喧騒の陰に隠れひっそりと

大統領候補者の討論会を見ながら、共和党、または民主党の支持者は候補者の発言のたびに息巻いていた。
その様子をヴェラは少し冷めた目で眺めていた。
彼女は共和党の支持者ではあるが、民主党候補者の発言も気にしていた。
4年前の前回は大差で敗北したが、再び立ち上がっていた。
元宇宙船「エンデヴァー」の船長である彼について、親友である理沙から時々聞かされていたが、
また敗北して多額の借金を抱える事にはならないか、そんな悪い予感もしたが、
共和党の現職に食らいつき、人類のフロンティアについて説いていた。
しかし、この演説は1時間以上前の出来事である。
ここ土星の衛星タイタンでは200人ほどの作業員が生活する宿舎しかない。まさに僻地といったほうがいい。
ここでは大統領が誰になろうともあまり関係ないという冷めた空気があった。
しかし、ヴェラにとっての冷めた気持ちはまた別な理由によるものだった。

*     *     *     *

「相乗りねぇ。。。。」
事業団長官は、ヴェラが作成した10ページほどの実施計画書を眺め、
「誰もやりたがらない、この件をやるつもり?」
「でも、誰かがやらなければ」
彼女がこの案件に取り組み始めてかれこれ30年以上。
木星資源開発が佳境を迎え、つい最近では原子力ラムジェット機の事故の件もあり、
長官の頭の中は原因追及と事故対策の事で頭がいっぱいだった。
議会からも木星資源開発の意義について問いただされていた。
「それに、あまり注目されていないからこそ、やれるのでは?」
「そんなドサクサ紛れな発想はやめてくれ。失敗したら今回の件どころではなくなる」
しかし、ヴェラはその程度の事では折れない。
何度も研究の意義について問いただされ、時には罵倒されたこともあり、
それでも諦めずに、時には罵声に対して罵声で対応したこともあった。
[鋼のメンタル女]と彼女が言われているのはこれが由縁である。
「タイタンの検証施設は、次世代の宇宙船のためのものでしょう。次世代システムが相乗りするのはなぜダメなんですか?」


*     *     *     *

4年前に最初にタイタンに行った日の事をふと思い出した。
1年間の単身赴任については、夫から猛反対された。
子供は13歳の多感な時期、それなのに1年も家を空けるとは。
仕事に対する異常なまでの執着に、今回の件に限らず夫婦での喧嘩は耐えなかった。
だったらなぜ結婚したの?
理沙からも言われたその言葉が脳裏をよぎる。
そして土星への中継地である木星の作業プラットフォームBで理沙とのまさかの再会。
プロジェクトが佳境で多忙のはずなのに、そんなことは全く感じられないほどの理沙。
日頃のストレスも忘れるために雑談に花が咲いた。
しかし、タイタンでの仕事の事になると急に口が重くなる。
ヴェラは理沙に感づかれないように微妙に話をそらせた。
理沙であれば感づいて見逃すことはないだろう。
しかし、理沙はそれ以上仕事の内容に触れる事はしなかった。
ごめんなさい、本当の事は喋ることはできないの。
離れてゆく作業プラットフォームBを見ながら、ヴェラは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


*     *     *     *

大統領候補者の討論会は終わり、食堂にいた作業員は再び作業に向かっていった。
数人の作業員が、食堂の片隅で会議をしているのを見ながら、アナウンスを待っていた。
端末をカバンから取り出して、作業工程表を眺めたり、
目が疲れると窓の外の荒涼とした風景を眺めたり、先日送られてきた娘の動画を見たり、
2杯目のコーヒーを取りに行こうとキッチンに向かったところでアナウンスがあった。
すぐにカバンと端末を取って食堂を出る。
通路を歩きながら、窓の外に見える核融合ユニットを眺める。
彼女が今回の作業で到着した2週間後にユニットの設置は行われた。
タイタンの居住基地は、1200人が生活できる巨大な施設である。
4年前に最初に彼女がやってきた時には、まだ建設が始まったばかりだった。
必要な資材はすべて地球から輸送されるのだが、
1つが1000トンから2000トンの、あらかじめ組み立て済みのユニットが、巨大なキャリアーに搭載されて1年かけて輸送された。
1000トンを輸送可能なヘビーリフターがタイタン周回軌道と表面を何度か往復し、
まずは建設用の機械と作業員の宿舎がタイタンに降ろされた。
引き続き、50人の作業員が1年近くかけて1平方キロメートルの土地を整地した。
その後は施設の各ユニットが次々に設置される。
最後に、3000トンもある巨大な核融合ユニットが、4基のヘビーリフターに支えられながら慎重に輸送されてきた。
その巨大な重量ゆえに、着陸時には衝撃で一帯が地震のように揺れた。
[メンタル女]もその振動には恐怖を感じた。


