パーキング軌道

輸送船のあとに出発ということで、連絡船は木星の周回軌道上で待たされていた。
現時点では、木星を出発して地球へ到着するのは45日後とのこと。
出発調整のために2日少々待たされることになったが、それでも普通の連絡船よりは2週間も早い。
調整事はリーダーである少佐に任せ、公試運転の完了したばかりの船に乗れることになったものの、
帰って早々に上司からは説教を食らうことは間違いない。
その事で理沙は少々気分が重かったが、タイタン基地で遭遇した出来事と、事故調査結果から得られた考察について、
地球に戻ったらまずは調査委員会を立ち上げて、今後どう対応すべきかについて考えなくてはいけない。
そちらの方が重大だった。
それと比べれば、今回の件はおそらく始末書1つ書けば済むだろう。
[特別便901701、パーキング軌道にて引き続き待機。輸送船000452到着後に出発願います]
部下からの仕事の進捗状況の報告に目を通していたところで、再び管制室からのアナウンスが耳に飛び込んできた。
地球/木星間の航路は、今や過密ダイヤになりつつあった。
1分間に1機、2機が離着陸する、都会の大空港ほどではないが、飛行機とはけた違いの速さ、
加えて核融合推進システムの強烈なプラズマ噴射の影響も考慮し、宇宙船は適度な間を置いて航行する事が求められていた。
「あと1周、木星を周回してから地球に向かうことになります」
船長は事務的に、淡々と対応していた。

*     *     *     *

「次で出発です」
再びの船長からのアナウンス。
理沙は席にきちんと座り、シートベルトを確認した。
仕事の資料にはとりあえず目を通し終わったので、あとは出発の時を待つだけである。
船内アナウンスで、船長とパイロットがチェックリストを読み上げるのを、目を閉じて静かに聞いていた。
儀式のように淡々と読み上げるチェックリストを聞きながら、理沙は船長が今何を確認し何をしようとしているのか、
コクピットの操作パネル表示を想像しながら、すべてイメージすることができた。
定期旅客船であれば乗客は保安上の注意事項を説明する映像を見たり、船長からの大まかな道中の説明を聞くぐらいだが、
チェックリストの読み上げは、「エンデヴァー」でのコクピットでの操作を久しぶりに思い出させるものであった。
突然、アラート音が鳴った。
理沙は目を開けてあたりを見渡した。
チェックリストを読み上げる、船長とパイロットの会話は中断し、状況確認が始まった。
条件反射的に、理沙はシートベルトを解除し、廊下に出た。
廊下に出たちょうどその時、船内の照明が非常灯に変わった。
赤く照らされた廊下の突き当り、コクピットの方に目を向けると、少佐も廊下に出て理沙と同じ行動を始めていた。
「大丈夫ですか?」
少佐が理沙に声をかけてきた。
「そちらこそ大丈夫?」
他の4人の状況を確認するために、少佐は4人のいる部屋を覗き込んでいた。
「全員問題ありません」
船長が船内アナウンスで状況説明を始めていた。
「動力系システムのトラブルです。フルパワー推進のための準備として核融合炉の出力を上げたところ、エラーが出ました」
さきほどまでのチェックリストの読み上げを聞いていて、どこまで手順が進んでいたのか理沙は把握していたので、
原因になりそうなところはいくつか思いついていた。
おそらく、大したことではないだろう。
船長がコクピットから出てくるのが見えた。
「出発は取りやめにします。管制室と調整し帰還軌道に戻る事にします」
理沙と少佐の表情を交互に見つめ、船長は頭を下げた。
「大変申し訳ありません」
いえいえ、と少佐は首を振り、船長をなだめた。
「私が無理にお願いした以上、謝るのは私の方です」
エラーの原因を調べて、解消されるまではとりあえず部屋で待機して欲しいと船長は言った。
しかし、理沙は、
「私にも何かお手伝いさせてください。動力系のシステムエラーであれば多少はわかりますが」
そして船長といっしょにコクピットへ向かおうとしたが、少佐に制止された。
「大佐は、部屋で待機してください。何かあるといけませんから」
少佐の命令口調に、ほんの数秒間、2人は向かい合ってきつい目つきで見つめ合っていた。
「わかりました」
理沙はすぐに笑顔になり、コクピットへ向かうのをやめた。
地球に帰還するまでは少佐がリーダーである。

