技術アドバイザー

大統領就任から2か月が経過し、「エンデヴァー」元船長は、多忙な日々を過ごしていた。
しかし、「エンデヴァー」元乗組員から、自分はまだ元船長と呼ばれるのはしっくりとするが、
側近たちから大統領と呼ばれても、まだ心の中では若干の違和感があった。でも、もうじき慣れるだろう。
就任してすぐに、OB会からは大きな箱に入ったプレゼントがホワイトハウスに届いた。まだ中身は確認していない。
「最初の12人」のメンバーからは、個別に祝辞が送られてきた。
理沙からは祝辞とともに。約35年ほど勤めた事業団を昨年末に去り再び軍に戻り、大佐に昇格したとの連絡があった。
そして、太陽系内での作戦行動のために建造する、大型揚陸艦の設計タスクに参画するとの事。
その話を聞いて、ああ、この件についてはちょっとややこしい事になりそうだと、大統領は思った。
昨年末に、大統領選挙に勝利した際に、今後の公約として国民生活の再建と地球環境の回復について述べたが、
実現にあたり、太陽系の資源開発に予算を増額する代わりに、軍への予算の削減を推し進めなくてはならない。
机の上のベルが鳴った。「大統領、そろそろお時間です」
読みかけの資料を机の上に置き、大統領は出かける準備を始めた。

*     *     *     *

毎週月曜から金曜までの5日間、理沙は国防総省に出張している。
自分を揚陸艦設計タスクに誘った、同期の大佐からは、安全上、国防総省に近いところに住むことを提案され、
ワシントンへの引っ越しも考えたが、週末だけは住み慣れた自宅で過ごしたいと理沙は申し出、とりあえず受理された。
あてがわれた部屋は、セキュリティの完備した高級ホテルのような雰囲気。しかし、無機質な雰囲気が気に入らない。
部屋はあくまでも寝起きのためのものと割り切った。
夜明けの風景は爽やかだった。春先のワシントンはまもなく桜の季節になる頃、桜が咲いたら花見をしようと思った。
昔、東京湾に近いところにアパートを借りていた時の生活を、理沙はふと思い出した。
ベランダから見える風景は、40年前のアパートのものとは異なるが、春先の肌寒い風を感じながら、
当時思っていたこと、考えていたことが、いかに狭い世界の中でのちっぽけな事だったなと、当時のことを回想した。
さて、今日は少々ややこしいことに取り組まなくてはいけない。
部屋に戻り、理沙は出勤の準備を始めた。


軍の予算削減についての話が、同期の大佐から昨日あり、着任早々に理沙はミッションを失う事になりそうだった。
「まぁ、極端に言えばそうですが、まだ決まったわけではない」
大統領は就任演説でも触れていたが、国民生活の再建のために、エネルギーの安定確保、特に核融合と原子力エネルギーについて、
予算を増額し、それにともなう木星のエネルギー資源開発、原子力については核廃棄物の投棄場所として太陽と木星を候補とし、
地球上の環境保全の観点から解決策を示した。木星の資源開発の推進については既に既定路線ではあるが、
核廃棄物の太陽と木星への投棄については、未知の技術であり、大きなリスクも伴うため早速大きな反対運動が起こった。
事業団にまだ在籍していたならば、理沙の仕事にも影響があったのだが、今では外野席から眺めている立場、
たいして影響はないだろうと思っていたところに、今回の軍の予算削減。
「揚陸艦建造は、もしかしたら無期限延期になるかもしれない」
「そうでしょうね」
しかし、そこで諦めるような理沙ではなかった。
「では、設計だけでも進めておくというのは。スタディということで」
少人数でもよいので、設計タスクだけでも存続させておき、予算承認された時に備えるという案を、理沙は昨夜から温めていた。
ちょっとしたメモ程度ではあるが、昨夜まとめたプランを理沙は大佐に説明した。
「要するに、設計データを作り上げておけばいいのです。概要設計レベルで。あとは自動化システムが解決してくれます」
いまだに公になっていない、自己増殖ロボット、[Metal-seed]のことについて知っているのは、
軍の中では理沙含めてもごく限られた人数しかいなかった。
軍に誘い入れるまでには、かなりの長い期間がかかったが、やはり理沙を確保しておいてよかったと大佐は改めて思った。
予算削減に対する議会への反論については、引き続き進めるとしても、
現実的な案として、理沙の考えている、設計タスクを小規模ながら存続させることが2人の間で決まった。
彼女の仕事ぶりを見ながら、大佐はもう一人の女性のことにも思いを巡らせていた。
軍の中では表に出る事がほとんどない、技術畑のその女性、現在は少佐であるが、
彼女もまた、軍の宇宙進出に多大な貢献をした人物だった。
単なる気のせいだろうか、理沙を見ているうちに、雰囲気や仕事に対する情熱について、その女性と重なる部分が感じられた。


