漂流
事故から2週間が経過した。
事態には全く変化がなく、ただ時間だけが経過している。
通信機の故障修理については、何度か試してみたものの効果はなく、今では自動通報システムだけが頼りだった。
小さな窓から見える、木星と太陽の位置関係から、
理沙は自分が今周回軌道上のどの位置にいるのかについておおよそ把握していた。
また、3つの作業プラットフォームの位置についても頭の中にあるので、
一番接近したところで備え付けの閃光弾を使ってみようと考えた。あくまでも最後の手段ではあるが。
1人で乗り込んだので、救命ボートに備え付けの飲料水と食料は、十分な量があった。
空気のリサイクルシステムも、問題なく機能しており、故障しない限り特に心配することもない。
こんな時に一番問題になるのは、精神的に耐えられるかどうかである。
仕事の資料は既に読みつくしたので、気持ちを整理するために、事故当時の事を静かに思い起こして記録することにした。
救助された後の事故調査委員会の際に役に立つかもしれないからだ。
コクピットで事故当時の船内システムの状況や、乗組員の対応を直接見ていたわけではないので、
船の爆発事故が、いったい何が原因で起きたものなのかについては、理沙自身が推測するしかなかった。
強烈な閃光のあとで、まずは動力炉付近が破損し、その後で船体全体が砕け散るように離散したように見えたので、
動力炉の制御が不安定になり、プラズマコイルが過負荷のために弾けるように飛び散り、
その後、酸素タンクの破損と船の内装に含まれる可燃物への引火により、爆発が起きたのだろう。
しかし、そのような不測の事態に備えて、消火設備は常に万全の状態であるべきだというのが本来の設計思想である。
ということは、あの船には安全上、重大な設計上ミスがあったのか?
事故当時の船の状況を記録している、ブラックボックスが回収されれば、すべては明らかになる事だろう。
理沙はさらに、救命ボートが突然に動き出してしまった事についても状況分析を行った。
本来、なにもしなければ突然にボートが発進する事はありえない。
入り口のハッチを閉める際にはきちんとした手順があり、
ハッチ裏側の[非常時の対応]と書かれたプレートに記載された通りに操作しない限り、ひとりでに動作することはない。
救命ボートそのものに、不良があったのだろうか?
一度動き出してしまった救命ボートを、再び元のように船に戻すこともできなかった。
通信機もなぜか故障しているのか使い物にならない。
たまたまの故障なのか、それとも何か意図があってそうなっているのか。
次に、理沙の推測は、事故に至るまでの船長の行動に焦点が当てられた。
規定では、スタッフ以外の者が船の操作を行うことは許されていない。
最初に船に不具合が発生した際に、理沙は可能であれば自分も手伝うことを申し出たが、
船長が丁重に断ったのは、ごく自然な事であり、規定に従って行動したまでの事である。
そもそも、まだ公試運転が終わったばかりで、正式に運用が始まっていない船に乗船する事自体問題である。
理沙は思い出したくないことをまた思い出してしまって、再び気分が重くなった。
地球に帰還した際には、上官から長い説教どころではない。
軍の規定で相応の処罰も十分にありうる。
しかし、不具合が発生した時点からの、少佐と理沙の行動については、特に咎められることはないと思われた。
船長から丁重に断られた後、その後理沙は船長の指示に従い、不測の事態に備えて救命ボートに入った。
第三者の視点で理沙は状況を分析し、整理し、メモに書き出していった。
書き出したメモはそれなりの量になり、作業端末の中で順序をきちんと組み立てて、報告書の下書きにした。
これで正式な報告書はすぐにでもまとめあげることができる。
リーダーである少佐は、おそらく生きてはいないだろうと思われた。
彼に代わって、この事故についての報告を行い、かたがついたらタイタン基地での事故調査報告を行うことにしよう。
ただし、生きて帰還できたらの話であるが。
* * * *
作業船がその物体を発見したのは、木星周回軌道上の精密レーダー衛星の成果だった。
通報があってすぐに、作業船は作業プラットフォームAから出発した。
爆発により連絡船の破片は四方八方に飛散し、船体の破片であったり、乗組員の所持品であったり、
またはかつては生きていた乗組員と6人の肉体であったり、等、大きさ10センチ以上のものは位置が把握されていた。
