夕日の綺麗な街
東京湾が良く見える土地に、その街は存在している。
その街は夜になると不夜城のように輝いていた。
夜になると暗くなってしまう、近くにある木更津の市街地とは全く対照的である。
[Star-City]とその街は呼ばれている。
東京湾アクアラインのすぐ近くに存在していて、東京湾の真ん中にあるスペースポートから、
交通機関を利用してわずか15分で到着することができる好立地である。
しかし、街の施設はすべて観光客相手の店ばかりで、外貨獲得のために地元の人々は立ち入りが制限されていた。
ある意味治外法権の場所である。
巨大ショッピングモールにホテル、カジノには海外の金持ちやセレブが押しかけて、大金を落としていた。
まわりの市街地と比べて、なにもかもがすべて綺麗に整えられている。
理沙はショッピングモールを歩きながら、何かを物色していた。
心を奪われてしまうような、非常に魅力的な場所ではある。
しかし、何かが足りないと思った。
ショッピングモールの中庭の公園で、ベンチに座りしばらく人々の行動を観察する。
精密に作り上げられている街なので、きらびやかではあっても、生活感が全くない。
喫茶店のテラス席でアイスコーヒーを飲み、遥か先に見える東京湾を眺めると、ちょうど夕日が沈もうとしていた。
やがて暗くなり街路灯が点灯を始める頃に、理沙はショッピングモールから出た。
ショッピングモールの入り口のところに、小さな店があったが、そのとき理沙は気に留める事はなかった。
理沙がその街に土地に家を購入して半年近くになる。
[Star-City]から交通機関を使ってほんの10分ほどの場所で、木更津の市街地からもそれほど離れていない。
周囲はのどかな田園風景だが、田畑は手入れがほとんど行われておらず、荒れ地が目立っていた。
春先から、理沙は浅草の下町のアパートを拠点として、定住するための土地探しを始めた。
東京を中心に、神奈川、千葉あたりを候補にしておおまかなターゲットを選定し、
自分の目で見て自分の足で探した。
物件探しの便利なツールはいくらでもあるのだが、理沙は自分の足で探すことにこだわった。
場所だけでなく、そのまわりの風景、生活環境、すべてを考慮して探す必要があると思っていた。
どうせ慌てて探してもろくな事がない。
適当なところで妥協するつもりもなかった。
今の理沙には自由になる時間があり、お金を節約すれば生活には特に困る事もない。
2か月かけて東京と神奈川を探し、初夏になったころには千葉に足を伸ばしていた。
館山のあたりは気候もよく、海も良く見えて好立地だと考えたが、もう少し候補地を探してから判断しようと考え、
理沙は千葉を徐々に北上していった。
木更津のさびれた市街地を歩き、閉店し売り出し中の店をいくつも見かけた。
住まいとなる場所を探すと同時に、理沙は自分の店を持ちたいという昔抱いた夢を実現したいとも考えていた。
そのときそのときの判断で、最適と思われる仕事を転々とし、軍の士官となり、
技術士官の立場で木星のエネルギー開発事業にもかかわってきたが、そろそろ自分の本当にやりたいことをやってみよう、
そんな思いも軍を辞める理由のひとつとなっていた。
木更津の市街地はあきらめることにした。
この街はすっかり錆びついて死にかけているように見えた。
やがて、木更津市街地から離れた場所に、一軒の平屋建ての家を見つけた。
庭が広く、遠くの方には東京湾が見え、視界を遮るものが少なかった。
周囲は未使用の土地ばかりで、住宅地が少々といったところ。
家の中は、前の住人が10年前に退去してから、全く手付かずそのままの状態だった。
物色されて荒れている事もなく、ちょっと修理をすればすぐにでも住めそうな家だった。理沙はすぐに気に入った。
近所の工務店の職人の手を借りつつも、お金の節約のために理沙は浅草のアパートから通いながらリフォームをした。
屋根を修理し、壁を修理し気に入った色に塗り替え、
内装工事に取りかかったところでちょうど梅雨の時期になった。
