もうひとつの未来
父親と一緒にヴァージン・ロードを歩くジェシー。
讃美歌が流れる厳かな雰囲気の中で、理沙は彼女がやって来るのを待っていた。
そして、彼女は理沙のすぐそばを通り過ぎて行く。
ジェシーの方に目を向けると、ほんの一瞬ではあったが、彼女の方も理沙に視線を向けていた。
そのわずかな一瞬、見つめられている自分が、反対に自分自身のことを見つめているような錯覚にとらわれた。
理沙は、ヴェール越しに、立っている理沙自身を見つめていた。
まわりにいる人々も、いつのまにか消え去り、理沙はもう一人の理沙と正面から向き合っていた。
視線を前に向けると、白のタキシードを着た彼が待っていた。
父親の腕から離れて、理沙は彼と腕組みをして、祭壇に向けて歩いて行った。
後ろから見つめるもう一人の自分自身のことが気になるが、一歩一歩、しっかりと祭壇に向けて歩みを進める。
二人は神父の前に立ち、神父が読み上げるのを少しうなだれながら聞いていた。
「あなたは、健やかなるときも、病める時も、この者を妻とし。。。。」
神父の声が、徐々に遠のいていった。
まわりの風景もまた、淡いミルク色のようなもやに包まれて、そのもやの中で隣に立っている彼もまた溶け込んで消えていった。
気がつくと、いつのまにか理沙は一人で祭壇の前に立っていた。
振り返ると、黒のドレスを着たもう一人の理沙が、5メートルほど離れた場所に立っていた。
「おめでとう」
もう一人の理沙が、笑顔で声をかけてきた。
今の状況を理解できず、理沙はもう一人の理沙に呼びかけた。
「これって、どういうこと?」
返事はなかった。
もう一人の理沙は、背を向けて歩き始めた。
やがてもやの中にその姿は消え去り、理沙は一人取り残された。
* * * *
はっとなり、意識が戻った。
理沙はドアの前に立っていた。非常に見覚えのある光景だった。
冬の時期にしては、少々汗ばむような午後だった。
理沙は意を決してドアベルを鳴らした。
1分ほど待って、ドアが開いた。
目の前には彼が立っていた。
意表を突かれたのか、彼はその場に立ったままで、言葉が出なかった。
「もう、退院したの?」
理沙は、胸の奥からこみ上げる気持ちを抑える事ができなかった。
力いっぱい、彼に抱きついた。
死の淵を長い時間さまよい、その間、とにかく生き続けようという気持ちしかなかった。
生きてさえいれば、再び彼と会うことが出来るかもしれない。
体がどうなろうと、それはどうでもいいと思った。
サイボーグの体になって目覚めて、苦痛と悶絶だけが延々と続いたリハビリ期間を乗り越え、
念願かなって外出許可を得た時には、彼と再会することしか頭の中にはなかった。
欲望に流されるままに、その日の夜は、ただやみくもにお互いの体を求めあった。
というよりも、ほとんど理沙の方が強引に彼の事を求めている状態だった。
主治医からは、性的な快感については、今までのような感覚が得られるかどうかは未知数で、
理沙が望んでいるような快感を得られるかどうかはわからない、と説明を受けていた。
しかし、それはどうでもよかった。
彼は、理沙の事をいたわる事だけに懸命になっていた。
大粒の汗が肌に流れているのがよく見える。
その懸命になっている彼に合わせて、理沙もまた呼吸を合わせてゆく。
しかし、なぜか理沙の頭の中は冷静だった。
冷めた目で見てみると、彼の動きが滑稽に見えてくる。
やがて、疲れ果てた彼は、理沙の体から離れた。
「ごめん」
理沙は薄暗闇の中で、彼のそのものをチラ、と眺めた。
中折れしてしまったようで元気がない。
「いいのよ」
しばらくの間、2人は全裸状態のままで横たわっていたが、
「謝らなくてはいけないのは、あたしの方」
そして、空港でのシャトル事故から今日までの間の、変わらぬ思いについて淡々と話を始めた。
事故に巻き込まれた、そもそもの原因は、自分の身勝手な判断によるもので、
真の原因は、ヴェラに彼を奪い取られたくなかったからということ。
