帰宅とともにただ眠る

春の空気が心地よい。
窓から流れ込んでくる風を感じつつ、理沙は一年半ぶりに帰宅できることに安堵していた。
やがて軍のワゴン車は市街地から住宅地に入った、見慣れた風景に気持ちが落ち着いてくる。
広い芝生の前でワゴン車は停まる。
不在の間も芝生がきちんと手入れされていることに安心した。
ドアが開いて士官が理沙に手を差し伸べてくる。
躊躇せずに理沙は士官の手を握りワゴン車から出る。
後続のもう一台のワゴン車から荷物類を運んでくる別な士官の後について、理沙は玄関まで歩いた。
士官たちは荷物を部屋まで運ぼうとしたが、理沙は玄関の前まででよいと丁重に断った。
「それでは、私たちはこれで失礼します。大佐」
士官たちは敬礼し、理沙もそれに応えた。
2台のワゴン車が出発するのを理沙は見送った。

*     *     *     *

部屋に入ると誰もいなかった。
昨日ジェシーには帰宅する旨連絡はしたものの、帰宅時刻までは伝えていない。
ジェシーに帰宅したことをメッセージに入れようかと思ったが、荷物を自分の部屋まで運び入れたところで強烈なだるさを感じて、
居間のソファーに座るとそのまま動けなくなってしまった。
とりあえず制服の上着は脱いだものの、そのままソファーに投げ出してゆったりと横たわり、
天井を見ていたが徐々に視界はぼやけてきた。
しばらく夢なのか現実なのかわからない状態をさまよっていた。
天井の照明が医療センターの天井に見えたり、軍本部の冷たい天井のようにも見えた。
クッション材が敷き詰められた救命ボートの狭い室内のようにも見えた。
息が苦しくなって絶命しそうになった。
そこではっとなって目覚めると、もうすぐ夕方になろうとしている自宅の風景だった。


*     *     *     *

「すべての証拠は、あなたの過失を示している」
司令部では、自分のすべてを否定されているのではないかと思えるほどの尋問を受けた。
「なぜ、自分の身の安全を優先して逃げた?」
「逃げてはいません。これはシステムの何らかのトラブルです」
しかし、理沙がいくら反論しても状況は変わらなかった。
自分を取り囲むように座っている上層部、席の隅に座っている上司である少将も、誰もが敵のように思えていた。
そして状況証拠として提出されたレコーダーの記録も、完璧なまでに理沙の過失を示している。
「他の乗組員の命を助けるべきところ、救命ボートに真っ先に乗り込んで、ハッチを閉めた」
「閉めたのは私ではありません。突然に閉まったのです。脱出シーケンスも解除しようとしましたが、止められませんでした」
上層部メンバーは皆目くばせをしていた。
理沙を厄介者扱いにしていた。上司も困った表情を隠せない。
「では、レコーダーの記録を否定するつもりかね?」
毅然とした態度で理沙は答えた
「はい。レコーダーの記録には矛盾があります」
「矛盾があるのはあなたの方だ」
レコーダーの記録どころではない。
木星周回軌道上のレーダー衛星の記録、モニター衛星の高解像度の映像記録、証拠は多数提出済みであると譲らない。
「矛盾に対して反論できる、証拠はありますか?」
冷たく尋問する向かって正面の士官に、理沙はきっぱりと言った。
「あります。私自身が証拠です」


*     *     *     *

1台のタクシーが家の前で停まった。
ジェシーと娘が降りてきた。
買い物バッグを二人で持ちながら玄関から入り、居間に入ったところで人の気配を感じて大声を上げそうになった。
ジェシーは口を抑え、理沙のそばに寄って行こうとする子供を制した。
疲れ切って泥のように眠っている理沙のそばを静かに歩いて、投げ出してある制服の上着を取り、
理沙の部屋に向かっていった。
外はすっかり夕暮れになり、西日が窓から差し込んでいた。
ジェシーはキッチンに入り夕食の支度を始めた。
居間のドアは開けたままだったのでキッチンでの親子の会話が漏れ聞こえてくる。


