再びの判断

木星に立ち寄ったのは半年程前。
その時の作業プラットフォームAの姿と、今見ている姿は大きく変化していた。
ちょうど先月に生産ブロックの増設が行われ、ヘリウム3と水素の貯蔵タンクの数は倍近くに増えていた。
フル生産体勢が確立し、毎日のように精製プラントからのコンテナが到着し、タンカーへの積み替えが行われ、
タンカーが地球へ向けて出発する。すべてが淡々と進められていた。
「10年か。。。」
10年前に初めてここに来たとき、作業プラットフォームは半分以下の大きさ、
それでも、「エンデヴァー」の船内とは比べ物にならないほどに充実した設備に感激し、働いている作業員の姿に
世の中にはまだまだ生き生きとした現場があるのだと理沙は気持ちを強くしたものだが、
今見ている現場は、その頃の状況をはるかに超えていた。
「あの時に諦めていなくて良かったでしょう?」
当時に同じ現場で働いていた作業員と数年ぶりで再会することができた。
今や彼も古参の技術者の一人、10年前当時、原子力ラムジェット機のテストに中央制御室で立ち合い、
アクシデント発生で原子力ラムジェット機が粉々になるのを共に目撃し、
理沙は、彼の顔面から血の気が引いていゆくのを見て、とにかく冷静に対応するようにとスタッフ全員に声をかけていた。
「やっぱり良かった」
窓の外を見ながら、彼はしみじみとそう言った。
「ところで」
一緒に食事でもどうでしょうと彼から誘われ、商店街に向かう途中で彼は言った。
「土星まで行って何をしてきたんですか?」
彼からのその問いかけに対して、理沙はあいまいにしか答える事ができなかった。

*     *     *     *

食事中には理沙が事業団を去ってからの話題で盛り上がった。
原子力ラムジェット機が次々に到着し、その数に比例して精製プラントの生産能力は上昇し、仕事は忙しくなってゆく。
作業員が減らされて閑散としていた3つの作業プラットフォームに、一気に活気が戻った。
しかし、忙しさのせいで彼は自宅には何年も戻ることができない。
当然、現場の熱気と反比例してプライベートでは熱が冷め、半年前にはとうとう離婚したとの事。
「まぁ、しょうがないとは思っていますがね」
彼の奥さんの心境を、理沙は理解することができないわけではなかったが、
「もちろん、家族をここに呼ぶことも考えましたよ。でも妻からは却下されました」
仕事と家庭は両立しない。
特に地球から遥か離れた場所での仕事、年単位で戻らない仕事となると、
誰もが敬遠したくなるのも当然の事かもしれない。
話の内容が徐々に重苦しくなってきたその時、少佐からの連絡が入った。


「見ました?」
少佐から唐突に言われて、理沙は何事かと思ったが、
ちょうど視線を上に向けると、店内のモニター画面に表示された旅客船運行情報に注意表示が出ていた。
「私たちが明日乗る予定の船に、システムトラブルが発生したようです」
少佐に言われた運行情報を確認すると、確かにその通りだった。
「わかりました。いつ出発するか確認するしかないわね」
店にはそのあと1時間ほどとどまり、その後作業員と別れると少佐とメンバーが待っているホテルに戻った。
ホテルに戻った時にも、運行情報はまだ更新されていなかった。
タイタン基地での事故が、ここにも波及しまったのではないかと、理沙は嫌な予感がした。
少佐にその事を話したところ、彼はその事については深刻には考えていないようだった。
「あそこは閉鎖システムですから。問題がすぐに全体に波及するとは思えません」
「それならいいんだけど」
地球で待っている上司には、さっそく地球帰還日が伸びる事を伝え、待っている揚陸艦設計タスクチームにもその旨伝えた。
仕事上は何の影響もない。
リモートからは毎日進捗をチェックすることは可能で、
年内には一旦要求仕様書をとりまとめるのは十分可能であると理沙は思っていた。
問題はその後である。
揚陸艦の要求仕様がまとまっても、実際の建造が決まったわけではない。
議会の反対意見は根強く、大統領は振り回されていた。
もし強引に推し進めるならば、世論に反対されて中間選挙に不利となる。
設計タスクチームは年内いっぱいをもって解散となるというのが、可能性として大だった。
すると理沙自身も仕事がなくなるのか。
漫然とした不安が理沙の心の中に湧き上がってきたが、
そんなときに理沙がいつも思う事は、目の前の課題に常に全力で取り組めば道は開ける。
ただそれだけだった。