地球/月L3の建造ドックで、巡洋艦の建造が進められていた。
船体のほとんどが既に組みあがっていて、核融合推進システムの取りつけも完了し、居住ブロックの組み立てが行われていた。
同型の巡洋艦は既に4隻が就役し、2隻が完成してまもない状態で公試運転中、今回建造中の巡洋艦は同型7番艦となる。
しかし、合計10隻の予定となるはずが、8番艦は建造中止、9番艦以降は計画ストップとなってしまった。
「これで終わりにならないといいのですが」
窓の外を見ていた少佐は、呼びかけられて振り返った。
「それほど気になる事ですか?」
少佐はいつでも物腰柔らかいのだが、見つめられた時の眼光は非常に鋭い。
戦場での指揮経験のない、純粋な技術畑の指揮官ではあるものの、戦わずして勝つ的な雰囲気が彼女にはあった。
少佐は、窓枠の手すりに寄りかかり、窓の外の巡洋艦を示し、
「7隻分の実績は作りました。戦争に参加していませんが、十分な成果だと思いますが」
確かに、既に稼働している4隻については、太陽系内での作戦行動範囲を拡大するという点で、大きな功績を残した。
地球から火星、地球から木星への定期航路開拓にあたり、巡洋艦は不測の事態への対応という点での保険でもあり、
また、国家としても、今後月や火星、木星の植民が進むにつれて、
いつかはやってくるであろう、各植民地の独立機運に対しては、大きな抑止力となるはずだった。
しかし、思っていることはそれだけではないだろう。
「でも、これで終わりにするつもりはないんですよね?」
同僚少佐からの問いかけに、彼女はすぐには答えなかった。不気味な笑みを浮かべているだけ。
「ええ」
そして、きっぱりと言った。
「別な形でチャレンジしたいと思っています。この先いつか」

*     *     *     *

「設計データとして、精緻なものを完成させるのが、このタスクの目的です」
小さな会議室で、理沙は部下として割り当てられた4人のメンバーに、タスクチームのミッションについて説明を始めた。
新たに建造する揚陸艦に求められる仕様、その大きさ、性能について、1時間ほどで一気に説明を終え、
急ごしらえで作った、おおまかなデザインを、理沙は立体ディスプレイ上で示した。
当初は400メートル程度の大きさで考えていたのだが、輸送する兵員と生活に必要な設備、
および惑星への着陸作戦も想定した、作戦用の輸送シャトル等の搭載量を想定し、諸々積み上げてゆくと、
船体はさらに大型化し、全長は800メートル近くになってしまった。
しかし、揚陸艦は非常時には一般人の輸送にも活用される事にもなるため、理沙はこれだけの大きさは必要だと考えた。
あとは詳細設計直前までのデータを揃えればよい。
理沙は、4人各々に異なるミッションを与え、シミュレーターの中で設計を進め、4人の中で会話しながら設計を精緻化するように命じた。
「エンデヴァー」の推進システムの設計段階では、もっと多くの人員で、世界各国にまたがってタスクが進められていたのだが、
今では同じ事をもっと少人数で実現可能だった。しかも人数が少ない分、調整を迅速に行うことが可能で、
木星資源開発の時のような、調整のための多大な労力も不要。
理沙がまとめあげた、事業団に在籍していたときのプロジェクト管理の手法は、そのまま役に立った。
空調の効いた、静かな部屋の中で粛々と進む設計タスク。
やがて、季節は春から夏になり、連日のように最高気温を更新する日々が続いた。

*     *     *     *

その日も、気温は最高気温を更新し、ワシントンでは渇水対策のために取水制限が行われた。
理沙がいつものように自分のオフィスに到着すると、早速上司である大佐から呼ばれた。
「タイタンにある基地の事は、知ってますよね?」
「はい」
数年前のことになるが、基地建設のキャリアーの出発は見届けていた。「それが何か?」
「基地で事故が発生した」
事故と聞いて、理沙はさっそく嫌な予感がした。
そもそも、タイタンの基地では、将来の深宇宙基地の生活空間研究のためのシミュレーションが行われることは知っていたが、
それ以上の事は知らないし、行われている事は部外者秘扱いとされていた。
「昔、火星のエリシウム基地で事故がありましたが、同じようなものですか?」
エリシウムという言葉に反応したのか、大佐の表情は険しくなった。
「詳しいことは言えないが、そんな状況らしい」
さっそく、近々に事故調査委員会が立ち上げられるという事を言われただけで、会話はそこで終わった。
その2週間後、理沙は再び上司から呼び出された。
会議室には、大佐の他に、見慣れない人物が一人。
その人物は軍の少佐で、自己紹介のあと、タイタン基地事故調査のためのタスクに参画していることを説明した。
「あなたのお力をお借りしたいのです」
タイタン基地での事故の概要の説明が行われ、最後に彼は言った。
「原因追及に参加していた現場技術者が昨日亡くなりました。ヴェラという方です」



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