大嶋理沙・退役の日
「まぁいい、私が認めたわけだし」
上司の大佐は苦虫をかんだような表情。
「申し訳ありません」
理沙はとりあえず彼に軽く頭を下げた。
そのあとは上司からのひとことふたことの苦言。
しかし、それが終わると彼は席を立ち上がり理沙に手を差し伸べた。
「今までご苦労様でした。最後の一年は心身ともに厳しかったでしょうけど、無事にこの日を迎えられましたね」
「おかげさまで。揚陸艦開発のタスク引継ぎは昨日無事に完了しました」
固い握手を交わす2人、軍での最終日はこうして呆気なく終わった。
「ところで」
部屋を出ていこうとする理沙を、上司は引き留めた。
「この先、いったいどうするつもりですか?」
理沙は立ち止まり、少しの間考えている素振りを見せたが、
「気持ちの整理がつくまで自宅で過ごすつもりですが、そのあとは自由気ままに過ごしたいと思っています」
そうか。。。と上司はなにか言いたそうな様子だったが、
「では、ゆっくりと退役後の生活を楽しんでください。ごきげんよう」
ドアのところで振り返り、理沙は上司に最後の敬礼をした。
* * * *
自分の執務室に戻り、自分の私物だけをバッグに入れて、すっかり片付いた部屋の中を改めて眺める。
よし、と小さく頷いて、部屋を出ていこうとしたところで、ドアをノックする音が。
そしてタスクリーダーが部屋に入ってきた。
「ちょうどよかったです。出口までお供させてください」
ハンガーにかけてある制服を取り、彼は理沙が制服を着るのを手伝ってくれた。
「もうこれで最後なんですね」
制服を着終えると、タスクリーダーは最後の敬礼をした。
部屋を出ると、一人の女性士官がドアのすぐ外で待っていた。
タスクリーダーは彼女を理沙に紹介した。
「彼女は、玄関までのエスコートを申し出てくれました。一緒に行きますか」
女性士官は理沙に最敬礼した。
今年士官学校を卒業したばかりの新任だったが、
「あなたの活躍に憧れて今年士官になりました。今日あなたエスコートできて光栄です」
「ありがとう」
まだ純粋な気持ちの彼女を見て、理沙は新任士官のころの自分を思い出し、
長い軍人生活を振り返った先日の士官学校での訓示を思い出した。
果たしてあの訓示は適切だっただろうかと、改めて後悔の念がこみあげてきたが、あれで良かったのだと自分に再び言い聞かせた。
「それじゃ、よろしくお願いします」
女性士官が理沙とタスクリーダーの前に立った。いつもの見慣れた廊下を歩く。
* * * *
新型揚陸艦のプロジェクトのことがふと気になり、理沙はタスクリーダーに、
「あの発展型プランは、あなたたちが自発的に考えたものなの?」
何日か前に、新型揚陸艦のデザインを継承し、さらに大型化した宇宙船の概念設計を示したプレゼンテーションを見せられて、
理沙は将来に向けての大きな可能性を感じた。
全長1,800メートルの巨大宇宙船は、完全自動の建造システムを利用して、わずか3年で完成させるというプランである。
あくまでも、こんなプランもあるとのおまけ的なものだとタスクリーダーは説明していたが、
理沙からの質問に対する、少しだけ歯切れの悪い彼の応対に、理沙は何かあるなと推測していた。
「そうです。私たちが自発的に」
長い廊下を歩きながら、理沙は窓から差し込んでくる陽ざしをまぶしく感じていた。
そして、若干の違和感も感じていた。
どこかで見たような光景。不吉な予感。
タスクリーダーもまた、何かを言おうとしたところでやめた。
* * * *
2メートルほど離れて前を歩いている女性士官。
タスクリーダーと会話している間もなぜか彼女の後姿からにじみ出るような、もやのような違和感を感じていた。
後ろにいる理沙たち2人の事を気遣っているようにも見えたが、それとは異なるもの。
ほんの少しだが、彼女の右手が動くのを、理沙は見逃さなかった。
そしてタスクリーダーもまた見逃さなかった。
はじかれるように理沙は反射的に動いていた。
わずかに避けるように低い姿勢になるように動いたところで、突然に女性士官は振り向いた。
制服の下に忍ばせている銃に手を伸ばし、構える。ほんの一瞬。
声にならないような叫び声をあげて、タスクリーダーは理沙の前に立ち、かばった。
その瞬間に銃が火を吹く。
理沙は床に倒れこんでいた。
しかし、体制を直すと自分をかばってくれたタスクリーダーの前に出て、低い姿勢で飛び出す。
再び銃が放たれる。
理沙は女性士官に飛びかかる。2人はそのまま前に倒れた。
気づいた警備員が大声をあげて揉みあっている理沙と女性士官に飛びかかる。銃を振りほどく。
警備員に抱え上げられるようにして、女性士官は組みあっている理沙から引き離された。
理沙と女性士官は目が合った。
先ほどまでの理沙に対する尊敬のまなざしはなく、怨念の塊になっている彼女の目は、眼光鋭く理沙の事を睨みつけていた。
女性士官の口元が動いているように見えたが、集まった野次馬の雑音でよく聞き取れない。
しかし理沙には分かっていた。
[人殺しめ]
銃をなんとか腕から引きはがし、女性士官は警備員に脇を捕まれて連行されていった。
タスクリーダーの方を見ると、彼は右腕を銃弾がかすめたようで、破れた制服の肩から出血している。
「大丈夫?」
突然の事でいったいなぜこんな事になったのか、理沙自身にもよくわかっていなかった。
放り出されたカバンを警備員から受け取り、理沙はよろよろと立ち上がった。
タスクリーダーの手を取る。
野次馬が周りに集まっていて、騒々しい状態ではあったが、その騒音も理沙の耳には入ってこない。
自分と、タスクリーダーと、離れた場所にいる女性士官。
女性士官は再び振り向き、理沙と目が合った。
* * * *
ようやく我に返り、周りの騒々しい音が耳に入るようになってきた。
その後、タスクリーダーは警備員に連れられて医務室に向かい、とりあえずは無傷だった理沙は警備室で事情聴取を受けた。
理沙は全く身に覚えがなく、何が起きたのか全くわからなかったが、女性士官の最後の言葉は脳裏にはっきりと残っている。
自らエスコートを申し出たのには、なんらかの意図があってのことだろうと理沙は思った。
騒ぎを聞きつけて上司の大佐が警備室にやってきたのは、騒ぎから10分後の事。
「いったい何事だ?」
理沙は小さく首を振った。
警備員が少し離れたところで女性士官のIDと今日の勤務状況を調べていた。
「わかりません。私にはいったい何の事だか」
まもなく彼女の動機についてはわかるだろう。理沙には悪い予感がしていた。
「あたしには、もうここには居場所はないようね」
結局、女性士官の最後の言葉について、上司にも警備員にも話すことはしなかった。