渡されたメモ
行政官付き添いのもと、理沙はタイタン基地の中を巡回し、設備についての説明を受けた。
太陽から遠く離れた極寒の地であることを感じさせないほど、施設の中は快適だった。
居住区ブロックを抜けて管理ブロックへと向かう。
ブロック毎に、天井や壁の色が変えられていて、白を基調とした管理ブロックは無機質な感じではあるが、
室内温度はどのブロックでも20度前後に保たれていた。
強力な核融合炉のエネルギーのおかげである。
廊下を歩きながら、窓の外、200メートルほど離れた場所の核融合炉の方に時々目を向ける。
「設置の時は、なかなか焦りました。3000トンものユニットまるごとを周回軌道から降ろしましたから」
2人は立ち止まり、自分たちの歩いてきた長い廊下を振り返った。
「彼女と2人で、ユニットが稼働するのをここで見守りました」
ヴェラと2人で、マイナス150度の屋外からこの廊下に入り、非常灯だけの暗い中待っていた時間が、再び行政官の脳裏に蘇る。
「ユニットが稼働してしばらくしてから、暖かい空気が顔に当たったときには、ほっとしましたね」
廊下の突き当り、[関係者以外立ち入り厳禁]の表示のあるドアの前で立ち止まる。
認証システムが行政官を認識し、すぐに扉は開いた。
この基地の中枢である、中央制御室には、数名のスタッフがモニター表示を確認していた。
いつもヴェラが座っていた座席に案内され、理沙はその座席に座った。
モニターには、システムの稼働状況を示す表示が次々に流れていた。
理沙は、この席に座り作業をしていたヴェラの事をしばしの間想像した。
ヴェラ本人と対面出来なかったことは、理沙にとってある意味幸いだったのか。
死亡原因について、詳細な調査が行われたのちに、彼女の遺体は冷凍保存状態で1ヶ月ほど前に地球へと帰還した。
理沙とはちょうど行き違いとなり、行政官からは彼女の映像を見る事も可能であると言われたが、見る気持ちになれなかった。
今回の事故調査タスクの司令官である少佐の指示のもと、到着翌日から早速現地での事故調査が始められた。
地球からタイタンに向かう船の中で、行政官が監修の元作成された事故調査レポートを見る時間は十分にあった。
30数年前の、火星のエリシウム基地での事故と同類であるのかどうか、
直接原因、間接原因についてはすでに追及は終わっており、
真の原因は何なのかについて行政官の協力のもと調査を行い、レポートとしてまとめるのが事故調査タスクの目的である。
「判断最適化タスクが、あるべき状態との乖離を検出し、原因を取り除いたということまではわかっています」
少佐は行政官を前にして、分析結果にもとづくいくつかの質問をしていった。
行政官の傍には、システムを管理するスタッフ2人が、少佐からの質問に答えていた。
「エリシウム基地での事故調査で、既に結論が出ている事について、なぜ今さら同じ事を繰り返すのか、理解できません」
「それは。。。。」
スタッフの1人が、少々気まずそうに少佐に答えた。
「エリシウムでの事故分析に、まだ疑問の余地があると考えて。。。」
そのとき、行政官がスタッフの発言に横から割り込んだ。
「彼女に責任を押しつけるつもりはないが、ヴェラから申し出があって、私が承認した」
今度は理沙が横から割り込んだ。
「では、あの事故は単なる実験結果?」
行政官は何も言わずに頷いた。
事故調査データについて、断片的にしか述べられておらず不足感があったのはこのせいか。
タイタンで基地建設が行われているという事も、事業団内でも一部の人間しか知らず、
将来の深宇宙開発のための実験居住施設である事くらいしか聞かされていなかった。
その後会議は、基地の技術スタッフと共同で、今後どのように現地調査をするのかについて、段取りの打ち合わせとなった。
3時間ほどの長時間の会議を終えて、理沙は少佐といっしょに居住区はずれの飲食施設へと向かった。
廊下を歩く途中、縦横30メートルほどのコミュニティホールの脇を通り過ぎた。
植物が植えられていて、中央にはデッキチェアーがいくつかあり、仕事帰りの居住者が何人か談笑していた。
