プラントはまだか
「木星への持ち出しも、そろそろ終わりにして欲しいのですが」
会議テーブルの上で拳を組んで、エネルギー省の長官が理沙のことを見つめている。
会議と言う名のお説教には理沙はもう飽きてきた。
理沙は、大変申し訳ありませんと前置きしてから、木星での作業状況について今日も淡々と説明をした。
かつて実施した、一般市民にも大々的に成果をアピールするつもりだった、原子力ラムジェット機のストレステスト。
理沙も現場で立ち合い、木星大気の過酷な状況において機体が十分耐えられることを示すつもりだったのが、
ここぞというところで原子力ラムジェット機は空中分解。
木星の空に花火のような閃光を残して散った、あの日の事故から1年半になる。
「わかりました。いろいろとご苦労様です」
そして、長官は今日もまたいつものように同じ言葉を述べた。
「それで、木星からの持ち帰りの予定は?」
* * * *
原子力ラムジェット機の事故原因については、事故直後にはおおよその特定ができていた。
木星大気中で大気サンプルを採取する程度であれば、上層大気をかすめる程度の飛行でよいのだが、
採算ベースも考慮した量の大気を持ち帰るとなると、かなりの長時間上層大気にとどまり、
エアインテイクを開けて機体内のタービンに取り込み、圧縮してタンクに溜め込む操作が必要となる。
大気を取り込む翼前縁のエアインテイクが、重要であるとともにウィークポイントとなっていた。
だから言わんこっちゃない、といった技術を知らない者たちの罵声が理沙の耳には嫌と言うほど入っていた。
「議会が紛糾して、もう止められないところまできている」
事業団本部事務所に戻ると、今度は長官の愚痴を聞くことになる。
内心、技術者達から理沙のもとに届いている愚痴を、代弁して返してやろうと思ったりもしたが、
「胸中お察しします」
そして涼しい表情で淡々と、先ほどまでのエネルギー省長官との会議内容を報告する。
原子力ラムジェット機の事故原因が特定され、対策が具体化し、改良型の原子力ラムジェット機の設計も完了していた。
あとは承認が下りれば製造に入り、木星でテストを行うだけである。
「前例のないプロジェクトですから、トライアンドエラーで前に進むしかないんです」
しかし長官は、技術者たちからの愚痴は耳に入らず、議会や大統領からの日々の高圧的な態度に心底疲れているようだった。
目の下のクマがその事を物語っている。
「すぐにゴーサインが出れば、1年後には改良型ラムジェット機を木星に輸送できます」
「機数は?」
「まずは1機。でもテストが成功すれば」
ちょっと待った、と長官が理沙の事を手で制止した。
「1000機の予定では?」
「それはまた別な話です。まずは設計を確定させるのが先決です」
大量生産の切り札である、自動増殖システムの開発については既に長官の耳に入れていた。
それはSTUという1企業の極秘プロジェクトであり、エネルギー省にも議会にも知らされていない。
製造業の常識を根底から変えてしまう技術であるとともに、安全保障上の極秘事項でもあるからである。
もしこの技術が悪用されれば、軍事的な脅威となり、世の中は大混乱に陥ることが目に見えていた。
また、STUからの断片的な報告では、自動増殖システム開発は困難を極めていた。
小惑星基地でのテストでは、増殖モジュールの暴走、増殖エラーによる不完全な個体の不完全なコピー等、
その他膨大なエラー事象と技術者達は日々闘っていた。
「設計が確定して、自動増殖システムがその時に間に合えば、今までの状態は好転します」
さきほどの会議の場での、エネルギー省長官の表情が再び思い出された。
彼は理沙の目をしっかりと見据えていた。
そして目の前の事業団長官も、彼と同じ事を言った。
「果たして、その時まで待ってくれるかな?」
理沙は、しばらく間を置いてから、
「いつまでであれば、待ってくださるのでしょうか?」
目に見える成果が求められていることは分かっていた。しかも早急に。