そのために無理やり作業員用シャトルに乗り込み、不慮の事故に巻き込まれてしまった。5人も巻き込んで。
「こんな体になってしまって、もう普通の女性として生きていくのは無理だよね」
今日の出来事は、2人だけの思い出にして、大事に心の中にしまっておこう。
単に性欲を満足させるだけの、精巧なセクサロイドに自分はなってしまったのだと思った。
「いや、私こそすまないと思っている」
彼は真顔だった。
「ヴェラと、話をしたんだ」
月での核融合推進システムのテスト立ち合いの期間中、ヴェラからは何度も言い寄られて、
親密な付き合いをした事があり、何度か夜を共にすごしたこともあったことを、彼は淡々と話した。
彼とヴェラとの間の出来事に理沙は衝撃を受けたが、月への出張期間も含め2年間の地球での自分の不在期間を思えば、
無理もないと思った。
何度か月から電話で会話した時にも、彼の事務的な話し方に、違和感を覚えたこともあったが、
もう済んでしまったこと、あきらめようという思いが理沙の脳裏をよぎった時、彼は言った。
「なんだか気持ちがしっくりこなかった。いつも月に出張している理沙の事が気になって」
その一言に、理沙ははっと我に返った。
今夜のことを単なる思い出にしようと、半ば諦めていたところだった。
「何度も言い出せるチャンスがあったはずなのに、なかなか言えなかったな、本当にすまなかったと思っている。理沙」
「それって、どういうこと?」
沈黙が、しばらくの間続いた。
ようやく彼が話を始めた時、カーテン越しに朝日が差し込み始めた。
「出張で、カダラシュに行ったことがあっただろう、あの時がきっかけだった」
核融合推進システムのプロトタイプ設計にあたり、業者との調整等で振り回され、
仕事も終えて一段落した時、ホテルで夕食をとっていた時のことが、再び思い出された。
雲一つない夜空、満月が海を照らし、爽やかな空気の夜に、理沙は彼と一緒にベランダ席で食事をした。
仕事の事は一旦忘れ、ワインを飲みながらどうでもいいような世間話をした、1時間ほどの出来事だった。
「普通に食事をして、世間話をして、でも、気持ちが落ち着かなかったな」
一瞬、会話が途絶えた瞬間があった。
理沙は、再び食事に手をつけたが、そのとき彼の方はじっと理沙のことを見つめていた。
「こんな人と、ずっと一緒に暮らせたらなぁ、と」
再び、理沙はあの日の夜に戻っていた。
再び食事に手をつけ、ワインを一口飲み、そこで彼の視線に気づいた。
「どうかしたの?」
何か言いたそうにも見えたが、あえて理沙は自分からは言わずに、彼に言わせようと思った。
「何か気になる事でもあるのかな」
「そうだ」
彼はじっと理沙の事を見つめていた。理沙もまた手を止めて、待った。
「一緒に暮らせたらいいなぁ」
「え?」
意表を突かれた理沙は、つい反射的に笑ってしまった。しかし、彼の方は真顔だった。
「本気だよ」
再び夜明けの彼の部屋に戻っていた。
「あの時言っていた事は、本気だったの?」
彼は頷いた。
「こんな私でも、いいの?」
彼とのこれから先の生活について、考えれば考えるほど、ネガティブな部分ばかりが気になってしまう。
仕事のことは別として、普通に生活する事、2人でテーブルに向かい合って座り、食事をすること。
一緒に年月を重ねて、やがて年を取っても一緒に暮らしている姿が、想像できなかった。
「いいんだ。理沙と一緒に生活できれば」
心がつながっていればそれでいいのか、不安な気持ちでいっぱいだったが、その一言が理沙にとっては嬉しかった。
* * * *
理沙は、再び教会に戻っていた。
理沙の目の前を、ジェシーが歩いていた。
父親との腕組みから手を離して、夫と手を繋いだ。
現実と、非現実が理沙の頭の中で錯綜していた。
夢でも見ているようだった。
もしかしたらあり得たかもしれない未来の理沙を、ジェシーの姿に重ねていた。
結ばれようとしている2人は、神父の前に立ち、やがて神父は言った。
「あなたは、健やかなるときも、病める時も、この者を妻とし。。。。。」