問題提起

記録データに対する、外部からの介入および改ざんという、理沙からの問題提起について、
さっそく検察側からは拒否反応があった。
しかも、世の中の中枢で社会インフラの一部となっているシステムが敢えて介入したこと、
そしてデータの改ざんをするなどありえないと主張した。
その主張に対し、理沙が弁護人を通して開示要求をしたのが、タイタン基地での事故についての報告書である。
タイタン基地での事故報告書は、事業団および軍内部では最高機密扱いであり、
そもそもタイタンに基地が存在する事、1200人もの人々が実験台として居住している事自体、世の中には知らされていない。
「その事故調査に関わった当の本人からの発言を、無視するということでしょうか?」
事前の打ち合わせ通り、理沙と弁護人二人組の反撃が始まろうとしていた。
検察側はさっそく異議を唱えた。
「この裁判は、木星での事故についての責任を問うものであり、タイタン基地の事故と結びつけることはできません」
「では、タイタン基地の事故調査の現在の状況についてご説明を」
弁護人はさらに食い下がったが、取り扱われなかった。
しかし、状況だけでも知りたいとの強い願いに対し、裁判長の判断により、日を改めて説明が行われる事になり、
ほんの少しではあるが前進はしていると、理沙は実感した。


タイタン基地の事故調査報告については、既に理沙の手元を離れてしまったため、データへのアクセスは許可されていないが、
リーダーと一緒にレポートをまとめていた事もあり、内容については理沙はほぼ全てを記憶していた。
3日ほど待たされて、タイタン基地の事故報告が法廷で読み上げられることになった。
軍法会議も初日からかれこれ3か月もの時間を要していた。
単なる規律違反の責任追及であれば、数回の法廷で判決に至るのであるが、
今回は理沙と弁護人が粘り強く対抗したのが功を奏したのか、または別な理由によるものなのか、軍法会議は延長された。
時には感情も入ってしまい検察、弁護人の間で口論になってしまった事もあった。
判決はいったん1か月前に下されてはいるが、弁論の際の理沙のこの言葉が裁判を継続させる事となった。
「私は、当件について、単なる私自身への責任追及では終わらせたくはありません」
では、真の争点とは何か?
あくまでも参考情報扱いとして、タイタン基地の事故調査レポートが読み上げられた。

*     *     *     *

[2081年8月のタイタン基地における事故、および事故に関係した考察]

【背景】
2081年8月xx日、土星のタイタン基地において、居住者3名が突然死する事故が発生。
そのうち1名は、基地建設開始以前から、基地の中枢システムの設計開発に携わっていたエンジニアである。
基地の建設目的は、将来の太陽系深宇宙および太陽系外への進出のための、居住インフラ設備の開発/テストが主であるが、
実際に人を住まわせることで実生活上の問題点を洗い出し、今後に向けた改善へのフィードバックも含まれる。
また、社会インフラとしての中枢システムについて、次世代型プロトタイプのテストも目的に含まれており、
過去に発生した、システム起因の事故への改善について、エンジニアは研究テーマとして取り組んでいた。
事故は、エンジニアがその研究テーマに取り組んでいた矢先に発生したものである。

【事故の状況】
一部極秘事項も含まれているため、ここでは概要のみ述べる。

●2081年8月xx日

<09:00>
1直業務開始、居住者2名は担当セクションにて業務開始。担当は中央制御室でのシステム監視業務。
<09:10>
エンジニアも中央制御室に到着。上司との打ち合わせの後に担当業務開始。
<10:25>
生産システムでの小規模トラブル対応。中央制御室でのリモート対応。10:55には解消。
<12:05>
エンジニアは居住者2名を誘い商業ブロックに行きともに昼食。昼食時の会話内容については極秘扱い。
<13:00>
午後の業務開始。その後17:00までトラブルなし。
<17:00>
2直との引継ぎ後に業務終了。
<17:10>
エンジニアと居住者2名は打ち合わせコーナーにて会話する。17:35に終了。会話内容については極秘扱い。
<18:10>
商業ブロックでの買い物ののち、各々の自室へと向かう。
<18:30>
エンジニアも自室に到着。その後夕食。
<22:45>
居住者2名とも、夕食後は普段通りに過ごし、その後就寝。
<23:50>
エンジニアも、夕食後は普段通りに過ごし、その後就寝。
<26:10>
居住者2名が突然死。
<26:50>
エンジニアが突然死。

【死因について】
3名ともに心不全。なお診断時のカルテ等の情報については極秘扱い。

【当事故についての考察】
居住者2名、およびエンジニアについて、日頃から体調不良はなく、基地内での定期的な健康診断、
および常に身に着けている生体モニター情報の分析では、死亡直前までは健康上問題なく、
前触れもない突然死であると考える。
また、司法解剖の結果でも事件性はないと医師は判断。
なお遺体については冷凍保存されたのちに地球へ移送され、その後埋葬される。

*     *     *     *

データとしてはかなりの量がこのあとに続くことになるのだが、
まずは、全体概要としての部分のみが読み上げられた。
一番知りたい肝心の部分が、まだ極秘扱いとされている事に、理沙は非常に不満はあったが、
その部分はまさにこれから地道に深掘りしてゆくことになるのだろう。
そもそも理沙は極秘事項含め全てを知っていた。
「これから、詳細をご説明いただけるのでしょうか?」
若干の皮肉をこめて、弁護人は裁判長に問いかけた。
「いちおう説明はしますが、かなりの部分が黒塗り状態です」
やはりそうか。
理沙は少々落胆はしたがこれも想定の範囲内である。
その後は、長々と詳細なデータについての説明が続いた。
事故当日の3人の行動記録データ、生体モニターから得られた様々な情報、体温と心拍数に血圧といったデータ。
気持ちの変化は生体モニターからある程度は判別できるが、参考程度にしかならない。
業務記録データも、いつもの通常業務に関係することであれば、これもまた参考程度にしかならない。
長々とした、見ていて退屈になるようなデータの集まり。
しかし、その日の就寝後の生体モニターからのデータだけが、なぜか極秘扱いとされ開示されていない。
「一番知りたいところの情報が、なぜ開示されないのでしょうか?」
この問いかけにも、極秘扱いということであっさりと反論されただけ。
その日は事故当日の報告書の読み上げだけで終わってしまった。
退屈で成果の全くない一日。
しかし、翌日に再び弁護人が同じ問いかけをしたところ、意外な答えが帰ってきた。
「データはまだ分析中で最終結論は出ていません。結論が出るまでは極秘扱いにするという判断がされました」

*     *     *     *

再び理沙に弁論の機会が与えられた。理沙はさっそく言った。
「開示できないという理由として、何者かの介入があったのでしょうか」
レポートをまとめた当の本人を前にして、まだしらを切るのだろうか。
データが手元にない以上、理沙は記憶を頼りに述べるしかなく、機密事項の内側を堂々とこの場で述べてもよいのだが、
記憶は頼りにならないと頭ごなしに言われてしまっているので、また同じ議論の繰り返しになってしまう。
「ああ、あの時のメモが手元にあればよかったのに」
木星周回軌道上で、奇跡的に救出されたときにはまだそれは手元にあった。
ヴェラから託されたそのメモさえあれば、その証拠を起点として反撃できるはずだったのだが、今それは所在不明である。



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