暗闇の中を覗き込む

タイタン基地での調査を始めて10日ほどが経った。
システム記録情報の調査は、リーダーである少佐が連れてきた4人の部下に任せ、
少佐は理沙とともに得られた情報の整理と、上官への報告書のまとめを行っていた。
3人の住人が亡くなった事故は、過去に発生した同様の事故と同じく、
システムの判断最適化ロジックが、これから先に起きるであろう危機を察知し、
原因となるであろう人物を消去するという、間違った判断によるものであることはわかっていた。
エリシウム基地での事故分析に関係していた理沙は、事の重大さをよく理解していた。
理沙は、先日ヴェラが住んでいた部屋の中で見つけたメモの事が気になり、今日の作業が一段落したところで少佐に言った。
「タスクに参画するようにと要請を受けた時から、ひとつ気にしていた事が」
「何でしょう?」
立場としては上官となる自身の参画については、非常に作業がしずらいだろうと理沙は常に気にしていたが、
直属の上官からの圧力であるとか、または、理沙が過去に一時ヴェラと一緒に参画していた、次世代システムの実験のこともあり、
今回の調査に参画することになったのだろう、その程度に考えていた。
「亡くなった私の親友の部屋で、彼女が残したメモを見つけました」
少佐は小さく頷き、作業を一旦止めて理沙の話を聞いていた。
「事故の原因について、鍵となるような内容は書かれていませんでしたが、ただ、最後に一言」
その一言を目にした時、理沙はほぼ10年近く疎遠だったのだが、
5年前に偶然にも木星の作業プラットフォームで彼女と出会ったときの事が思い出された。
タイタンにこれから向かうとその時彼女はひとこと言っていたものの、事の重大性について、理沙はその時に気づいていなかった。
「もし私の身に何かあったら、親友である理沙を、ここに連れてきてください。と」
少佐は微動だにもせず、理沙のことを見つめていた。
「行政官はメモの内容をご存じでした。行政官からの要請で、私がここに呼ばれたのですね?」
少佐はしばらくの間、何も言わずに理沙のことを見つめているだけだったが、
「はい」
そして、半ば白状したように少佐は、いつかは話すべき事だったと深く頭を下げた。
「とはいえ、調査結果の他に、彼女は真相に迫る考察を残していませんでした。メモの内容を私は直接見てはいませんが、
重大な事については書いていないと思っています」
「ええ、それ以上の記述はありませんでした」
今回の事故について、真相に一番近い場所にいるはずのヴェラだったが、
彼女がいない今、真相にどこまで迫ることができるのか、理沙には自信がなかった。

*     *     *     *

基地の中心部にあるコミュニティ広場で、理沙はデッキチェアーに横になり上空を見上げていた。
上空には青空、しかしこれは人工的に作られた照明によるもので、青空も柔らかな陽光もすべて作りものである。
それでも、閉鎖的な基地の中で、この縦横30メートルほどの広場は、気持ちをなごませるような場所であった。
時刻は、地球時間でちょうど13時を過ぎたところ、周りにいた数名の居住者も再び仕事に戻っていった。
1200名の住人については、食料生産、公共サービス、港湾設備担当、基地の設備メンテナンス等、
大きく4つの役割に人員が配置されている。
日中の就業時間には、広場にもロビーにも人通りはまばらである。
しばらくすると、昼食を終えたタスクチームが広場にやってきた。
少佐が理沙のすぐそばにやってきたので、起き上がろうとしたが、
「今日の午後はここでひと休みながら仕事をすることにします。ゆっくりして下さって結構です」
そう言われて、理沙は再び横になった。
「この場所は落ち着くわね」
少佐もまた、人工芝生の上に横たわり、同じように空を見上げた。
「これも実験の一環のようです。閉鎖空間の中での居住環境改善と称した」
外はマイナス150度の極寒の世界、凍り付いたメタンの大地に、酸素のない大気。
空には遥か遠くに小さく光っている太陽と、もやの中に見えている土星。
「閉鎖空間というか、なにもかもから遮断されて、隔離されているような世界といった方がいいかも」
ついさきほどまで楽しく会話をしていた、親子3人の会話に、理沙は耳を傾けていたのだが、
衣食住は申し分ない生活をしているものの、自由に外に出る事はできず、息苦しさもあることに若干の不満を持っているようだった。
理沙は突然に起き上がって、芝生の上に横たわっている少佐に、
「システムも、うつ病に罹ったんじゃないかしら」
「そう簡単に結論が出るものではないでしょう」
まぁそうでしょうねと、理沙はつぶやきながら再び横になった。


