次のステップへと
ニュース映像で、国会議事堂前のデモ行進を眺めながら、
木星資源開発事業が今回もまたやり玉にあげられて、議会に圧力がかけられている事を、理沙は再び認識した。
いったいこれでもう何度目なのだろう。
新大統領は先月の就任式の際に、これからは国の経済を立て直し、
高福祉の社会を目指すと宣言したものの、財源の根拠は全くない。
就任して2か月目にして、さっそく議会は紛糾し、そのドサクサに紛れて再び議論になったのが木星資源開発事業である。
さっそく来年度分の事業拠出金は20パーセント削減されたが、
腹の虫のおさまらない国民は、デモで自分たちの怒りを表現していた。
「もし、船長が大統領になっていたら」
会議が終わり、ニュース映像を眺めながら、理沙は呟いた。
「いや、みんなからつるし上げを食らっていたんじゃないかと」
長官のその一言には、理沙も同感だった。
まだ時が熟していなかったと思えばいい。
あと4年で皆を見返してやろうと理沙は改めて思った。
* * * *
自己増殖システム[Metal-seed]の実験について、STUからの2回目の状況報告が行われた。
太陽/地球L3の小惑星での増殖実験は完了し、続けて実施された自動化工場の建設も完了したという内容だった。
小惑星は、既に原型をとどめないほどに形を変え、自動化工場が表面を埋め尽くし、
その両側数キロにわたり、太陽光パネルが整然と並べられていた。
電力生産量は1200万キロワットを超える。
また、ブドウの房のように見えるのは、核融合燃料の貯蔵タンク。
核融合炉の設置は予定されていないが、輸送船の燃料補給のために設置されたものである。
理沙は、記録映像の隅に表示されている日付表示が気になっていた。
「いちおう、念のためということでお聞きしますが」
技術担当者は、しっかり鋭い目つきで見つめる理沙に対し、少しも動揺していなかった。
「日付が、2年前なのですが」
すぐに技術担当者は反応した。それも想定内の質問と認識しているかのように。
「私たちは、慎重に作業を進めました。慎重すぎるくらいに対応しなくてはいけないほど、この実験は危険なものです」
もし失敗した場合は、不良品のロボットが大量生産されることになるだけではなく、
動作中に増殖が暴走するなどという事になれば、取り返しのつかないことになる。
もし失敗した際には核爆発で全て抹消することも考慮していたと、技術担当者は説明した。
「特に、軍事転用されないかと私たちは心配しています」
訴えるような視線が、理沙に向けられた。
「わかりました。非常に有用な技術であることは認識しています。引き続き事故がないようによろしくお願いします」
そのあとは、改良型原子力ラムジェット機の木星での再テストに向けての打ち合わせが行われた。
テストが成功すれば、すぐに設計データが自動化工場に送付されて、本格的な製造が始まることになっていた。
* * * *
数か月前に会った時には、元船長はまだ気持ちもしっかりしていて、
明日にでも大統領選に出馬するほどの勢いがあったが、敗者には過酷な現実が待っている。
大統領選挙のために使った多額の資金は、全てムダとなり、スポンサーは次々に離れていった。
今日再会した元船長は、今の生活の状態を面白おかしく語っていたが、
多額の借金を背負い、明日にでも路頭に迷うのではないかとの言葉を、理沙は笑い飛ばすことはできなかった。
しかし彼は、4年後に向けての闘志だけは失ってはいない。
「今大統領にならなかった方がよかったのではと、今では思っている。もし当選していたら今頃は殺されていたかもしれない」
つい先日に理沙も、同じようなことを長官と雑談していたことを話すと、元船長は笑い転げた。
ごく限られた一部の人々しか知る事を許されていない、[Metal-seed]システムの状況を、理沙は元船長に概要だけ伝えた。
そして原子力ラムジェット機の再テストが成功すれば、風向きが大きく変わるという事も。
「とにかく、あと4年は我慢してください。必ず成功させますから、そして大統領になってください」
2週間後、改良型の原子力ラムジェット機がヘビーリフターに積み込まれ、地球/月L3で待機している輸送船へと打ち上げられた。
「いろいろと逆風となるような出来事ばかりでした。ここ2か月間は特に。