*     *     *     *

中央監視室に到着したヴェラ。
作業員がモニター画面に向かい、作業工程をチェックしていた。
「1時間前」
作業主任が各担当者に状況確認を指示した。
各担当者からは作業続行との声があがる。
ひととおりチェックが終わったときに、行政官がヴェラに近づいてきた。
「行ってみますか?」
モニター画面の中央には、核融合炉の状態を示すステータス表示と、核融合炉の炉心のモニターがあった。
すでに準備のための運転は始まっていて、出力10パーセントを表示していた。
「寒い部屋が、暖かくなるのを体感できますよ」
建設作業期間中は、原子炉ユニットが作業宿舎とこの監視室のみの動力をまかなっているのだが、
今日核融合ユニットが動作すれば、施設全体に動力が供給され、
莫大な熱によって施設全体を温める事が可能になるはずだった。
作業服を身にまとうと、行政官のあとを追ってヴェラは外に出た。
マイナス160度の屋外に出ると、靄の向こうに土星が見えた。


*     *     *     *

屋外を歩く数分の間、何度か核融合ユニットを眺め、
この強烈に寒いところに温暖な居住施設を設置しようという、いかにも無謀と思えるこの計画の事を振り返った。
いずれは人類は太陽系外に旅立つ日がやってくるわけで、
そのためには太陽に頼らず、自分たちで必要な生活の場と食料を調達し、生き延びてゆく手段が必要である。
そのための実証施設を作るという計画の説明会の場で、ヴェラはプレゼンテーションをしている担当者に問いかけた。
「では、システムはどうします?」
完全自立型で、水や空気のように存在自体が当たり前のようなシステム。
人工知能が一時期もてはやされた時代もあったが、根本的には完全自立には程遠いものだった。
そしてエリシウムでの悲劇的な事故の記憶。
語る事もタブーになっているその事故後もさまざまなアプローチがあったが、どれもこれも根本的なところが不足していた。
「私たちが考えているシステムの実証の場として、相乗りさせてもらなえないでしょうか?」
エアロックを通り、ヴェラは施設の中に入った。
断熱材が効いているとはいえ、屋内はまだマイナス50度の寒さだった。


*     *     *     *

行政官といっしょにヴェラは待った。
インカムから作業チェックリストを読み上げる作業主任の声が聞こえる。
非常灯だけが点いている長い廊下に2人だけで立っていた。
「1分前。動力ユニット全開準備」
ヴェラはフェイスプレートを慎重に開けてみた。
白い息が顔全体を覆う。
1分の待ち時間はあっという間にやってきた。
10パーセント出力が数秒でフルパワーになったが、特に音はなく相変わらず廊下は静かだった。
しかし、廊下の灯りが一気についたので、電力供給が始まったことを実感した。
長い廊下はやや暖色系の灯りで満たされた。
やがて低い唸り声のような音が遠くから聞こえてきた。
唸り声のように思えたのはエアフローの音で、じわじわと顔全体に暖かい風がやってくる。
屋外から見たらかなりの壮観な眺めだろうとヴェラは思った。
灯りのついていない巨大な施設が、一気に明るくなり、室内は常夏のような暖かさに変わる。
作業服はもう不要だった。作業服を脱いでしばらくの間2人は施設の中を歩き、これから先のことについて話し合った。


*     *     *     *

すでに人選の済んでいる1200名のことについてヴェラは考えた。
計画では半年後にはここにやってくる人々。
人種、国籍、職業さまざま。しかし事業団とは縁もゆかりもない人々は、この施設での計画について知っているのだろうか。
少なくとも事業団の実施計画書ではそのことについては触れられてはいない。
意図的に真の目的は知らされていないということを、彼女は事業団長官から説明をうけていた。
人体実験?
そんな不吉な文言が脳裏によぎった。
人類のこの先の存続のための貴重な実験だという目的からすれば、許されるのだろうかとも思ったが、
1200人各々のことを考えるとそのように割り切って考える事もできなかった。
居住者のためのレクリエーション広場の前で、ヴェラは立ち止まった。
半年後にはここで居住者の家族がのんびりとくつろいでいるはずである。
楽しく過ごしている人々の姿を想像しながら、ふと、地球にいる夫と娘の事を人々の姿に重ねていた。



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