士官学校卒業式での訓示
まずははじめに、卒業生の皆様にはお祝いの言葉を述べたいと思います。
長い期間の訓練を乗り越えて無事にこの日を迎える事ができたことを、心からお祝いしたい。
そして今後の士官としてのご活躍を願っています。
私がこれから話すことは、授業の中でも繰り返し教えられていることと思いますので、特に目新しいものはありません。
実は、私もこの士官学校の卒業生なのですが、卒業式の時の訓示の内容を覚えてはいません。
よほど当たり前の事をお話になられたのか、またはその後の任務の忙しさで忘れてしまったのか。
その時に訓示をしてくださった方はもう御在命ではないと思いますが。
私は軍歴の約40年間、落ち着く暇すらありませんでした。
私のような職歴の軍人は、おそらく珍しいと思います。
数々の戦闘で成果を上げたわけでもなく、戦場で部下を指揮したわけでもなく、
関わったのはすべて戦闘とは無縁の現場でした。
それは私が希望した事ではありませんが、宇宙飛行修士号という、当時はまだ月や火星に行くだけでもやっとの時代、
その時代にこれから必要になるであろう、宇宙開発のプロジェクトを指揮する立場として参画したいという思いしかありませんでした。
太陽系開発事業団の黎明期に中核メンバーとして参画し、数々のプロジェクトの中でタスクを立ち上げ、
事業化への道筋を作り、参画企業多数の中で数々の調整を行い、時には最前線に立つこともありました。
探査船「エンデヴァー」での木星、土星探査のプロジェクトです。
予備メンバー登録だったのが突然乗船を命じられて、木星と土星に向かいました。
途中で様々なアクシデントや国家間の冷戦にも巻き込まれました。
土星に向かった中国の宇宙船に対抗するために、木星でのミッションを打ち切って急遽土星に向かうという事態もありました。
当然、乗組員の中では意見が割れました。
船長は乗組員の思いを汲み取りながらも国からのプレッシャーにも耐えなくてはならない。
私はそんな中で、船長を支え国の最前線で戦うことの意義について皆に訴えました。
といっても、ユーモアを交えて話しましたが。
そんな船長は今や我が国の大統領。
私は彼と一緒に仕事ができて非常に光栄でした。
その後私は、木星の資源開発のための事業団に参画し、核融合燃料の採取のためのプロジェクトを指揮することになりました。
巨大な木星相手に技術的課題事項だらけ、予算規模がまったく見積もれないところからのスタートでしたが、
優秀な部下や、外部の強力な協力企業の力も借りて、目に見える形の物にすることができました。
私は世の中の表に出る事はありませんでしたが、裏で現場最前線のスタッフを指揮し、支え、
時には世の中からの圧力に対しての盾になることもありました。
事故が発生するたびに、巨額の予算を喰ったプロジェクトに意義があるのかと言われたこともありました。
今では木星は、地球国家のエネルギー需要を支え、太陽系内の物流を支える重要拠点になりつつあります。
私の職歴と自慢話の話ばかりで、なかなか本題に入ることができず申し訳ありません。
今日ご卒業を迎える皆様に、私が話したい事はただ一つ。
自分の信念をしっかりと保つことです。
士官たる者は部下の前面に立ち、部下をリードし、戦いに勝ち続けなくてはなりません。
正しい方向を見極めてゴールを目指す事。
だからといって、自分がいつでも正しいと部下の意見を聞き入れないということではありません。
自分だけではなく、部隊全体が戦いを勝ち抜いて生き残る事が重要です。
部下を常に見守り、意見を汲み取り判断する事。
ただし、その中心にはいつでも自分の確固とした信念がなくてはなりません。
優柔不断であるのはもってのほか。
時には部下との軋轢もあるでしょう。そこで確固とした信念が必要になります。
常に自らの置かれている状況を俯瞰し、正しい道を見極め、確固とした信念を裏付けとして部下を導く。
何度も講義で触れていることかもしれませんが、これこそ士官として第一とすべきことです。
私がなぜこのような基本的なことをこの場であえて皆さんに述べるのか、
