軍法会議
「これより、地球/木星間連絡船の事故に関し、軍事裁判法にもとづき裁判を開始します」
そのあと、裁判長が淡々と理沙の罪状について説明を始めた。
説明は5分ほどで終わった。
裁判の争点を要約すると、木星を出発したまだ公試運転中の高速連絡船を自己都合で使用し、
挙句の果てにはシステムトラブルが発生したにもかかわらず、自分勝手に救命ボートに先に乗り込み、
勝手に発進させ、乗組員およびタイタン基地の調査に参加していたリーダー含めた5人を見捨てた、というものである。
理沙は、罪状はすべて事実に基づくものではなく、勝手にでっち上げられたもので、証拠として調査委員会に提出された
画像や音声のデータは巧妙に作り上げられたものであると反論した。
しかし、データが捏造されたものであるという証拠を提示できない以上、理沙は不利な立場に置かれていた。
弁護人である、軍の関係者からは事前に打ち合わせを行い、軍法会議の進め方についても説明を受けていた。
それでも、あまりにも一方的な説明に理沙は気持ちが高ぶるばかりで落ち着かなかった。
軍法会議は、裁かれる対象が軍人が犯した罪に限定されること、
軍の法律に従って裁かれる以外は、一般的な裁判と仕組みとしては大きな変わりはない。
今回の裁判は、理沙にとってあまりにも退屈な内容だった。
自分勝手にまだ公式に運行を開始していない連絡船を使用し、
ただ地球にいち早く帰りたいがために、リーダーである少佐とともに船長をうまく言いくるめて、
船を出発させることはできたものの、突然のシステムトラブルでやむなく出発は中止。
最低限、少佐だけでも一緒に生き残っていれば、今のこの不利な状況は好転していたかもしれないと、恨めしく思った。
「今日は、形式的な説明のみなので、聞いているだけでも辛いと思いますが、我慢してください」
弁護人から言われたその言葉を信じて、理沙は怒りがこみ上げるのをぐっと堪え、その日の審議は終わった。
終わると、さっそく弁護人と一緒に、2日後の2回目の審議に備えた打ち合わせを行った。
「事故調査報告のひとつひとつの項目に対して、地道に反論してゆく方針で考えています」
「私も同感です」
同感どころか、調査報告書すべてに違和感があり、説明するのも退屈なくらいである。
しかし、データに基づいた客観的分析、という観点であれば全く問題はなく、
裁く側と裁かれる側の主張が噛み合わない状態で裁判が行われるという、非常に異例なものとなった。
「まず、公試運転中の宇宙船に関して、自分が一日でも早く地球に帰還したいという個人的希望で船長を強引に動かした。。。」
「意義あり」
弁護人はすぐに反応した。
「被告が、自分の意志で船長を強引に動かしたという事は、事実に反します。船長と交渉したのは当時被告と行動を共にした
タイタン基地事故調査リーダーである少佐です。被告は彼の行動をいったんは注意しています」
「ですが」
調査委員会のメンバーである、検察官は弁護人の発言を否定した。
「こちらは全て記録データにもとづくものです」
データをもとにした説明は翌日以降に予定されているので、討論はそこまでとなった。
「軍の士官として、権威を間違った形で使用していることになります。この点で、被告の罪は非常に重い」
船が地球に向けて出発し、木星周回軌道のパーキング軌道上で、トラブルが発生した時の対応に争点が移った。
「被告は、船のシステムトラブル発生時、船長に対して、まずは不測の事態に備えて先に救命ボートに入りたいと申し出ました。
その行動自体は問題ないのですが、他の乗組員やタイタン基地事故調査チームの事を気にすることなく、
自分の判断で救命ボートを発進させました。強引なその行動がなければ、まだ救われた命があったはずです」
理沙は、腹の底から再び怒りがこみ上げてくるのを感じるとともに、あきれてしまった。
弁護人が反論を開始した。
「救命ボートが発進したのは、不慮の事故です。被告は救命ボートを操作したことは全くなく、ひとりでにハッチが閉じて、
発進操作プログラムがひとりでに動き出して発進したと述べています。救命ボートの記録データ含め、
