私は再度挑戦する
地球へと向かう連絡船の中で、理沙は先日会ったヴェラのことがふと気になった。
タイタンへ新しい基地建設のために向かうと言ってはいたが、肝心なところでどうも話をはぐらかされているように思える。
不審に思い、事業団の照会システムからSTU協力会社情報にアクセスしてみたものの、彼女の情報が見当たらない。
システム会社に転職したというのは嘘だったのか。
そんな煮え切らないような理沙の気持ちは、大統領選挙のニュースですぐにそちらの方に切り替わった。
投票が終わり、すぐに各州の得票数が表示された。
長い事待つ必要はなく、すぐに集計された数値が表示される。
しかもこのニュースは30分ほど前のもので、地球上では今頃勝利した候補者が勝利宣言をしているはずである。
あっけなく結果が判明した。
「エンデヴァー」元船長は敗北した。
ほぼ同じ頃、テキサスの理沙の自宅では、ジェシーが夕食を食べながら選挙の結果を眺めていた。
「エンデヴァー」元船長は、全50州のうち選挙人を確保できたのはわずか15州。
しかもその州では対立候補と拮抗した中でかろうじての勝利だった。
知名度ゆえに投票日ぎりぎりまで支持率が拮抗していたのが、蓋を開けたらこの状況である。
[私は、夢物語を語るようなことはしません。人間は夢物語の中で生きているわけではありません]
3日前に、木星から帰宅するとの連絡を理沙から聞いた時、彼女は意気揚々としていて、
次回の「エンデヴァー」OB会は盛り上がるだろうと語っていたのだが、果たしてこのニュースを見てどう思っているのか。
地球から連絡船まで電波が届くタイム・ラグが30分ほどだから、もうそろそろ選挙の結果を見ている頃だろう、
時計を見ながら、ジェシーは理沙の心境についてあれこれ想像していた。
[街に溢れている失業者のために、また、最低生活水準でかろうじて生きている人々のために、私は誠心誠意働きます。
社会保障を充実させ、感染症対策のために予算を投入します。まずは私たちの日々の生活の立て直しが急務です。
そして国力を回復させ、国防体制を強化し、物事に優先順位をつけながら我が国を立て直していきます]
画面の中で勝利宣言をしている新大統領は、選挙期間中は演説のたびに巨額の宇宙予算について反対意見を述べていた。
大統領討論会の際には、木星の核融合燃料開発事業のことをやり玉にあげ、意見が対立していた。
「エンデヴァー」元船長は、目先のことも重要だが、10年、20年、100年先の問題解決のための投資だと述べたが、
世論は、目先の生活の安定の方を選んだ。
[もう夢物語に惑わされるのはやめましょう。夢から目覚めて、地に足のついた生活を始める時がやってきました]
新大統領の演説は終わった。
ジェシーは画面のスイッチを切り、食器の片付けを始めた。
* * * *
「予算にはかなりの影響があると考えている。
新大統領は、プロジェクトの合衆国拠出金について常に異議申し立てしていたから、今後どうなるかはすぐに想像がつく。
さっそく大統領令が出るのではないかと」
大統領交代にともない、事業団本部では早速今後に向けての動きが始まっていた。
幸いにも、年末には核融合燃料の地球への最初の出荷が始まることになっており、
生産体制に問題がない事を今回の出張で確認済みなので、その点で議会で意義が出る事はないと考えていた。
問題はその後である。
生産が始まるとはいえ、フル操業には程遠い状態で、
プラントの稼働状況から事業継続の意義について指摘される事になるはず。
損益分岐点に到達するには、改良型原子力ラムジェット機の1日も完成とテストの成功、1000機の完成が必須だった。
「来年が事業継続上の最大の山場になると考えている」
上司からの連絡はそこまでだった。
船のラウンジで外を眺めながら、理沙は、もしかしたら今回が木星への最後の出張になるのだろうかと思った。
木星では、来月の最初の製品出荷のために、淡々と準備が進められていたが、
鶴の一声で、現場のスタッフすべて地球への帰還命令が下るかもしれない。
最悪の場合、多額の予算が投入されたプラントは放棄され、作業プラットフォームはもぬけの殻になるかもしれない。
合衆国が脱退したからといって、プロジェクト全体が即ストップするということはないにしても、
残った加盟国だけでのプロジェクトの継続は難しいだろう。
そんなことについて考えをまとめると、理沙は上司そして事業団長官に対して返信のコメントを入れた。
返信を終えると、ラウンジから自分の個室に戻り、コーヒーを飲みながら日々の事務処理を始めた。
* * * *
2週間後、理沙はテキサスの空港に到着した。
ジェシーと祖父である元上司が空港ロビーで待っていた。理沙はいつもの癖でなぜか祖父の敬礼に反応して敬礼してしまう。
「どうもご苦労様」
お互いにいまだに軍での習慣が抜けていない。しかし不思議な事に、この方が違和感がない。
