夢うつつ

4か月近くかけて土星に到着。
周回ステーションで1日休憩して、翌日にはタイタンへ向かうフェリーに乗った。
初めて土星にやってきた25年前には、「エンデヴァー」の窓いっぱいに見える土星の環に感激したのだが、
今回はそんな浮かれた気分は全くない。
やがてフェリーはタイタンの周りを周回する旅客ステーションに到着。
休む間もなくタイタン基地に向かうシャトルに乗り換えた。
それほど広くない客席には、理沙も含めた調査チームの6人のメンバーのみ。
皆それぞれが気に入った場所に座る。
「これよりタイタン基地に向かいます。飛行時間は1時間30分ほどです。シートベルトをご確認ください」
キャビンアテンダントがいつものように乗客向けの説明を始めたが、理沙はほとんど聴いていなかった。
ドッキングポートを離れて、ゆるやかな加速が始まった。
あと1時間と少々で到着予定とのことだが、できればもっと長い時間をかけてほしいと理沙は思った。


*     *     *     *

出発してしばらくの間は特に音も加減速のショックもなく、シートに座って窓の外を眺めているだけだった。
タイタンの大気層は非常に厚く、高い軌道から落下しているのでひたすら雲の上を飛んでいるように見えた。
徐々に雲の頂上が近くなり、雲の中に入ると変化があっという間にやってきた。
シャトルは大気のブレーキ効率を最大にするために大きく機首を上げた。
減速Gが徐々に大きくなり窓の外は煙に包まれる。
機体の揺れはそれほどないが、自分の体がシートに徐々に沈みこんでゆく事から減速Gの程度がわかった。
思えば、土星にやって来たのは2度目だが、タイタンに着陸するのは初めてだった。
機長のサービスなのか、コクピットでの操作音と基地との交信の音声が客席に流れていた。
「機体角度、プラス4。まもなく減速G最大」
どこかで聞いたようなセリフだった。
管制官の返答があった。
「了解、進路正常。そのままのコースで進んでください」
窓の外の風景は気にせずに、理沙は目を閉じて、コクピットからの音声に聞き入った。


*     *     *     *

着陸地点までのコースをチェックし、着陸予定の場所のレーダー情報をもとに理沙はパイロットに指示した。
「進路正常、そのままのコースで進んでください」
「こちらも問題なし。上空を旋回してもまだ燃料に余裕があります」
理沙もモニターの数値をチェックし、問題ないことを確認した。
「了解。でも、寄り道はせずに予定のコースを進んでください」
タイタンの上層大気に突入し、着陸船は炎に包まれた。
とはいえ、周回軌道上に投入した衛星のおかげで、ブラックアウトにはならずにモニター情報は届いている。
予定したコースから大きく外れていなければ、しばらくの間はお互いにやるべきことはなかった。
大気が徐々に濃くなってくると、気流の乱れもあるのか着陸船が小刻みに揺れているのがわかった。
「揺れが徐々に大きくなっている、まもなく減速段階を抜けて飛行モードに移行する」
リフティングボディの船体から、折りたたまれていた小さな翼が伸びた。
大気中をリフティングボディの効果で減速していたのだが、翼の効果で大気中を滑るように飛行を始める。
ターボジェットが動作を始め、着陸地点に向けて一直線に進んでいた。
「中国の連中はどうしたかな、今頃酒盛りでもしているのか」
「運転に集中してください」
理沙はパイロットを制止した。
目標の場所までは、残り10分ほどの距離だった。
「一番乗りにはなれなくても」
メリッサが、パイロットのすぐ後ろの席で会話に入ってきた。
「地球に無事に帰れるのか、それが一番大事だと思う」
その点ではまだまだ勝負はついていない。
慌てる事はない、そう理沙が言おうとした矢先、ディスプレイ片隅の表示が気になった。
「モニターを確認してください」
パイロットが先に気づいていたようだった。
「システムに負荷がかかりすぎています。何でしょうこれは?」