それは皆さんの立場が非常に危機的な状態にあるからです。
軍隊に限った事ではありません。社会全体に及ぶことです。
指揮する立場は別に人間である必要はない。
システムが社会全体を支えるインフラとして機能し、正しく機能しているのであれば、
時にはあやふやで思い込み激しく間違えることもある人間に頼る必要もない。
軍の指揮システムも高度化し自動化されているので、そのおかげで世の中は平和ではないのかと。
確かにこの100年間は世界大戦になることはありませんでした。
一部、内部分裂で巨大国家が消え去ったことはありましたが。
中国のような巨大で、高度にシステム化された国家がなぜ崩壊したのか。
全体主義で封建体制の国家がシステムの利用方法を誤ったからか、または国家の転覆を計った何物かによる仕業なのか、
それはいまだにわかっていません。
自由主義体制の国家がきちんと扱っているからこそ今の世の中の平和が維持されるのか、これもこの先の課題でしょう。
しかし私は、今は人間にとっての危機的時代であり、人間としての正しい信念が求められるのではないかと考えています。
システムには信念というものはないと私は考えています。
全体を俯瞰して、世の中全体があるべき姿はわかっている。
ただしこれは全体知というものの中から得られた最適化された解答でしかないと考えています。
その解答、全体知から得られたあるべき姿と比べて、逸脱しているものがあったとすれば何が起きるのか。
また、あるべき姿と今後の未来予測と比べて、おそらく逸脱するであろう存在を見つけたとすれば、何が起きるのか。
私の親友はその仮定にもとづき、あるシミュレーションをしました。
簡単に実験できるようなものではありません。
システムの中の仮想の世界で実験しても意味がない。
世の中の縮図のような閉じた世界で、システムを中心に理想の世界を構築して、その中で異質な存在を送り込み結果を見る。
その実験台として私の親友は命を失いました。
私にだけ分かる方法で遺言を残してシステムの今後の課題を私に託した。
そんな私の事をシステムは見逃すはずはありません。
本当の事が明るみになると世の中はパニックになるはず。
私のことを如何にして世の中から遠ざけてひそかに消してしまうか、文字通りに私は命を失いそうになりました。
瀕死のところで私は救助されました。
しかしその後も私には苦難の時が続きました。
自ら状況を正直に述べても、状況証拠はすべて私の発言とはまったく異なり、私はすべての責任を問われました。
宇宙船一隻を爆発事故で失い、自分一人だけが生き残るために、自分勝手な行動をしたとの数々の証拠。
軍人としてのあるまじき行為に対して、私は責任を追及されました。
軍法会議にかけられました。
自分の信念だけが最後の砦でした。
すべての証拠はわざと作り上げられたものであり、そのような事をできるのはいったい誰なのか。
私自身が証拠であり、私自身を調べてくださいと訴えました。
記憶のデータと詳細に照合すればなんらかの矛盾はあるはずだと。
人間不要論などというものが巷でささやかれていますが、とんでもないことです。
私のような被害者がこれからどれだけ発生するのか。
発生しても明るみに出る事はないでしょう。
私が生き残ったことが不思議に思えます。
もしかしたら私だけが解答を知っていると考え、親友は私にすべてを託したのでしょう。
今日この場に私は立ち、皆さんに士官として、人間としてずっと守っていかなければいけないことについて話をしています。
自分の信念をしっかりと保ち、部下を導き、この困難で未知の未来へ向かって歩み続けてください。
時には訴えられて軍法会議にかけられることもあるでしょう。
でも、そんな事は大したことではありません。
軍法会議にかけられたとしても、別に死ぬわけではありませんから。
私が卒業生の皆様にお話したい事は以上です。
親友が私にすべてを託したのと同じように、私は困難で未知の未来へと歩み始めた皆様にすべてを託したいと思います。
神のご加護を。
ありがとうございました。