次の日になっても、旅客船のトラブルは解消されなかった。
公式な情報ではシステムトラブルの詳細までは触れていなかったが、ならば関係者に直接訊いてみようと、
理沙は現場の管制関係のスタッフと雑談しながら、それとなく尋ねてみると、詳細がわかってきた。
連絡船の環境維持システムを制御するシステム、推進システムそのものの両方にトラブルが発生しているとの事だった。
推進システムのトラブルは機械的な原因によるものであり、それほど深刻ではない。
環境維持システムのトラブルの方が、どちらかといえば深刻のようだった。
長距離船なので出発すると簡単には港に戻れず、
推進システムは冗長化も考慮されているので、航海中に故障が発生してもなんとか目的地に到着できるが、
環境維持システムは乗客の命にかかわる。
「とりあえず待つことにします。半月、ひと月の遅れも考えておいたほうがいいかもしれません」
木星を出発して、もしかしたら地球へ向かう途中でプロジェクトは解散になっているかもしれない。
そうなる事も念頭に置いて、理沙はタスクメンバー各々に今後の事についてメッセージを送った。
揚陸艦のデザインはほぼまとまり、軍としての要求仕様も整理がついたので、あとはレポート形式に仕上げるだけである。
仕上げは理沙の仕事であり、軍上層に提出したあとには、メンバーを十分にねぎらってやろうと理沙は思った。
メッセージを書き終えた時には、いつも寝る時刻を2時間も過ぎていた。

*     *     *     *

出発の足止めを食らってから、1週間の時間が流れた。
ホテルでの生活を延長し、翌週も延長の手続きをしようかどうかと理沙が考えていた時、少佐から再び連絡が入った。
「別な方法で帰る事ができるかもしれません」
少佐が待っている、旅客ブロックへと向かうと、彼は窓の外を指さした。
特に意識することがなければ気がつかないものも、改めて言われて初めて気がつくものというものは、よくある事だ。
「あれですよ」
長さ100メートル少々の、真新しい宇宙船が接岸していた。
「要人輸送用の、高速連絡船です」
長さがそれほど長くない分、推進システムの部分がやたらと太く見えた。
とにかく速く移動することを目的としたデザインである。
「地球と木星の位置関係にもよりますが、速ければ2か月弱で地球に到着できます」
それはものすごく好都合、6人程度であれば交渉すれば乗せてもらえるのではないか、
少佐も理沙と同じ事を考えていたようではあるが。
「ただひとつ問題があります」
いい話の裏には、やはり問題が存在していた。
「まだ公試運転中で、正式に乗客を乗せるわけにはいかないのです」
高ぶっていた理沙の気持ちは一気に冷めた。
もう考慮するにも当たらないと思った。
2人は再びホテルに戻り、理沙は中断していた仕事を再開した。
しかし2日後に、理沙は再び少佐から呼ばれて旅客ブロックへと向かった。
待ち合わせした場所には、少佐の他に高速連絡船の船長と、技術スタッフが1人待っていた。
お互いに慌ただしい自己紹介のあと、展望ラウンジでの打ち合わせが始まった。
「公試運転中とはいえ、もう全てのテストは完了して、あとは地球に戻るだけなんです。認定証の発行も決まっています」
船長曰く、6人を乗せるだけであればなんとか対応可能という事だった。
少佐は上位層と早速相談すると動き始め、船長も技術スタッフの扱いでの乗船可能か、既に上長との調整を始めていた。
「規則違反にはなりませんか?」
理沙は、気が進まなかった。

*     *     *     *

4日後、連絡船は作業プラットフォームAを離れて、地球へと向かった。
理沙はVIP用の個室を割り当てられ、座り心地のいい高級シートに深く座り、窓の外に徐々に小さくなってゆく作業プラットフォームを眺めた。
これで本当に良かったのか、時間の節約になるとはいえ、理沙は本当に納得はしていなかった。
定期連絡船の出発についてはいまだに見通しがたたず、
そんな中で理沙含めた6人は、豪華な内装の船の中でくつろぎながら地球へと向かっていた。
[パーキング軌道で待機。輸送船00317のあとに出発してください]
仕事の資料を開いている間も、理沙は船と管制センターとのやり取りを時々気にしていた。



「サンプル版ストーリー」メニューへ