓示で述べたように、人類は矛盾を抱えながらも前に進んでいた。
管制室のモニターパネルには、作業プラットフォーム全体を捉えた画像が映し出されていた。
長さ600メートルほど、今までに作り上げられた宇宙空間の構造物の中では、最大のものとなった。
「出発前のチェック完了。全システムのステータス正常を確認」
「了解。引き続き推進システムの準備を」
フライトディレクターと、キャリアー乗員の会話を聞きながら、理沙もまたキャリアーの状態に問題がない事を確認する。
「確認完了しました。出発許可を」
フライトディレクターが、理沙の方を見た。
「こちらも確認完了。問題ありません」
フライトディレクターが小さく頷き、乗員に言った。
「出発許可します。では、良いフライトを」


*     *     *     *

作業プラットフォームの出発式は、全世界に映像配信され、
見守る人々それぞれが、それぞれの思いを抱いた。
まだこれは始まりではなく、始まりのための準備である。
つい先日にはヘリウム3/水素精製プラントの建設が、半年以上予定より遅れること、
そのため、作業プラットフォームと同時に木星へと出発することができないということが公式に発表されたばかりだった。
出発する作業プラットフォームのすぐそばには、ようやく半分まで作り上げられた精製プラントが映し出されていたが、
いまだに未完成のプラントを見た反対派からは、金のかかる巨大プロジェクトは即刻中止すべきとの宣言があがった。
しかし、彼らのデモ行進にも、シュプレヒコールにも、理沙はもううんざりすることも通り越して、今では何も感じなくなった。
「さて、次の出発準備を始めましょう」
作業プラットフォームが、木星へと向かったところを見届けると、
理沙は精製プラントの建設への注力と、原子力ラムジェット機の完成を、精製プラントの出発までに間に合わせるようにと
管理職スタッフに改めて指示をした。
スケジュールは時間単位に動いている。精製プラントの完成はいったん延期されたが、再延期は許されない。
しかし、物が形になり、出発を見届けると、不思議な事にこの先なんとかなるのではないかと心の余裕が出てくるものだ。
また、理沙にとっても、上司との間の会話に余裕ができたのが非常に良かった。
気心知れた、前任の大佐と比較して、官僚出身の新しい上司に、理沙は最初のうちは悩まされることもあったが、
着実に成果を上げていれば、特に細かいところまで干渉しない性格だということ、
いざとなった時には自分が全責任を負うと、管理職スタッフを前にして明言していたので、
理沙はこの新しい管理職もまんざらではないと思うようになり、その日以降、気持ちが楽になった。


「お見えになりました」
秘書から声をかけられて、理沙は席を立った。
数日前に、ぜひとも直接お会いして会話をしたいとメールがあり、理沙は会う約束はしたものの、
相手は用件についての詳細は何も伝えてこなかった。
用件は会った時に説明しますとの一言だけ。
会議室に向かう間、いったいどんな事を言われるのか、さまざまな想像をしていた。
先方は軍の中佐である。
しかし、一見して軍人として冷静沈着、それなりの威厳があるようにも見えたが、
話を始めると、非常に物腰柔らかい、丁寧な言葉遣いをする人物であった。
彼は軍のロジスティックを担当する人物、理沙の元上司の後任として、輸送システムの中核を担当している人物である。
会話は、お互いの共通の上司である、大佐の下で働いていた時の苦労話から始まり、
無理難題をふっかけられて、どうしたらいいものか悩んだという点については、恐ろしいほどに共通していた。
話はいつの間にか本題に入っていた。
「太陽系内の、戦略的輸送システムについて、具体的なプランを策定しているところです」
月や火星に対しては、数百人単位の人員や資材の輸送技術は確立していて、
1週間から半年の作戦行動も可能なレベルにまで達していたが、今後のことを考えると、火星よりもさらに遠く、
木星や土星、さらには太陽系辺境と言われる場所にまで、大量の資材や兵員を、1年以内の期間で輸送することも、
そろそろ考えなくてはいけないと、軍上層部では検討が始まっていた。
「そのプランの実現に、一番近いところにあなたがいる。そこであなたの力を借りたい」
つい先日に木星へ向かった、作業プラットフォームと、輸送のために特別に設計された重量物キャリアー。
ちょっと手を入れるだけで、数千人の兵員と資材を輸送し、木星、土星での作戦行動が可能な揚陸艦に転用可能である。
理沙が開発局に入るきっかけとなった、木星を中心とした太陽系内ロジスティックの仕組みも、
兵員輸送を太陽系内、さらには太陽系の外にまで確立しようという考えに自然とつながっていくものだった。
「非常に残念ですけど」
理沙は、今のところは興味はないことを伝えた。
「私は今はこのプロジェクトに専念しています。それ以外の事を考える余裕がありません」
中佐は苦笑いしていたが、断られることを想定してわざわざ今日会いに来たようにも思える。
「では、こうしましょう」
それほど遠くないいつか、プロジェクトが一段落したところで、再考してもらえないかと彼は言った。
しょせんは軍からの出向の身であるゆえ、いつかは出向が終了し軍に引き戻される事もあるはず。
「その日が来たら、私があなたを喜んで迎え入れます」
「わかりました」
2人の会話は、今日はそこまでだった。
多少の未練はあったが、理沙は再び席に戻ると、当面の課題に思いを集中させた。


*     *     *     *

木星へ向けて順調に航海を続ける作業プラットフォーム。
20万トンもある構造体を、キャリアーはトラス構造でしっかりと支え、クラスター核融合推進システムが徐々にではあるが
全体を木星へ向けての遷移起動に乗せていた。
キャリアーの8人の乗組員、作業プラットフォームに最初に滞在し、システムの立ち上げと稼働確認を行う6人の作業員には、
今のところはやるべきことはない。キャリアーの船長を除いて。
輸送用キャリアーの状態をチェックし、レポートにまとめると、開発チームに報告書を毎日送信する。
巨大構造物を木星まで輸送するのは初めての事であるし、
クラスター推進システムは「エンデヴァー」で十分にテストされているが、これから先何が起きるのか想像もつかない。
STUの技術担当者からは、どんな細かい事でも報告するように求められていた。
「今はとりあえず平和ですが、木星への周回軌道に投入する際には、ちょっと大変なことになるかもしれません」
すると30分後には返信が届いた。通信のタイムラグを考慮すれば、即返信されたようなものである。
「木星への輸送手段が確立すれば、土星への輸送も十分に可能になります。とにかくよろしく頼みます」
土星も視野に入れているのか。
その事がいったい何を意味しているのかについて、船長は知らない。
将来の技術開発のためと言われれば、まぁ、そういう事なのだろう。
船長はそれ以上深く追及はしなかった。


「具体化してきましたので、そろそろ参画をお願いします」
担当者から連絡があり、翌日にはヴェラはSTUの事務所に到着していた。
担当者に案内されてヴェラが会議室に入ると、早速手短に説明が行われた。
何人かの、技術担当者と紹介された人物と握手を交わし、そのあと、実施責任者と紹介された人物の説明が続く。
「実証用の環境を作りたいと思っています。影響も想定し、世間から離れた場所を選びました」
テーブルの上に、巨大な施設の映像が映し出された。



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