「大変なようだね。これから締め付けが厳しくなると思うが」
「ええ」
出口まで歩いている間、理沙はここ数日の事業団内での出来事について話し始めた。
「新大統領はさっそく人事に着手していますが、私たちにいい情報はありませんね」
部下である長官たち、理沙にとって直接かかわりがあるのは国防省だが、
エネルギー省、財務省の動きの方が気になっていた。
事業団長官の首だって、もしかしたらすげ替えられるのかもしれない。
「軍から、戻ってくるようにとの命令は?」
タクシーに乗り、ジェシーを前の席に座らせると、理沙と祖父は後部座席で2人だけで話を続けた。
「あるかもしれませんが、その時には従うだけです」
以前、ロジスティック担当の司令官から声をかけられたことがあり、
その場は再考すると述べただけで軍へ戻ることはしなかった。
宇宙揚陸艦の件にしても、予算がなければ建造することもできないし、
木星の核融合燃料生産事業を前提としているので、その前提が崩れればすべてが消え去る。
「年末の生産開始に今は注力しています。他の余計なことは考えないようにしています」
空港から郊外へ向かう高速に入り、ごみごみして薄汚れた工場群を眺めている間、2人の会話は途切れた。
「ああ、そういえば」
思い出したように突然に理沙は言った。
「おととい、「エンデヴァー」OB会の案内が届きました。元船長も出席するようですが」
元大佐は苦笑いした。
「OB会というよりも、大統領選慰労会だな」
理沙もまた苦笑いした。
* * * *
「皆さん、大統領就任にあたり。。。。」
元船長がそこまで言いかけたところで、会場内から笑いとヤジが飛んだ。
元船長は手で制止した。
慣例に従い、元船長が乾杯のスピーチをしてOB会は始まった。
「エンデヴァー」はすでに木星、土星含め太陽系内を8回も航海し、OBの人数は100人近くになっていた。
その中で最初の航海に参加した、理沙も含めた12人は、[最初の12人]と呼ばれいつでも一目置かれていた。
そしてその中心には、元船長と彼と結婚したメリッサ、
会場の真ん中には、「エンデヴァー」の形をまねたバーベキューセットがあり、長い船体を模した肉の塊と、
人工重力区画を模したソーセージが巻きつけられていた。
「今回、推進システムが増強されて、推進器の区画がかなり太くなりました」
と言いながら、次の9回目の航海に参加する担当者が、推進器の肉の塊の部分を指し示しながら説明を始めた。
「しかし、相変わらずセンスないわね」
少し離れたところでその説明を聞きながら、理沙は苦言を述べた。
当時の航行システム担当と会うのは2年ぶりで、しかし、彼の口からもいい話題は出ない。
「大統領に当選していたら、もっといい酒が飲めたんだろうなぁ」
「そんな事はないでしょ」
理沙はすぐに否定した。
「そもそも大統領が、こんな下らないパーティーには出席しないと思う」
「皆さん、いろいろと今までご支援ありがとうございました」
宴もたけなわ、酔いも少々まわってきたところで、元船長が壇上に再び上がった。
最初のスピーチの時のように笑いが起きたが、元船長の表情と口調が先ほどと違うので、場内はすぐに静かになった。
「残念ながら今日は勝利の美酒の場になりませんでした。大統領になるのは非常に難しいということを痛感しました。
単なる人気と知名度では無理なのです。夢を語るだけでは腹は一杯にならない」
そしてしばらくの間は、厳しい時期が続くことについて語った。
「苦難の時期になると思っています。予算が削減されるかもしれません。
しばらくの間は「エンデヴァー」の調査航海が続くと思いますが、いつ予算が切られるかもしれません、
しかし、幸いな事に3回の予定だった「エンデヴァー」の航海は、今後あと4回の予定が確定しています。
木星、土星だけではなく、天王星、海王星、冥王星への航海もプラン中だと聞きました。止めなければ、必ず道は開けます」
いつの間にか、会場内は静まり返っていた。
ジョークをとばしている元船長の姿はそこにはない。
彼は単なる敗北者ではなかった。
「目先の事も確かに重要でしょう。人は現実の世界で生きているのであり、夢に生きるのではないと。
とはいえ、人類が他の生物と大きく異なるのは、時間の概念を持っているという事です。
1年先、10年先、100年先のことを想像し、今早急になすべきことと、将来に向けて準備することを常にわきまえています。
大統領は単なる目先のことで人気をとる存在ではありません、なので私は」
会場を見渡し、元船長はひと呼吸おいた。
「私は再度挑戦します。4年後のために今から大統領選に出馬します」
まだまだ彼の気持ちは熱いままだった。
20年近く前の、「エンデヴァー」の会議室でのあのスピーチのことを理沙は再び思い出した。
ばらばらな拍手が場内から沸き上がった。
しかし、さきほどの拍手よりもさらに大きな拍手だった。