壁紙の貼り付けだけは職人に任せて、その他の細かい内装は自分の手で行った。
キッチンも自分の気に入るようなレイアウトにデザインし、まるまる2か月かけてリフォームは完了した。
寝室に大きなベッドを入れると、その夜から新しい家での生活が始まった。
夜景は昼の風景と異なり、[Star-City]の輝く姿が非常に魅力的だった。
家の確保の次は、店探しだとさっそく[Star-City]に注目した。
* * * *
窓の外に沈む夕日を、理沙はカウンター席から眺めた。
ショッピングモールのはずれの、あまり目立たない場所にその店は存在するのだが、目立たないこともあり、
客の入りはあまり芳しくなく、その事が閉店した原因のひとつとなったようである。
しかし、理沙の目に留まったのは不利と言われているその立地条件だった。
ちょうど夕方にその店の中に入り、店内の様子を眺めていたのだが、窓から見える東京湾と沈む夕日に惹かれた。
ちょっと改造をすれば、自分の気に入るような店になりそうだと思った。
「ここに決めました」
不動産屋からは、店にはあまり向かない物件だと言われていたが、自分の思い描く店のプランを不動産屋に説明し、
その日のうちに契約を決めた。契約金は破格の安値だった。
自宅をリフォームしたときに世話になった工務店に再び声をかけて、店の改装プランを説明した。
2週間ほどで、カウンター席とテーブルをいくつか置くためのフロア席を整えた。
まだ作り途中のカウンター席から、夕日が沈むまでの間、店の中の景色の変化を眺めた。
思い描いているイメージが、徐々に形になっていくのを日々眺め、夏が終わる頃には内装工事が完了した。
テーブルも設置されて店としての形は整った。
あとは、自分好みに店の中をアレンジするだけである。
小ぎれいな酒場といったイメージが、理沙の頭の中には既に出来上がっていた。
すべてが整えられて、完璧な美しさのショッピングモールやカジノ、ホテルとは違い、
どことなく人間臭いところがある、しかし、大衆酒場のような雰囲気でもない、ちょうど中間のような店を理沙は考えていた。
テーブル席は、フローリング床とバランスがとれた、洋風のものを使用し、
カウンター席は、ショットバーのような感じに作り上げ、理沙がカウンターの中央から店全体を眺められるようにした。
さまざまな酒を背後の棚に陳列し、酒の配置ひとつとしても理沙は工夫を凝らした。
店全体が整うと、カウンターから店内を見渡して、満足した。
いろいろと紆余曲折はあったが、これからは自分のやりたいことができるなと思った。
今日からでも店を始めてもいいだろうと思ったものの、
なにかもう一つ工夫してみたいと理沙は考え、フロア席に座り、窓の外を眺めながら、
どのようにアレンジを加えてみようかと考えた。
その間にもショッピングモールに移動する人々が店の前を通ったが、ちょっと覗き込むものの、店に入る人はいない。
理沙は天井を眺め、ある事を思いついた。
* * * *
2日後、理沙は大きなプレートを何枚か店に持ちこんだ。
業者にそのプレートを天井に貼り付けてもらい、貼り付けが完了したプレートを理沙は下から見上げた。
窓枠の外側に、垂直に高く続いている土星の環が映し出されていた。
理沙が[エンデヴァー]ではじめて土星に向かった時に、撮影したものである。
一見、この店には似合わない異質なものではあるが、夜の店にはこれが似合うだろうと理沙は思った。
フロア席から上を見上げて、30年近く前のあの日の事に思いを巡らせた。
理沙にとっては、はじめて直接見た土星の輪が、ある意味人生の中での頂点となる貴重な体験となった。
言葉で説明をすることができない、当の本人でなけれ味わう事のない感動。
夕方には東京湾に沈む綺麗な夕日をしみじみと眺め、
夜になれば、天井の土星の環を見ながら、別な感動を味わう。
小さくても、心落ち着くような場所。
あとは店に合うような音楽の選曲を考えようと理沙は思った。開店はそれが決まってからにしよう。