*     *     *     *

状況を振り返ってみるつもりか、理沙は再び木星から地球へ向かう高速艇に戻っていた。
システムトラブルで地球へ向かうのは無理だとわかり、作業プラットフォームAに戻ると船長は言っていた。
「それほど大したことではないのですが、慎重に対応します」
「わかりました」
そのあと、理沙は通路ですれ違った調査班リーダーに声をかけた。
「直近で地球に向かう便は手配できそうですか?」
「調べてみます。ちょっと待っていただけますか」
調査班リーダーは動力ブロックに向かう船長の後を追った。
理沙は自室に戻ろうとした。
突然のアラート音。照明が突然に非常用に切り替わり、赤い照明の中で理沙はとっさに判断し言った。
「早く避難しなくては」
幸いにも、理沙が一番救命ボートから近い場所にいた。
乗組員の一人が理沙に近づいてきた。
「先にボートに入ってください。私は船長を呼んできます」
理沙はボートに入った。それほど広くない室内。
小さな窓から見ると、動力区画が大きく損傷しているのが見えた。
アラートの警報レベルが上がり、船体の隔壁がきしむ音が聞こえる。
理沙は死の恐怖を感じた。
窓からは損傷した箇所が広がり空気が大量に漏れているのが見えた。
救命ボートのドアに乗組員と調査チームのメンバーが殺到しているのが見えた。
狭い通路で押し合いになりなかなか入れない。
反射的にしてしまった行動に、理沙は何という事をしてしまったのか恐ろしくなった。しかし、もう止められない。
理沙はハッチのドアを閉めて、脱出シーケンスを作動させていた。
密閉した窓の外には殺到している乗組員と調査チームのメンバーたちの顔。
救命ボートは切り離され、エアロックのドアから吸いだされる人たち。
救命ボートはエンジンを始動し高速艇を離れる。
かなり離れたところで高速艇は大爆発した。
大量の破片が飛び散り、目を大きく開いた生首が理沙の元に飛んできた。


*     *     *     *

悲鳴が聞こえたような気がして、ジェシーは料理をする手を止めた。
娘も気になったようで、居間の方に行こうとしたのだがジェシーは娘を制止して、居間の方に向かった。
外はすっかり暗くなっていた。
居間の灯りをつけようとしたがまずはそっと近づいて理沙に声をかけた。
理沙は目を閉じていたが、ジェシーが優しく声をかけるとうなされたような声を出して、やがて目覚めた。
「何か言ってた?」
心配そうに理沙は尋ねたが、ジェシーは首を振った。
「いいえ、別に」
夕食の準備ができるまでまだ20分ほどかかることを伝えると、再びキッチンに戻った。
居間は再び静かになった。
うなされたような声が聞こえる事もなく、料理の準備ができたちょうど20分後、理沙は居間から出てきた。
テーブルに座った理沙の顔色は冴えない。
娘に抱き着かれてようやく笑顔を取り戻したが、言葉は出ない。
静かな夕食だった。
ただ機械的に食事を口に入れている理沙。ジェシーと娘もほとんど会話することはなかった。


*     *     *     *

木星のまわりを救命ボートで漂い、2か月間後に奇跡的に救出されたとき、誰もが助かる見込みはないと思っていた。
しかしながら極限の低温の状態であったこと、理沙の脳髄の近くに組み込まれた非常用のシステムが延命に役立った。
消化器官のほとんどにダメージを受けたものの、意識を回復できたのは奇跡としか言えないことだった。
2か月間の身体のオーバーホールと意識回復後のリハビリにより、理沙は復活した。
しかし、復活した理沙を待っていたのは、事故の責任追及という残酷なまでの仕打ちだった。
高速艇のシステムが記録していた全情報は、自分の身の安全だけを考えた理沙の身勝手な行動で、
他の乗員乗客を見殺しにしたことを示していた。
軍の医療センターに、理沙を見舞いに行った上司である少将は、理沙にねぎらいの言葉をかけ、
当面は仕事のことは考えないように指示した。
彼女に待ち構えているこれからの事を思うと、今は当たり障りのない事しか言えなかった。
軍本部の会議の場で、尋問されている理沙を見て、彼はひどく心が締め付けられる思いをした。
自分について不利な状況証拠を突き付けられても、まだ自分を保とうとしている理沙。
いったい何がそこまでの強い意志を保たせているのだろうか。
状況証拠を覆すような何かを理沙が持っているようには見えなかったが。


*     *     *     *

食事を終えても、ジェシーと理沙はそのままテーブルについて無言のままだった。
「変よね。。。。」
ようやく理沙は口を開く。
「何が?」
マグカップに残ったコーヒーをジェシーは眺めていたが、理沙を正面から見つめた。
「証拠を突き付けられて、それは違うと否定しても、信じてくれない」
尋問の内容については、ジェシーは祖父から断片的に知らされていた。
軍および開発局の機密事項に属する内容だけに、理沙が帰宅したらいったいどんな話をしたらいいのだろうかと思ったが、
苦しんでいる理沙を目の前にして、果たしてそうだろうかとも思った。
「もし。。。」
ジェシーは慎重に言葉を選んだ。
「本当のことを聞かせてくれるとしたら。。。。」
祖父からの話を聞いた夜、胸騒ぎがしてジェシーはなかなか寝付けなかった。
事故の全体像はよくわからないが、なぜか祖父からの話をすべて信じる気にはならなかった。
証拠がすべてを示していても、なぜか信じる事ができない。
彼女の直感に何かが引っかかっていた。
「あたしは、理沙の事を信じるよ」



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