開発事業に対しての拠出金の2割カットが、先日議会で決定し、事業団職員の削減も全くないとは言い切れません。
とはいえ、改良型ラムジェット機は完成し、今日ようやく木星へ向けて輸送する準備ができました」
長官に述べてもらう予定の訓示内容だったが、長官に勧められて今日は理沙が述べることになった。
管制室のスタッフを前にして何かを述べるというのは、自分の事のように思えて、他人事のようにも思えてしまう。
「ちょうど20年前になりますが、私は宇宙船「エンデヴァー」での最初の航海で、木星の姿を生で見る事ができました。
生々しいその雲海に、非常に畏怖の念を感じたものですが、
さらに遡る事15年前に、私は木星のヘリウム3資源を活用することで、木星を太陽系内のハブ空港的な拠点にしようと、
レポートを書いて、事業団の面接に臨んだことがありました。
今から思えば何と無謀な事をしたかと恥ずかしく思えます。
ですが、その無謀な案が面接官の目に留まり、最終選考まで残り、事業化されて今日この日に至る。
ある意味非常にラッキーだった思っています。
100年前にもしこのような案を考えても誰も実行できなかった。一蹴されて終わりでしょう。
科学雑誌やSF物語のネタとして使われるだけだったかもしれません」
そこでひと呼吸おいて、理沙は管制室内を見渡した。
スタッフの中には、「エンデヴァー」の最初の航海の時にもこの場にいた者もいる。
その頃はまだ若かった者たちが、今では主任スタッフやマネージャーとなり、後進を束ねてプロジェクトを推進してくれている。
「今日が一番重要な日になるのかもしれません。今日もワシントンでは国会議事堂の前でデモ行進が行われているようです。
生活苦と雇用を何とかしろとの叫びが起こっています。
私達も含めて、生活が苦しいというのは同じです。
だからといって私は給料上げろとの雄たけびを、彼らに混じって行うつもりは全くありません。
私は、皆さんと一緒に仕事ができて非常に光栄だと思っています。そしてこれからも本稼働に向けてよろしくお願いします」
管制室の皆から拍手があがった。理沙は深々と頭を下げた。
「では、準備ができたところで始めましょう。輸送船の出発準備の状況は?」
理沙はディスプレイ画面の向こう側の、地球/月L3作業プラットフォームの作業員に向けて声をかけた。
「準備はできています。いつでも出発が可能です」
管制室のスタッフは再び各々の持ち場につき、出発前のチェックリストが読み上げられていった。
すべて準備完了の合図を確認し、理沙は言った。
「では、次のステップに向けてスタートです」
輸送船がゆっくりとプラットフォームから離れ、やがて木星へ向けての加速を始めた。
* * * *
「いよいよ明日なんだね」
ジェシーとの夕食が、今回がもしかしたら最後になるのではないかとふと思ったが、
「まぁ、ちゃんと帰ってくるから。結婚式には間に合うよ」
彼女も同じようなことを考えているのだろう。
お互いに口に出して言わないだけだ。
ジェシーの結婚式の予定は年末に決まっているが、その間に木星へ行き再び帰ってくることができるものなのか、
地上の管制室で指揮を取っていてもよいのではないかと、長官や上司も含め何度か勧められたことがあったが、
重大な局面にはトップ自らが現場に行くべきで、
それが現場に良い緊張を生み出し、モチベーション向上につながると、理沙は思っていた。
現場スタッフは命がけで仕事をしているのだ。
出発前日の夜、ジェシーと夕食後は、仕事の関係で夜遅くなって帰宅した彼女のフィアンセも含めて3人で外出した。
街の夜景を眺める事ができるラウンジで、3人でくつろぎながらワインを飲み、
日付が変わる時刻になったところで帰宅した。
翌日のシャトル出発は夕方なので昼近くまで優雅に寝た。
そんな時に限って、理沙は悪夢を見てしまう事が多かった。
夢の中、空港から飛び立つシャトルを、地上からしばらく眺めていたところ、
シャトルはそれほど高くないところで大爆発を起こし、炎と飛び散った機体が理沙の周囲に雨あられのように降り注ぎ、
しかし、誰も理沙の事を助けない。
炎が自分の周りにどんどん燃え広がり、収束がつかないほどになり、そこで理沙ははっとなって目覚めた。
ようやく夜が明けて空が明るくなりかけたところだった。
理沙は動揺でしばらく眠ることができなかった。