命の火が消えかける

目の前の焚火をぼんやりと眺める。
3人で焚火を囲みながら、鍋の中に入れた携帯食料が温まるのを待つ。
すっかり日が暮れて、今夜もおそらく氷点下の寒さになる事が予想された。
「あと何日待つんだろうね」
理沙は目の前の2人に問いかけた。
「さぁね」
同僚は脇に置いている太い木の枝を、火の中に投げ込んだ。
「とにかく、連絡はとれないし、私達だけでなんとか生き延びないと」
「それにしても。。。」
もう一人の同僚が思い出したように言った。
「気のせいならいいんだけど、なんか世間がものすごく騒がしいような」
予定では、訓練期間は10日間のはずで、終わったところでヘリが3人を迎えに来るはずだった。
しかし、もうすでにその10日間を大きく超えて、今日で18日目の夜になろうとしている。
理沙が寄りかかっている大気突入カプセルのレプリカは、3人が生活するには窮屈ではあるが、
断熱材のおかげで夜の寒さから守ってくれる。問題は水と食料だけである。
「明日から、あたりを探して食料になるものを集めましょう。携帯食料のストックを長持ちさせたいので」
温まった携帯食料を鍋の中から取り出して、3人は食べ始めた。
「騒がしいって、何か気になる事でも?」
この荒野での訓練の直前から、中国の動向が非常に激しいということはニュースで良く知っていた。
台湾海峡では軍のにらみ合いの状態が続き、2年前のような小さな軍事衝突が起きるのではないかと言われていたが、
前回のようにあと一歩のところで回避されるのか、その後の状況が知らされないまま訓練は行われた。
「今夜も空は綺麗だし、全く静かなのに」
食事を終えると、3人はしばらく無言のまま、空を見上げた。
なぜか腹が満たされない。しかも体は寒いままである。
理沙は焚火にさらに近づいた。


どれだけ長い時間が経ったのか、
理沙が目を上げると、焚火の向こう側に座っている2人は寝ているようだった。
時刻を確認すると、なぜか時計の時刻表示がよく見えない。
目を凝らしたが変わらなかった。
「そろそろカプセルに入ろうか」
理沙は2人に声をかけたが、ああ。。。と小さなうめき声を上げただけで、再び眠ってしまった。
焚火の火が少々弱くなってきたので、理沙は再び木の枝を何本か火の中に入れた。
徐々に火の勢いが強くなってきたので、座って火を眺めながら、
さきほど言っていた、中国軍の動向について考え始めた。
台湾海峡をはさんで、台湾の国民軍の兵力は約30万。それに対して中国側は公表では100万。
しかし、100年来の悲願である統一中国を目指して、どれだけの犠牲を払ってでもやり遂げるだろう、というのが専門家の見解であった。
来年には共和国設立100周年ということで、老いてもなお気合十分の首席が国民に向けて訴えたのはつい先日。
その後の結果を見ることなく、3人はアリゾナの荒野での訓練を行うことになった。
もしかしたら、今頃は台湾海峡は血の海になっているのだろうか。
揚陸艦と何百もの上陸用舟艇が台湾に向かい、空では互いの戦闘機が激しく戦っているところを想像した。
国際会議の場では、世界各国が激しく互いを非難し合っていた。
そんな世界情勢であるにもかかわらず、3人は隔絶された世界で静かに過ごしている。
気がつけば、目の前の焚火の炎がさらに小さくなってきたので、理沙は再び何本かの木の枝を火の中に入れた。


目の前の2人はすっかり眠ってしまっているように見える。
理沙はカプセルの中から寝袋を3つ取り出してきてから、2人に声をかけて起こすことにした。
「さぁ、起きてちょうだい。そのまま寝たら死ぬよ」
肩に手をかけてゆすってみたが、起きなかった。
それどころか肌がかさかさになって雪のように白く見える。
まさかと思いさらに強く揺さぶってみたが、2人は目を覚ます事はなかった。
うなだれている顔をぐい、と無理やり起こしてみたところ、青白い顔のまま全く生気がない。
しかも、先ほどまで火の向こう側で見ていた表情と全く違う。
どこかで見たような顔だったが思い出せない。
そこであきらめて、理沙は再び自分の座っていた席に戻った。
原因はわからないが、おそらく寒さのせいで亡くなったか気絶してしまったのだろう。
夜が明けるまでにどれだけの時間があるのか、時計を見ても全く役にたたないので、遠くに見える山々の先が明るくなるのを待った。
2人の事は一旦忘れ、自分のこの先の事について考える事にした。
台湾海峡で戦争ということになれば、周辺諸国も巻き込まれて、沖縄や横田からは毎日のように輸送機が飛び立ち、
横須賀からは空母が艦載機を満載にして出発することになるだろう。
世論がどれほど盛り上がり、反対運動が起きようとも、全く無関係に事は粛々と進むことになる。
理沙も宇宙コマンド部隊の一部として、事業団から軍に引き戻されて、上空からの作戦行動を指揮することになるかもしれない。
中国のEMP兵器が、一瞬にして合衆国のシステムやネットワークを無力化し、
そのすきをついて一気に軍を台湾に上陸させて、そのあとは力の論理で台湾はねじ伏せられることだろう。
しかし、この荒野でいったい自分は何ができるのか。
危機的な状況にあるものの、何もできない自分に、理沙は非常にもどかしい気持ちになった。