この基地の計画書によれば、居住者のほぼ全員が、募集により集められた生活困窮者であるとの事。
衣食住が完全保証される代わりに、あらかじめ決められた仕事をここでこなすことが求められていた。
食料生産や、行政サービスのスタッフとしての仕事がほとんどで、労働時間もほどほど、まさに天国のような生活。
しかし、真の目的について居住者には知らされていなかった。
当然の事として、半年前の事故のことについても基地内で公にされておらず、一部管理スタッフしか知らない。
* * * *
翌日、理沙は行政官から呼ばれて、行政官のオフィスへと向かった。
「彼女の部屋にご案内しますが」
管理スタッフは、管理ブロックはずれの居住者とは隔離された場所で生活している。
ヴェラの部屋はワンルームの少々狭苦しい部屋である。
ちょうどビジネスホテルの一部屋といったところか。
「内部の調査はしましたが、あえて当時そのままの状態にしてあります」
ベッドが1つに、小さな机とテーブル、休憩用のイス。
部屋の中は特に乱れているということはなかったが、ベッドの上には読みかけの本、食べかけのスナック菓子。
机の上には何も置かれていなかった。
「ベッドの中で、眠るように亡くなられていました」
不測の事態に備えて、スタッフおよび居住者全員が、生体モニターの監視のもとにあり、
体調不良等で倒れた場合でも、システムから監視アラートがあげられて、救急スタッフが数分のうちに急行できる体制になっていた。
ヴェラの死亡原因は、突然の心不全とのことである。
「蘇生処置が行われましたが、間に合いませんでした。本当に急な事で」
理沙は、部屋の中を改めて見渡した。
最後の日まで、いったい彼女は何をして何を考えていたのか。
一日のほとんどの時間を、昨日見学した中央制御室で過ごし、管制システムのデータを詳細に調査し、
真の原因追及に向けて、1人で孤独な調査をしていたのだろうか。
行政官は仕事に戻り、理沙は1人でしばらくの時間彼女の部屋で過ごした。
頭の後ろで腕組みをして、彼女の事を想う。
ふと思い立って、机の引き出しを開けてみた。
生活用品が入っている引き出しがある中で、一番上の広い引き出しを開けてみたところ、1冊のノートがあった。
メモか日記か何かだろうと思い、パラパラとページをめくってゆく。
事故当日の記録については、事故があったこと、エリシウム基地での状況と同じとしか書かれておらず、
単なるメモ以外のなんでもないと思いかけていたところ、亡くなる当日のページを見て、理沙は胸が締め付けられる思いがした。
理沙はノートを閉じて、引き出しの中に元のようにしまい込んだ。
* * * *
部外者が閲覧禁止とされている、システム深層稼働記録の調査が翌日から始められた。
少佐が連れてきた技術スタッフに対して、彼は作業の方向性について指示を行い、
基地の管理スタッフの助けも借りながら、調査を始めたものの、ヴェラしか知らない調査データもあり、
アクセス制約を解除するだけでも手間だった。
理沙は直接作業にはかかわらないが、少佐とともに、行政官へのヒアリングおよび調査結果データの整理を行った。
半年前の事故で亡くなった3人の居住者について、状況が徐々に明らかになってきたのは調査開始から3日目。
例えていえば、突然死のような状態で亡くなり、医療診断システムは心不全等の疾患として処理を行っていた。
「基礎疾患が元々あったと記録されていますが、本当なんでしょうか?」
理沙は、不自然な点としてまずその部分を行政官に追及した。
「そこで、居住者へのヒアリングを行いたいというのが1点目、それと、ヴェラの部屋を先日見せていただきましたが」
理沙は行政官のことをしっかりと見つめた。
「部屋の調査は終わっているとおっしゃっていましたが」
もちろん、全て調査を終えてレポート内でもそのことは述べている、と彼が言いかけたところで、理沙は言った。
「では、机の中のノートも調査済みという事ですね?」
彼は頷いた。
しかし理沙は、行政官の表情のかすかな変化を、見逃さなかった。