死の真相

昼食後、ヴェラは再び仕事に戻り、画面上に表示されるデータを眺めながらも、
つい先ほどまでの夫婦との会話を思い出していた。
軽い気持ちで食事に誘った事を今さらではあるが後悔もしていた。
[私達がここに来ることになったのは、実験台としてなんですよね?]
まぁ無理もない。
年齢職業それに学歴も問わずに一般募集で集められて、大した訓練もなく地球から10億キロ以上も離れた辺境の地に来るとは、
よほどの理由があるのだろう。
口には出さなくても陰口は叩かれているだろう、ヴェラはいつもそう思っていた。
[太陽から離れた、辺境のこの土地でも、核融合のエネルギーだけで生活を維持可能かの実験です]
そうやって職員たちの愚痴にヴェラはいつも対応していた。
[それだけではないんですよね?]
妻の方がヴェラに問いかけてきた。
[もっと本当は大きな目的があって、そちらの方が重大なミッションだとか]
ヴェラは食事をする手を止めて、彼女の事を見つめる。
[実はね]
夫婦は、少し身を乗り出してヴェラの言葉を待っていた。
[私も本当の事は知らないのよ。一部の人は知っているらしいけど]
会話はそこまでだった。
食事を終えるとコーヒーを飲みながら、3人で他愛のない世間話をする。
ヴェラは仕事をする手を止めて、自分の席から10メートルほど離れた場所に座っている、
さきほどまで会話をしていたその夫婦のことを見つめた。
午前中に発生したシステムの小規模トラブルも解消し、核融合炉や各ブロックの状況も全く問題なし。
問題さえなければ、衣食住に困ることは全くなく、基地内は24時間365日常に20度前後の暖かさ。
しかし、何かに気づいているのは彼ら夫婦だけではない。
ヴェラは少しの間考えをまとめてから、行政官宛に短いメッセージを送った。


思った事、心の中で感じた事すべてを、システムは受け止めていた。
言葉にはならないが、居住者ひとりひとりは常時センサー内蔵のパッチを身に着けることを義務付けられているため、
生体モニター信号が大量に基地内ネットワークを通じてなだれこんでいた。
名目上は、居住者すべての生活状況の監視を目的としていたが、生体信号は生活リズムの変化だけではなく、
感情の変化や思考の状態にも関係するため、間接的にではあるが、思考内容はシステムに筒抜け状態だった。
居住者のほとんどが、地球上での貧困と劣悪な状況からの逃避を目的としてこの基地に来たのだが、
天国のような生活も、慣れていくにしたがって退屈きわまりない不自由な場所になっていった。
基地建設の計画段階から、そのことは十分に想定されていたことだった。
そしてその事は、計画段階から参画していたヴェラにとっても、自分の研究テーマにつながる課題となっていた。
[想定していた事態が、始まっているようです]
メッセージを送って、5分も経たないうちに行政官から返信が届いた。
[では、また事故が?]
ヴェラはすぐに返信した。
[はい、おそらくすぐにでも]
2直との引継ぎを見守り、ヴェラは帰宅しようとするその夫婦を呼び止めた。
「ちょっといいかしら?」

*     *     *     *

ヴェラは自分の部屋に戻り、買い物をした時に買った食材で夕食を作り、30分ほどかけて食事をした。
しかしその日は、いつものようにワインでの晩酌はしなかった。
ソファーで壁面ディスプレイに流れるニュース映像を、焦点が定まらない目でしばらく見つめていたが、
起き上がると、机に座り、引き出しからメモを取り出して何かを書き始めた。


[システムには感情がないと長年言われてきました。
微細な回路上を電気信号が流れ、その流れは様々なものを制御し、その制御が世の中を動かしています。
しかしそれは緻密に設計された回路上の信号、オンオフの集まりでしかなく、
ひとつひとつの信号に意図された思いはありません。しょせん電気信号です。
しかし、それだけでは説明がつかなくなったのが、量子信号回路により制御されたシステムです。
オンオフの2つの状態だけでなく、その間をとるような状態もあり、どっちつかずの予測もつかない状態、
そのどっちつかずの状態が、大容量記憶という意味では劇的な進歩につながり、今に至るわけですが、
同時にどっちつかず予測不能ということは新たな課題も生み出しました。
システムが出した判断が本当に正しいものなのか。
予測不能の状態から生み出された解が、最適化され最善であると当初は歓迎されましたが、
同時にそれは人類にとってはとんでもない怪物も生み出してしまったわけです。
というのが、私なりのエリシウム基地での事故についての考察です。
でもその考察が、本当に正しいものなのかについて検証するには、再び実験するしかないのです。
しかし、もう今さら実社会で試すわけにはいかない。
システムが不穏な動きをしないかどうか、常に人間が監視し、本来は人手不足を解消することを目的にシステム化したはずが、
かえって予測不能の状態を監視するために、さらに人が必要になる]