今回発見された物体は、形を分析した結果最重要扱いとなり、捕獲までには2日ほどかかったが、
作業船の乗組員が目視でその物体を確認すると、慎重に捕獲した。
大きさは手荷物用のバッグの半分もない小さなものではあるが、中に含まれているものは非常に重要なものである。
あの時に何が起きたのか、これで全て判明するかもしれない。
連絡船のブラックボックスである。
* * * *
長い光の尾を引いて、太陽の方向に向かう物体が窓から見えた。
すぐ近くにあるように錯覚してしまう。
しかし、その宇宙船までは少なくとも数千キロから1万キロは離れているはずである。
地球へ向かうタンカーなのか、または予定よりもかなり遅れて出発した地球への定期船なのか。
理沙は改めて後悔した。あの時無理に高速連絡船に乗る必要もなかったのである。
しかし。。。。理沙の頭の中に再び疑問が湧いてくる。
いったいなぜ私は発見されないのか。
すでに2週間以上が経過し、3週間目も半ばになろうとしているのに、作業プラットフォームからの連絡すらない。
精密レーダー衛星であればこの大きさの物体は簡単に発見できるはずなのである。
木星のまわりを周回し、木星上空100万キロの範囲であれば、メートル単位の物体であれば大きさとともに軌道を把握し、
近隣の宇宙船や作業プラットフォームにアラートを出すことができるし、事故であれば救助に向かわせることもできる。
救命ボートの自動通報システムは、自身の船体登録番号を周囲数百万キロにわたって発信することができる。
非常時のための2重の助けがあるにもかかわらず、なぜ救助にやってこないのか。
食料と水の不足よりももっと恐ろしいものが、理沙に襲い掛かろうとしていた。
孤独、そして精神的不安定状態である。
かつて、地球の大海原で遭難し、ひとりぼっちになってしまった人物の自伝を読んだことがあったが、
飢えや水不足ももちろんの事だが、なによりも最大の敵は、
自分がこのまま誰からも見過ごされて、そのまま死に至るのではないかという底知れない恐怖である。
さらに条件が悪いのは、地球上であれば少なくとも空気の心配をすることはないのだが、
この救命ボート内では、いつかは空気が汚染されて呼吸ができなくなる心配があった。
水と食料も有限である。最悪、針と糸があれば魚を釣って生き延びる事も可能な大海原とは違う。
小さいながらも何年も稼働可能な原子力ユニットのおかげで、救命ボート内は寒さを感じる事もなく、
食料と水については、きちんと節約すればいいのだろうが、尽きてしまえばそれまでである。
理沙は毎日目が覚めると、原子力ユニットと空気のリサイクルシステムに異常がないこと、
自動通報システムが引き続き救難信号を発信していることをチェックした。
ルーチンワークは不安な気持ちになるのを防いでくれた。
窓の外を眺めながら、木星の雲海をスケッチした。
徐々に変化する雲の動きの観察は、多少の気晴らしになった。
* * * *
4週間目が終わり、5週間目となった。
食事と水の量を少し減らし、できるだけ席に座ったままで動かない事にした。代謝を減らすためである。
代謝が減った事により、終日空腹のような、そうでないようなあいまいな感覚になった。
目が覚めてからすぐの、ルーチンワークは欠かさずに行っているが、窓の外の観察はやめた。
昔、まだ駆け出しの技術者だった頃、宇宙船脱出カプセルの不時着時を想定した、サバイバル訓練を行ったことがあった。
あの時も、いつ救助されるかは知らされておらず、船内の備品と不時着した近辺にある現地調達品のみで生活することが求められ、
荒野の中、見つけた小動物を調理したり、苦労して見つけた水をすすって生活した事があった。
あの時と同じだと思えばいいのだ。
気持ちを前向きにするために、あのサバイバル訓練の時の楽しい事を思い出すことにした。
夜になると焚火をして、メンバー3人で昔話をしたものだった。
理沙のような、夜の街で生活していたのがミュージシャンの端くれみたいな仕事を経験し、
思い立って未知の世界で裸一貫からの生活を始め、社会の底辺の人々といっしょに暮らしていたが、
ちょっとしたきっかけで軍人の世界に足を踏み入れた人物は、めったにいないようである。
毎晩の理沙の昔話は、メンバーの孤独感解消には非常に役に立った。
理沙は一旦、その時まで遡り、サバイバル訓練のときの夜話を頭の中で再現することにした。
目を閉じると、焚火を前にして同僚2人が理沙の話を夢中になって聞いているのが見えた。