スペースコロニー
就役からはや20年、「エンデヴァー」は建造当初は多額の予算のムダ使いだと世論で叩かれ、
木星や土星への探査もいつ打ち切られるかわからないという不安な日々もあったが、
当初3回分の予算しか確保されていなかった探査計画は、その後6回、10回と延長され、
今ではさらに20年延命のための改造計画が行われていた。
改造計画は、主に「エンデヴァー」を技術検証のために活用することを目的としたもので、
推進システムを大推力の核融合推進システムに交換する事、また、船体中央のトラス構造をさらに強靭なものとし、
輸送用コンテナを大量に取り付け可能とする事、等の改造が行われた。
改造が完了した時の姿は、20年前に就役した時とは姿かたちも全く違い、すらりとした美しい姿は失われてしまい、
無骨な、単に機能一点張りの姿となってしまった。
しかし、乗組員にとっては、そんな事はどうでもよかった。
木星や土星、さらにはその先を目指す、船乗りにとっては憧れの船であり、「エンデヴァー」乗組員という経歴は、
人生での勲章であり、非常に誇りであると思っていた。
毎年開催される、「エンデヴァー」乗組員OB会は年を重ねるごとに規模が大きくなり、元船長と理沙含めた12人は、
今やある意味神のような存在となっていた。
改造が完了した「エンデヴァー」の木星への出発を、理沙は今回も管制室から見守った。
大統領選挙の出馬準備に忙しい元船長は、選挙事務所で出発の映像を見ていた。
地球/月L1から出発した「エンデヴァー」は、地球の重力アシストにより方向を変えて、木星へと加速を始めた。
その航路からそれほど離れていない、地球/月L4では、1つの小惑星が係留のための最後の軌道修正を実行中だった。
* * * *
「エンデヴァー」の出発を見送ると、理沙は再び自分の本来の仕事に戻った。
今や木星の核融合燃料生産事業は、本格生産に向けて一気に加速を始めていた。
改良型の原子力ラムジェット機は、木星での過酷なストレステストを全てクリアし、
この事を契機としてヘリウム3/水素の本格生産に向け、原子力ラムジェット機の生産が一気にスタートした。
まずは60機を生産して木星に送り出したのがつい先日。
引き続いて400機の生産が開始され、その次には540機の生産が計画されていた。
合計で1000機になると、3基の精製プラントもようやく本来の能力を発揮することになり、3基の作業プラットフォームは、
業務のために多忙となることが予想された。
人員削減で100人少々にまで縮小された現地スタッフは、再び1000人体制にまで増員されることが決まり、
次から次へと、物事が目まぐるしく動いていた。
しかし、理沙にとってこの事は非常に嬉しい事だった。
「おそらく。。。」
理沙は事業団上層部を前に、今後の生産計画を画面上に示した。
「来年には、月でのヘリウム3生産を、木星が追い抜くことになるでしょう。その後も生産がさらに拡大します」
今までは、事あるごとに上層部メンバーからひどい追及を受けていたのが、今日は特に大きな指摘もなく、
会議は平穏無事に終わった。
「ここまでのあなたのリーダーシップに、感謝します」
理沙に対して、時には辛らつな言葉も向けてきた役員のその一言に、非常に胸がすく思いがした。
ところで。。。。と、そこで長官は話題を変えてきた。
「スペースコロニー計画が、いよいよ本格的に動くことになりそうです」
2050年代から、話題になっては消え、盛り上がっては再び下火にの繰り返しが続いていた、スペースコロニー計画だったが、
自動増殖ロボットの実用化にともない、再びスポットライトが当てられることになった。
地球や月から資材を輸送するとなると、莫大な予算が必要となり、
その頃に実用化された1000トン級ヘビーリフターを使用したとしても、建設資材を地球や月から運び上げるのは非現実的。
景気対策のための宇宙産業への国家予算投入については、おおよその了承は得られても、
いざ費用見積りを行ってみると、これでは国が破綻するのではないかと議論が再燃し、
国会議事堂の前ではデモ行進が行われる。
このパターンの繰り返しだった。
「とはいえ、大統領はまだ反対している。国民の支持は得られないし、何よりも次の大統領選で勝つ事しか頭にない」
実際のところ、今回の計画で建設されるスペースコロニーの規模は、収容人数が2万人程度。
今までに作られた宇宙ステーションや、作業用プラットフォームの規模から比べれば、格段に巨大なものではあるが、