理沙はすぐに会議室で待機している着陸船担当者に連絡した。
すぐに担当者は判断を下した。
「手動に切り替えてください。コースは外れていないし、操縦は難しくない」
「了解」
パイロットはすぐに対応した。
着陸地点が画面の隅の方に見えてきた。
まだ高度が高いのではるか先にあるように見えるが、地球よりも地平線が近いタイタンでは、
見た目よりも実際の距離はかなり近い。
「減速を始めます」
なだらかな丘が見えてきた。
高度は1000メートルを切っていた。
表面近くでは風が吹いているようなので、画面が時々揺れている。
揺れに抵抗するように、パイロットは巧みに調整し機体を安定させようとしていた。
「揺れがひどいなぁ、風でもあるのか」
速度を落とし、ホバリングモードに移行した。
風の影響でさらに姿勢が不安定になっている。
「燃料の残量をチェック。残り120秒」
パイロットは機体制御で手いっぱいだろうと思い、理沙は残り時間だけを伝える事にした。
もっと残量があるだろうと思っていたのだが、飛行モードを変更してから消費量が多くなったのかもしれない。
秒読みと並行して、燃料消費が多い理由を調べるようにと、理沙は着陸船担当者に個別ラインで指示をした。
「残り90秒」
丘の上に到達し、着陸船は上空100メートルで静止した状態になった。
あと少しだ、と理沙は内心もうこれで大丈夫だろうと思ったところで、パイロットは慌てた口調で言った。
「残量が違っている。残り30秒ない」
自分の見ているモニターの数値が狂っているのか、それとも着陸船側に原因があるのか。
数秒で判断しなくてはいけなかった。
着陸を打ち切って上昇するか、着陸を強行するか。
着陸船担当者から返事が入ってきた。
「続行です。着陸船側の機器の問題だと思います」


着陸船は、上空で静止した状態から徐々に降下を始めた。
「続行してください。残り60秒」
着陸用燃料のアラート表示が出たと、パイロットは言った。
口調は冷静だったが焦る気持ちを抑えていることは分かっていた。
「着陸脚を展開します」
「45秒」
着陸船はゆっくりと降下する。
パイロットが微妙な操作で機体を操る。
警告ランプが点灯した。
「表面に岩が多数、少し先の平地に変更」
「30秒。こちらも確認」
時間の感覚がゆるやかになってきた。
パイロットの操作が非常にゆるやかに見える。
何事もすべてがスローモーションで、緊迫感を感じなかった。
残り時間の表示が、18で止まってしまった。
突然に衝撃音。機体が揺れて傾き始める。
「姿勢を保てない」
「あと少し、なんとか持ちこたえてください」
パイロットからの返答はなかった。
大きく傾きながら着陸船は降下する。このままでは危険だ。
やがてあたりが静かになった。エンジン音が止まった。
「着陸脚に破損。とりあえず着陸」
理沙は機器の状態チェックを始めた。
着陸脚の破損の程度は酷く、船体が前のめりになっていた。
「帰還できそう?」
理沙はパイロットに問いかけた。


*     *     *     *

遠くで誰かが呼んでいる。
声は良く聞こえるのだが、場所が特定できない。
「大佐、着きましたよ」
はっとなって目を開けると、リーダーが心配そうに覗き込んでいた。
「よくこんな時に寝ていられましたね」
まだ状況を理解できず、目の前の座席のモニターパネルに表示される位置情報に、着陸船を探した。
「かなり揺れましたが、気がつきませんでしたか?」
そこでようやく理沙は現実の世界に戻った。
「いえ、全然」
座席を立ちシャトルを降りた。
タイタン基地の到着ロビーは理沙たち調査チーム6人だけ。閑散としていた。
到着ロビーから居住施設までの長い移動ベルトから、核融合炉とラジエーターパネル群を眺める。
やがて居住施設とシステムの設置されている管理棟が見えてきた。
しばらくの間、理沙にとって戦場になるかもしれない場所である。



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