*     *     *     *

作業プラットフォームCへと戻ることが決まり、理沙と少佐は次にどの便で帰還できるのだろうかと考え始めていた。
無理に帰還する事もなかったのである。
少佐は上官から注意を受け、理沙も上司から注意をされた。
2人とも地球に帰還したときには、まずは始末書の作成をさっそく求められる事だろう。しかも早急に。
しばらくの間は何も出来る事がなく、仕事の資料も眺める気分になれなかったので理沙は部屋で休憩していた。
1時間ほど前には、システムトラブルの船内アラート音もおさまり、静けさが戻ってきた。
それからどれだけの時間が経ったのか、再びのアラート音で理沙は目覚めた。
しかも今回は部屋の中も非常灯に変わった。
廊下に出ると、さきほどよりもさらに大きなアラート音の中で、2人の作業員が船体後方に向かおうとしていた。
理沙は2人に何事があったのか尋ねた。
「動力系トラブルです。単なるシステムエラーかと思いましたが、違ったようです」
船長がコクピットから出て理沙の方に向かって来た。
「作業員の方にお聞きしました。動力系トラブルとはどの程度ですか?」
船長からの断片的な説明では、出力が不安定になり、制御が非常に難しい状況であるとの事だった。
電力系統にも異常な負荷がかかり、対応を間違えればブレーカーが吹き飛び船内火災の可能性もある。
「私にも何かお手伝いさせてください」
ちょうどその時、少佐が2人のところにやってきた。
「お気遣いはありがたいのですが、今は私達でなんとか対応できると思っています」
そして船長は、非常時に備えて救命ボート内で待機するように理沙に言った。
理沙は、船長と少佐の顔を交互に見つめた。
「わかりました」
理沙は船長の指示に従うことを決めた。
すると、少佐は、
「では、大佐は先に救命ボートに退避してください」
そして他の4人の状況を確認すると言って、少佐は再び自分の部屋の方に戻っていった。
理沙は部屋に戻り仕事の資料だけ手に取ると、まだ廊下で待っていた船長に言った。
「では、私は救命ボートに入りますが、もし何か助けが必要であれば声をかけてください」

*     *     *     *

船に2機備え付けられている救命ボートは、大人10人乗りの仕様ではあるが、10人入るとかなり窮屈そうである。
いちおう独立した動力システムが備え付けられていて、食料と水は2週間分ストックがあり、空気は完全リサイクルされる。
2週間という仕様は、2週間あれば地球/木星間であっても救助が可能であるという前提で決められているものである。
高速巡洋艦が地球と木星の間を常に巡回し、救助体制が確立したのはほんの数年前の事。
しかし、いまだに救命ボートは実際に使われたことはなく、まだいざという時の保険のようなものだった。
緩衝材が上下左右敷き詰められた、小さな空間の中で、理沙は1人で待っていた。
火災の発生に備えて、ガスマスクを被ろうかとも考えたが、ガスマスクがすぐ手に届く場所にあることを確認すると、
仕事の資料に再び目を通すことにした。
さきほど部下から新たに揃えた資料が届いたばかりだった。
敷き詰められた緩衝材のおかげで、船内に響くアラート音もそれほど気にならない。
少佐は4人の状況を確認すると言ったきり、救命ボートにはまだやって来なかった。
状況確認すると言っただけで、実はそのあと船長の手伝いに行ったのだろうか。
理沙が救命ボートの中に入ってから、30分程経った。
緩衝材に囲まれた座席のわきには、大きさ20センチほどの四角窓がいくつかあり、船外を覗くことができた。
覗いて外を見ると、ちょうどエアロックから作業員が船外活動に出ようとしているところだった。
事はそれほどに深刻なのだろうか。
理沙がそんな事を考えていた時に、甲高い声で警告メッセージが流れた。
[これより船内電源に切り替えます。救命ボートは1分後に脱出します]
いったい何が起こったのか、非常時とはいえ救命ボートを出す操作はしていないはず。
理沙が席を立ったところ、ハッチが突然に閉まった。
本当に脱出しようとしているのか、理沙は操作パネルを探して脱出解除を試みた。
[30秒前です。シートベルトを確認してください]
ハッチの向こう側で、叩く音がした。
「なんだか自動的に動き出してしまって。今解除しようとしています」
理沙は大声で叫んだ。
通信機のスイッチを入れた時には、残り5秒前。
「解除ボタンを押しました」
しかし、秒読みは続いた。カウントゼロ。
船体との間を繋ぎとめているロックが解除されて、救命ボートは小さく揺れた。
まだなんとかなるだろう。推進システムが動かなければなんとか回収してくれるだろう。
ゆるやかに船体を離れ、窓の外を見ると向こうからもこちらを見ていた。少佐の姿が見えた。
船長の声がスピーカーから聞こえてきた。
「何があったんですか?救命ボートを出すとは聞いていません」
「いや、何もしないのに突然に動き始めました」
しかし、理沙のその声に船長は反応しない。
「何があったんですか?応答してください」
さきほどよりも大きな船長の声。
こちらの声は聞こえていないのか。
その数秒後、推進システムが作動し、救命ボートは徐々にスピードを上げて船を離れていった。
推進システムは危険回避のために船を離れるためのもので、長時間航行するためのものではない。
噴射が終わった時には、救命ボートは船から数キロメートル離れていた。
とはいえ、この距離であれば作業用ポッドで救助することも可能だろう。
ろくでもない救命ボートだ。
たぶん欠陥品で制御システムと通信機に不具合があるのだろう。
理沙がそんな事を考えていた時、窓の外の光景に背筋が凍り付いた。
連絡船の動力ブロックのあたりで突然の爆発。
眩いばかりの光が1度、そしてさらに大きな閃光が2度。
船体全体が砕けて飛び散った。
閃光が消えた後には、さきほどまで船体があった場所には何も残っていなかった。
何かが救命ボートに当たり、救命ボートはゆらりと大きく揺れた。



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