「エネルギー省長官には言っておきました。2年以内にはパイロット生産を始めます。と」
* * * *
待っている者は他にもいた。
地球/月L3の建造用ドックの中で、1隻の宇宙船が建造中だった。
船体は既に完成しており、内装と装備品の取りつけもまもなく終わる予定である。
1週間前に地球から到着した女性士官が、チェックリストに従い、内装の状況を詳細まで確認していた。
「あ、気がつきませんでした」
確認作業に集中していたので、彼女はすぐ後ろにいる現場責任者に気がつかなかった。
「こちらこそ失礼しました。作業の邪魔になってしまって」
運んできたコンテナを部下に任せ、現場責任者は女性士官が眺めている機器類を覗き込んだ。
「何かと気になってしまって。でも、あなた達の仕事を疑っているわけじゃないの」
いえいえ、そんなつもりでは、と現場責任者は首を振った。
「これほど気にして下さっていることに、こちらも嬉しく思っています」
作業をする手を止めて、女性士官はコクピットの方へと連絡用通路を進んでいった。
通路の一部に、緩衝材が外れかけているところを現場責任者は見つけた。
彼女の視界に入っていないところで、彼は緩衝材を手でぐいっと押し込んだ。
「やっぱり新しい船はいいわね」
窓の外には、先週取りつけが終わったばかりのレーザー砲が見えていた。
太陽系内の警備・警護を目的として、この船は作られたというのが名目上の理由であるが、
ちょっと想像力を働かせれば、もっと違った目的のために作られているという事は容易に察しがつくものだ。
「でも、燃料が心配ね。せっかく船を作っても動かせないのでは」
「まったく、困ったものです」
窓の外、はるか数キロメートル先には、事業団の作業プラットフォームが見えた。
建設中の木星作業プラットフォームが2基と、核融合燃料精製プラットフォームが2基。
「月の生産プラントの能力はたかが知れているのに、ほとんど木星行きに持って行かれています」
終わりの見えないデスマーチと、世間では言われていた。
「でも、こちらにとっては好都合かも。あちらにスポットライトが当てられているうちは」
巨大プロジェクトに便乗して、そっと軍側も今回の案件を忍び込ませた。
太陽系内の覇権を真の目的として、この巡洋艦は作られた。
「問題は、いつまで持ちこたえてくれるかという事ね」
「それは」
実施責任者は、おそるおそる言葉を選びながら、「プロジェクトが失敗するという事ですか?」
女性士官は首を振った。とんでもない、というように。
「プロジェクトは、これから先良い方向に向かいます。成功してくれないと困ります」
* * * *
月のヘリウム3利用のプランが作られた頃は、これだけ量があれば全世界のエネルギー問題は解決するとまで言われていたが、
そんな楽観論は厳しい現実に直面したところで一気に崩壊した。
月の土壌を採取し、熱処理の過程で抽出された微量のヘリウム3を精製し、得られた量が果たしてコスト的に見合うのか。
お金のコストだけではなく、採取/精製の過程に必要なエネルギーと、ヘリウム3から得られるエネルギー量との比率。
しかし、現実の厳しさは技術力により徐々に克服された。
「エンデヴァー」が木星・土星の探査のために必要なヘリウム3の総量であれば、
当時と比較して生産エネルギーコストは激的に減った。
地球への安価で大量に輸送する手段も確立し、2070年になる頃には当初描いた楽観的な絵に近い形になった。
そこに、木星資源開発のための大量のエネルギー需要が発生した。
木星大気から大量にヘリウム3を抽出/精製するためのプラントも、木星まで輸送する手段がなければ何の役にも立たない。
本格生産が始まるまでの間は、月から得られるヘリウム3だけが頼りであり、
しかも、月のヘリウム3資源も有限であり、シミュレーションではまもなく生産量のピークを迎えるとの予測もされていた。
果たして、人々はいつまで待ってくれるのだろうか。