[非常に皮肉なものです。これでは何のためのシステム化であるかわからない。
そのために、このタイタン基地の計画に、私は相乗りしたわけですが、いよいよその実験のチャンスがやってきました。
犠牲者は遠くないいつか発生するでしょう。
全体最適化のロジックに従って、システムはおそらく2人を始末にかかるでしょう。
私は、それを食い止めたいと思ってはいます。
でも、食い止めるためには始末にかかる前ではなくて、そのあとに手を打つ必要があります。
どうすべきなのかについては、私には1つだけ考えがあります。
システムには感情がないと言われてはいますが、では、もし感情を持ってしまったらどのような事態が発生するのか。
私の発想はそこからスタートしました。
感情の根底にあるものは何なのか。
もやもやとした無意識状態から私たちは誕生し、親の愛情を受けながら成長し、その過程の中で感情は作られるものと考えます。
私ヴェラそのものである自我というものが、成長の過程で構築されながら今に至る。
その根底にあるものが何かと言えば、生命力であり、生きていることそのものが自分を構築するのではないかと。
自分が生きている、その深い意識があれば、そこを起点として自我が成長し、感情が作られるものと私は考えました]


[では生きているという自覚を、システムに持たせることは可能なのか?
非常に難しいことであると思います。
しかし私なりに考えた末に、可能である1つの方法を思いつきました。
生の反対の死の概念を植えつければいいのではないかと。
死が記憶の深いところに常にあり、その死を恐れる気持ちが生きている事を実感させる。
そのことを実現できるだけの道具も身近にあります。
そしてやろうと思えば私にもすぐにできる。
まさか自分がこんな結論に至るとは、自分でも思ってもいませんでした。
地球から離れたこの場所で、このような形で別れる事になるとは、辛い事ではありますが]


[今までお世話になった皆様、本当にありがとう。
どれだけ感謝しても言い表せないほど、今は気持ちが整理できていないので、こんな文章になってすみません。
私の最愛の夫、そして娘には、こんな別れになってしまって本当に申し訳ないと思っていますが、許してください。
しかし何よりも私は、親友である理沙に伝えたいことがあります。
私が残したこのメモを起点として、私の仮定が正しかったことを見届けて欲しいです。
このあとの私の実験から、システムは今までとは全く違った動きをするものと思います。
全体最適化のロジックだけではなく、生存本能と感情に支配された動きをするのではないかと。
システムの大量のログデータを隅から隅まで調べても、原因は追及できないと思っています。
なぜならば、生存本能を持ってしまったシステムは、おそらく自分自身の保身に走るでしょう。
罪を隠すために、自分が使用可能なあらゆる手段を使って、自分の身を守ろうとするからです。
生き続けるためです。
間違いを犯し信頼できないことを知られて、自分を破壊されたくないからです。
システムは増殖して、あらゆる場所にクローンを増やしてゆくでしょう。
動きが見えないから本当にたちが悪いです。
真相を知ってしまったあなたは、もしかしたらシステムから命を狙われるかもしれません。
でも、なんとか生き延びてください。
恐ろしい事がこれから先次々に起きるかもしれません。だからといって、システムを敵と決めつけてはいけません。
この危機を乗り越えれば、その先はまた違った世界がやってくると思います。
その結果を見る事ができなくて私は非常に残念ですが、代わりに、理沙には生き延びてほしい。
私が伝えたいことはここまでです。
皆さんのことを愛しています。神のご加護を。では、おやすみなさい]

*     *     *     *

メモを書き終えると、ヴェラは深呼吸をしてからしばらくの間外の風景を眺めていた。
異様な色のタイタンの空、夕焼けのようなぼんやりとしたオレンジ色の雲。
しかし今日の風景はなぜか懐かしいもののように思えた。
地球を離れる直前に空港で見ていた夕焼けかもしれない。
ぼんやりとした時間がどれだけ続いたのか、ふと気になって時計を見たらいつもの寝る時刻になっていた。
シャワーを浴びることなく、そのままベッドの上で座ったまま10分ほどぼんやりと過ごし、
その後、センサー内蔵パッチの感度調整をすると、しっかりと右腕に取りつけた。
机の引き出しの中に入れていた錠剤を2つ、コップ1杯の水で飲み込み、ヴェラはその後眠りについた。



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