深夜の時間帯になったのか、さらに冷えてくるので焚火に再び何本かの枝を入れた。
そこで、目の前に座っていた2人がいなくなっているのに気がついた。
慌ててあたりを探し回る。
2人の名前を呼んでみたのだが、返事がない。
それほど遠くに行っていることはないだろうと思い、暗闇の中に目を凝らして2人の姿を探した。
懐中電灯を探そうとカプセルの中に戻ると、カプセルの中に先ほど探していた2人がいた。
「なんだ、どこかに行っていたの?」
自分が気にして探し回っていた事など全く知らないかのように、2人はカプセルの中で話を続けていたようだった。
「それより、ついさきほど戦争が始まったらしい」
2人はカプセルの中にある、小さな携帯端末を開いて、ニュース映像を見ていたところだった。
ホワイトハウスの映像が見えた。
何台かの装甲車がホワイトハウス前の通りを走り、時々発砲していた。
「中国の軍隊が突然潜りこんできたらしい、死者が300人とか、今警察と中国軍でもみ合いになっている」
よく見ると、中国の国旗をつけた装甲車の前で、1人の学生と思える人物が立ちはだかっていた。
道を塞いで進路妨害しているようである。
1人では無駄な抵抗と思いきや、なかなか動けなくて装甲車は難儀していた。
「合衆国ももう終わりだな。ホワイトハウスが占拠されて、中国が我が国を支配するのか」
そんな危機的状況なのに、自分はいったい何をしているのか。
静かなこのアリゾナの荒野で、誰と連絡をとることもできず、待っているだけである。
「ああ、そういえば理沙」
携帯端末の映像を見るのをやめるようにと同僚は注意してきた。
「外の焚火は大丈夫?火を絶やさないようにしないと」
危機的状況のことはいったん忘れて、理沙はカプセルから出ると再び焚火のそばまで戻った。
かなり火が小さくなっていたが、消えているわけではない。
なぜか枯れ枝の山が大きくなっていて、理沙は手で掴めるだけの分の枯れ枝を火の中に入れた。
火が一瞬消えたかと思われたが、徐々に火が大きくなり、キャンプファイアー状態になったので理沙は火から少し離れた。
しかし、熱さは全く感じない。
それどころか氷のようにあたりは寒かった。
荒野の夜はこれほどまでに冷えるのだろうか。
あたり一面が明るくなったところで理沙は気づいた。
さきほどまで3人で会話していた、突入カプセルが視界から消えていた。
3つ用意したはずの寝袋もなく、携帯食料と水のタンクはそのままだったが、理沙は1人だけになってしまった。
慌てずに、落ち着いて考えよう。
理沙は自分の身の回りにあるものを1個づつ再確認した。


カプセルの所在は結局のところわからなかった。
枯れ枝を適当な間隔で火の中に入れて、火を絶やさないようにした。
火が消えたらそこでもうおしまいだ、ということを理沙は強く認識していた。
とにかく生き延びて、朝になったら行動を始めて近くの基地に行こうと思った。
そこで現在の情勢を確認して、できることであれば中国との戦いに何らかの形で参画して、危機から救い出さなくてはいけない。
体はさらに冷え切ってきたが、目の前の焚火が消えない限りは生きていることはできると考えていた。
視線を遠くに向けると、わずかではあったが山の向こうが徐々に明るくなっているようだった。
希望が見えてきた。
朝が来るまでなんとか生き延びよう。

*     *     *     *

原子力ユニットの操作パネルに、小さな赤いランプが点灯をはじめたのは2時間ほど前。
十分な稼働時間が保証されている原子力ユニットではあるが、なぜか異常事態が発生していた。
熱崩壊で何年も継続的に電力と熱を発生させるタイプとは違い、小さいながらも原子炉と同じ仕組みの原子力ユニットは、
熱と電力の制御が可能で、出力も何倍も大きいのだが、制御に問題が発生すれば自動停止する設計になっている。
2時間ほどで出力が徐々に低下し、原子力ユニットは停止した。
小さな救命ボート内は電力が止まると、徐々に温度が下がり始めた。
室内は非常灯に変わり、バッテリーは3日間もつように設計されているが、電池切れは即すべての終わりを意味する。

*     *     *     *

レーダー表示の片隅に、小さな点が突然に現れた。
監視員の一人が、あっ。。。。と小さな声を上げた。監視員はすぐに上司に報告した。
「ID確認しました。救命ボートで間違いないです」
しかし、そのエリアは十分に探したはずである。
数センチの小さな破片含めて、航海上の障害にならないように、十分に捜索が行われて除去も行ったにもかかわらずである。
「でも、救命ボートだけ無傷なわけないだろう」
上司はその物体のIDを再確認したが、やはり間違いなかった。
「すぐに作業船を手配」
作業プラットフォームCの管制室は騒がしくなった。
15分後、2隻の作業船が発見されたその座標に向け急行した。



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