分析すべきデータの量に、タスクチームは疲弊していたものの、少佐の判断で半日の休みをとることにして、
翌日は、タスクメンバー各々が考えを整理した結果として、今後の調査方針について午前中議論し、
午後から再び分析作業を再開した。
理沙は一人で基地の中を散策することを少佐に申し出、許可を得た。
社会の縮図のようなこの場所、ここタイタンも含めると地球外で人間が居住している惑星/衛星は3つ。
周回軌道上のステーションや作業プラットフォーム含めると、今や総人口は20万人を超えようとしているが、
地球で居住する100億人と比較すると、その数は微々たるものである。
そして、地球、地球外含めると、数えきれないほどのシステムの存在。
システムは全体として有機的に結合し、1つの巨大な生き物となっていた。
自動化されたシステムではあるが、自動化されたシステムゆえ、判断ミスの問題は大きな社会問題となっていた。
特に、エリシウム基地でのシステムの判断ミスの問題は、果たしてシステムに全てを任せて良いのだろうかとの大きな課題に発展し、
システムの暴走を食い止めるために、人間の監視が入るという、当初の目的とまったく矛盾する解決策に至り、
ある意味、頭打ちの状態になっていた。
この調査タスクに参加することになった際に、タイタン基地建設プロジェクトのチーフエンジニアからは、
今後の人類の宇宙への進出に不可欠な、自己完結型の閉鎖システムの実証実験のためにタイタン基地が建設され、
その実験に相乗りする形で、次世代システムの実験が行われることになったと説明を受けた。
今回の事故は、その目的が早くも頓挫したということを意味していた。


理沙は、管理ブロックを出ると、居住区へと入り住宅街を散策した。
作業現場へと向かう人々と何度かすれ違い、また、何人かの子供たちも見かけた。
理沙とすれ違って挨拶をする者もいた、笑顔で理沙は頭を下げる。
しかし、理沙は自分から彼らに声をかけるようなことはしなかった。
居住区の先には商店街があり、理沙は小さなカフェに入り、コーヒー1杯を注文する。
通りを眺めることができるこの場所で、そのまま1時間以上、ぼんやりと通り過ぎる人々や時々店に立ち寄る人を眺める。
静かに、この場所の空気、雰囲気を味わうことにした。
それが問題の真相に迫ることができるのかについて、理沙には明確な答えも方法論も持っていなかったが、
ヴェラの残したメモに書かれていた、もうひとつの言葉が気になっていた。
[すべてが順調に見える時ほど不安ばかりが募る]
なにもかもがうまくいっているように見えた。
基地の中は、毎日が平穏無事で、ルーチンワークで物事が粛々と進んでいる。
今しがた目の前を通り過ぎた作業員、店の中で理沙から少し離れた場所に座っているカップルとおぼしき男女からも、
不安という言葉がまったく感じ取れない。
しかし、事故は起きてしまったのである。
理沙は席を立ち、再び歩き始めた。

*     *     *     *

管理区画の一角に、理沙たち調査タスクチームも立ち入りを許可されていない場所があった。
このタイタン基地を管理しているシステムの本体が収納されている場所と言われているが、詳細は説明されていない。
基地の建設の際に、ヴェラがどの程度作業にかかわっていたのかについて、行政官に尋ねたこともあったが、
あいまいな返事しかなかった。
しかし、ヴェラの残したメモについて問いただした際に、事実について断片的に述べたことからも、
理沙含め、タスクチームにもまだまだ秘密にしていることがあるような気がしてならなかった。


ほぼ1日をかけて、少佐と一緒に軍上層部への中間報告をまとめあげ、疲れ果てて部屋に戻り、
理沙はそのまま眠りについてしまった。
中間報告の内容については理沙自身満足していなかったが、とりあえずの提出となった。
おそらく軍上層部からは指摘事項だらけだろうと思ったが、気持ちの整理がつかない時は寝るに限る。
一気に深い眠りについて、沈み込むような感覚に理沙は襲われた。
眠っているはずなのに、なぜかまわりの状況がよくわかる。目を閉じているだけでなぜか眠っていない。
深い闇の中に、何かが大きく口を開けているように見える。
長くて暗いトンネルの先を覗き込んでいるのか、または深い穴なのか。
ゆっくりとその闇の中に理沙は向かっていた。
身動きをとろうとしてもなぜか思ったように動けない。受け入れるしかなかった。



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