世界総人口110億人から比べれば、2万人の規模のスペースコロニーは人口問題の解決の観点では、
解決策と呼べるような代物ではない。
「金持ちだけが住む、宇宙のリゾートとしか呼ばれないんでしょうね」
理沙は、元船長の選挙事務所を訪ねた時に、スペースコロニー計画の意義と、大統領選挙への影響について、
元船長に尋ねてみた。
「リゾートという呼び方には、まぁ、確かにそうなのかもしれないが」
外はここ数年では非常に珍しく、氷点下数十度の寒さが続いていた。
ニューヨーク近郊の住宅地は、氷だらけの世界の風景に変わっていた。
暖かい部屋の中とは別世界である。
「では、この計画には反対?」
「反対だ」
元船長はすぐに反応した。「今のところはね」
理沙は、不気味に笑っているその表情に、何か深い思いがあるのだなとすぐに察した。
「大統領選でこの事を争点にするつもりもない。ただし、もし当選したら、先々ちょっとやってみたい事がある」
土星から地球への帰還の日、大統領選への出馬とメリッサと結婚することを宣言したように、
彼は、何かとサプライズが好きな人物だった。
理沙は考えをそれとなく聞き出そうと、元船長に問いかけたが、考えを言う事はなかった。
「今はとにかく、木星での事業を軌道に乗せる事に注力して欲しい」
選挙事務所での滞在時間は1時間少々、理沙は慌ただしくその日のうちにテキサスに戻った。
帰りの飛行機の中でも、理沙は元船長の別れ際の言葉が心の中で引っかかっていた。
「そのうちわかる」
* * * *
地球/月L4に、トロヤ小惑星群から到着した小惑星が係留され、作業拠点が設置されると、
小惑星の中心部分に向けての穴を掘る作業が開始された。
作業は半月ほどで完了し、シリンダー型の物体が穴の中に入れられた。
Metal-seedシステムの起動を見るのは、理沙にとっては初めての事だった。
管制室の理沙が座る席の目の前で、STUの技術者が、現地のスタッフと連絡を取り合っていた。
長いやり取りがようやく終わり、STUの技術リーダーが準備完了したことを理沙に報告した。
「では、よろしいですね?」
理沙の合図でMetal-seedシステムが作業を開始した。
しかし、システムが穴の中で起動したばかりの時点では、目の前のディスプレイ上の光景には変化は全く見られない。
今回の計画では、スペースコロニー建設に先立ち、資材生産工場とエネルギー生産設備を建設することになっていた。
スペースコロニー建設の準備であることは、ごく一部の人間以外には知らされていない。
議会承認が完了次第、2万人規模のスペースコロニー建設が始まることになっている。
ではそれを承認するのは、現大統領なのか、または次の大統領なのか。
次の大統領選挙に向けた選挙戦がいよいよ始まり、ニュースでは「エンデヴァー」元船長の2度目の挑戦が話題になっていた。
すでに、前回落選者のレッテルが貼られて、マイナスからのスタートだと揶揄されていたが、
そんな陰口などまったく気にせずに、元船長は大統領選挙への意気込みを述べていた。
「私達には、新しいフロンティアが必要です。21世紀前半の全世界を疲弊させるような覇権争いを乗り越えた今、
次の世紀へ向けての歩みが始まっています。私たちはまずは自分の生活の安定から始め、生活環境を改善し、
地に足がついた生活を目指すべきと考えます」
では、原始共産主義の世界を目指すのだろうか?
彼の演説を聞きながら、理沙はふと思った。
* * * *
しばらく通っていなかった、アンティークショップに理沙は再び立ち寄った。
今日は理沙の他に客が1人入っていた。
何かまた目新しい古着や、アナログレコードをしばらく手に取って眺めていたが、
古本のコーナーで、理沙はふとある1冊の本のタイトルが目につき、さっそくその本を手に取った。
その本の内容自体は、理沙も既に知っているもので、事業団の技術ライブラリーの中を探せば簡単に閲覧できるものである。
[HI-frontier:宇宙植民島]とのタイトルには、100年前の一人の大学教授の強い思いが込められていた。
地球上の限られた大きさの世界での成長には限界があり、その限界突破のために宇宙に生活拠点を構築し、
さらに遠くに生活圏を拡大すべきと彼は述べていた。
その思いが現実のものになろうとしている今、いったん頭の中をリセットして、素直な気持ちで物事を見つめるべきではないのか。
100年前のその紙の本を理沙は手に取り、早速購入した。