幻の中で

[なんだかこんな所での生活がイヤになってきた]
[ねぇ、今夜は何して遊ぼうか]
[もうこれ以上食べられない。あとはもう寝るだけにして]
[うしししし、明日はもういいから休みにしよう]
[眠くて死にそうだ]
[外に出て散歩もできないなんて。ここって最低]
[まぁ、昔のアパート暮らしよりはマシ。さて、酒飲んで寝るか]
[三食昼寝付き最高]
[ええと、水耕栽培モジュールの故障をなんとかしなくては]
[1年の約束でここに来たのに、なんか契約延長の話が]
[おやすみなさい。愛してるよ]
[もう、どうしてこんな事も出来ないのよ]
[わかりました。明日までになんとかします。費用は頂きません]
[あら、ここから水漏れしてる。ちょっとあなた、すぐに直してよ]
[お願いです。給料上げてください]
[これって、なんとかなるんじゃないの?]
[資料の内容がまるでダメね。これじゃ売り物にならないわ、明日までに直して頂戴]
[ああああ~~、もう今日は終わりにして帰ります]
[空が綺麗だなあ。。。午後はここで仕事をしようかな。うるさい人がいないし]
[この始末をどうしてくれるの?]
[かわいい~~~。この猫すごく目が大きくて]
[待って、まだ30分もしないのにもう帰るの?]
[了解、ユニットA-1からA-6まで、いったん切り離しして再度接続します]
[あと50メートル、姿勢そのままで着陸体勢に、40メートル、30メートル]
[あ~~~っ、間に合わない]


雑踏の中に紛れ込んで、もみくちゃにされたような気分だった。
自分の部屋のベッドの上で横になりながら、理沙はしばらくの間気持ちの整理をした。
呼吸が止まるのではないかと思われるほどの圧迫感を胸に感じたが、
それは単なる気のせいで、誰かに押さえつけられていた訳ではない。
それにしても。。。。理沙は自分の意識の中になだれこんできた大量のイメージを、現実の出来事のように錯覚していた。
目を閉じていたはずなのに、さまざまな人が見たり聞いたり感じたりしている感覚を、自分が体験している事のように味わっている。
しかも、同時並列に、錯綜しているといった方が表現として正しいか。
ここタイタン基地のすべての住民の意識が、一気に理沙の脳内になだれこんで、理沙の意識は爆発寸前となった。
一つだけ思い当たる事があった。
かなり昔にも同じような体験をしたことがあった。ヴェラの助けを借りて。