もっと詳細な解析が不足しているものと考えます」
「救命ボートの記録データは、すべて被告がハッチ操作、発進操作を行っていることの証拠となっています」
原告、被告双方の主張は今日も全く噛み合わず、2回目の審議も退屈でストレスが溜まるだけの内容となった。
* * * *
3回目の審議も、実際のデータに基づくものとはいえ、実際の状況を知っている理沙の立場からすれば、
違和感だらけで事実に基づかない、茶番とも言える内容だった。
しかし、法廷のスクリーン画面上で見せられている映像と音声は、非常に真実味があり、
画面上で理沙は船長に対して言葉巧みに交渉し、トラブル発生時の連絡船内では、機敏に対応し、
リーダーである少佐と対応について話し合い、救命ボートへの避難対応についても非常に迅速だった。
ただし、自分が先に行き、救命ボートに乗って逃げたことを除けば。
「全体を通して言えることは」
2時間に及ぶ音声画像証拠の提示を終え、検察官は全体を総括した。
「すべて被告が身勝手、かつ軍の士官としてあるまじき行為をしたことを証明しています」
検察官のデータ提出と説明で午前中は終わり、午後からは弁護側の時間となった。
データ証拠のひとつひとつに対して、理沙が覚えている範囲で、相違点を指摘した。
「まずこの時刻のこのシーンについて言えば」
いったん画像を止めて、弁護人は理沙の証言をもとにしたメモを読み上げた。
「こう述べています。"少佐、その対応はまずいと思います。テストが完了していない船を無理に使用するとは"」
しかし、別な角度から理沙を捉えた画像データでは、弁護人の読み上げたメモの通りに理沙は喋ってはいない。
「単たる作り話ですね」
そして、検察官はうっすらと口元に笑みを浮かべていた。
画像を再び戻し、動かし、理沙の口元を拡大し、再び戻し、動かし、再び戻し。
審議は、言葉の一字一句を追いかけるような、非常に低レベルの論争に発展していた。
しかし、どうあがいても、弁護人の読み上げる言葉の方がしっくりとこない。明らかに不利である。
他の会話シーンでも同様で、理沙の記憶の中で実際に話した内容と、
画像データの中での理沙の会話には一致する点が全くない。
実は自分が記憶している事実の方が間違いで、記録データの方が真実なのではないか。
3回目の審議は長時間に及び、時間内ですべての証拠画像データの審議を終える事ができなかった。
宿舎に戻ると、理沙は何もする気力がなく、そのままベッドに横になるとすぐに眠り落ちていた。
* * * *
4回目の審議は、引き続き画像データについての審議。
午前中では終わらず、午後3時近くになったところで終わり、休憩後に今後の進め方について裁判長から説明が行われた。
まずはデータに基づいた証拠、データに対しての反論をもとに審議が行われ、罪状についての検察と弁護側の主張。
そのあと被告に弁論の機会が与えられ、特に追加の審議が必要なければ判決、と裁判長から今後の流れが説明された。
弁論の際に何を主張するか、理沙はまだ考えがまとまっていなかった。
弁護人との会話の中で、とにかく正直に、自分の思っている事を主張すればいいとアドバイスを受けたものの、
データによりすべてが否定されることは間違いなく、気が進まなかった。
「でも、主張しないことには何も始まりません。それに」
弁護人は疲れている理沙を励ますように、
「疑わしきは罰せず、という原則もあります。その点に賭けるしかありません」
弁護人もまた、当初は膨大な量の証拠データを前にして、非常に不利な裁判になると予想していたが、
理沙の主張もまた非常に一貫性があり、自分の主張に対し少しも疑いを持たず、
毅然とした態度で反論している姿を見て、徐々にではあるが、まんざらでもないなと心の底で思うようになってきた。
「とにかく、やってみましょう。どこかしらに抜け穴があるはずです」
弁護人も、もしかしたら勝てるのでは、という方法を一つ思い出した。
理沙と別れ、自宅に戻った後、弁護人はさっそく過去の判例を調べ始めた。