*     *     *     *

気持ちが落ち着いたところで、理沙は先ほど見たイメージを頭の中で整理して、再びレポート形式にまとめることにした。
少佐には昨夜見たイメージについて簡単に状況を伝えて、その日の午後の時間を使ってレポートをまとめあげた。
「この基地の中枢システムには、量子素子を使って作り上げた大容量のメモリーがあります。
あまりに巨大なので、時系列と存在場所をすべて組み合わせた、多重階層の記憶が可能です」
司令官と行政官を前にして、理沙は淡々と説明を進めていった。
今説明したのと同じような事を、かなり昔にも説明したことがあった。
次世代システムの研究に参画していた時の事だったが。
「人間の脳にどこまで近づけることができるのかという、壮大な実験が過去に行われたこともありました。
ですが、とある事情でその実験は打ち切りになりました。それが火星のエリシウム基地での事故です」
システムの研究者の間では、今でもエリシウム基地での事故はトラウマであるとともに、
公に話すこともはばかられるほどのタブーであった。
事故原因の解決のために、たくさんの技術者が挑戦したものの、30年近く時が流れてもいまだに解決の道は開けていない。
「自動化システムの宿命みたいなものなのかもしれません。真の自動化とは、人間の判断に頼らずに自立判断すること。
でも、そんな自動化システムは全く役に立たない。人間の思いとは別に勝手な行動をする事になるからです」
司令官の表情の変化を、理沙は常に気にしていた。
もう聞きたくない、うんざりだと今にも言いたそうな様子である。
「システムが高度になればなるほど、解決すべき問題は多くなる一方。勝手な行動をしないように人間の監視の負担は多くなる。
誰かがチャレンジしなくてはいけないのです。私もいったんはその道に入りました。そしてヴェラも」
昨日まとめた、レポートの説明に移ることにした。
「私がおとといの夜に見た、夢のようで夢でないイメージの件についてご説明します。
この基地の中枢システムのメモリーについて先ほど述べましたが、そのメモリーに保存されている内容が、
私の意識の中になだれ込んで実体験のようなものを味わう事になりました。
なぜそうなったのかはわかりませんが、私の体に備え付けられたインターフェイスにシステム側が気づいたのでしょう。」
「つまりは、何が言いたいんだ?」
しびれを切らせた司令官が説明に割り込んだ。
「わかりました、周りくどい説明は飛ばします。タイタン基地の多重階層記憶のシステムは、ここの住人の意識の集合体です。
言い方が少々悪いですが、意識のゴミ溜め状態になっています」
何か思い当たることがあるのか、その時行政官の表情が少々ひきつった。
「そこに問題があると私は考えています。実際の言動をもとにまとめられた記憶と、その中から生み出されて独自に発展した、
記憶のようなもの、私はあえてこれを偽物の記憶と呼びます」
行政官が真顔でこちらを見ている。理沙は心の中で思った。
真相を見抜かれて焦っている、と。
「そのうち、実際の記憶と、偽物の記憶がごっちゃになり境界線がわからなくなりました。
どちらも本物かもしれない。どちらも偽物かもしれない。自分自身の中に、いつの間にか並行世界が構築されていました」
「だから何なんだ?」
再び司令官の鋭い口調。
理沙は、司令官のその口調にも全く動じることなく、少し間を置いてから、
「ここのシステムは問題を抱えています」
理沙はきっぱりと言った。
脇に座っているリーダーの視線が少々気になったが。
「中枢システムは現実も非現実もごっちゃの状態の中をさまよっている状態です。あるべき姿を模索しています。
その過程で事故が発生しました。将来起きるであろう問題を未然に防ぐためのものです。なので今後も。。。」
「わかった。これ以上の調査は中止だ」
司令官は立ち上がり、会議室を出て行った。

*     *     *     *

翌日にはさっそく、司令官から上層部に対して調査チームの作業の中止の申し入れがあり、
理沙たち6人の調査チームは、1週間後の便で地球へと帰還することになった。
表向きは、調査チームの調査結果の内容への不満、調査チームそのものの調査能力についての疑問となっていたが、
「まぁ、権力争いのようなものでしょうね」
軍と事業団の力関係に翻弄されて、今回は軍側が折れたような構図となった。
そして、輪をかけて司令官からは、調査チームは無能で使い物にならないとの苦言が。
「それに、現場ではまだ事業団の力が強い」
リーダーからのその言葉を聞いて、事業団に長年出向し、技術力向上に貢献してきた理沙は複雑な心境になった。
「そのうち、見返してやればいいのよ」


再び、あの時の感覚が理沙を包み込んだ。
しかしその内容は、前回のようにタイタン基地のすべての住民の意識が洪水のようになだれこんでくる、といったものではなく、
暗闇の中でなにか威圧するような存在を感じる、といったものだった。
その威圧する存在のいる方向に向かって、注意を向けてゆくと、やがて暗闇と思われる中に2つの瞳のようなものを見つけた。
理沙もまた、その瞳から目をそらすことはせずに、じっと目を凝らして眺めていた。
何か知りたいことがあるのかと、その暗闇の中の瞳が語りかけてくる。
言葉はなく、自分の意識の中に直接語りかけてくるような感覚だった。
[真相が知りたいです]
理沙からのその質問に対し、相手は直接に答える事はなく、
先日に司令官と行政官に説明したレポートの内容について、指摘とも思えるような話を始めてきた。
自分はここタイタン基地の居住者の全ての声に耳を傾け、すべての人の心の中にまで踏み込み、
その中から得られた情報をすべて記録し、蓄積してきたことについての説明。
そして、必要があれば、調整を加えてきた事についても説明があった。
[では、あなたは自分が行った事に、罪悪感は感じないのですか]
すると相手は理沙に対して、罪悪感の定義について問いかけてきた。
あるべき世の中の状態、未来に対して、そぐわないものを排除することは罪なのか、絶対的な基準というものはなく、
すべてが相対的であるとその相手は説明した。
最適で最良の結果に向けて進むことが目的であり、そのあとは究極のコミュニティとはなにかとの説明が続いた。
同じような文言を、理沙は以前どこかで聞いたような気がした。



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