共に生きよう
3年間の期間限定でプロジェクトに参画すると、いったん長官には返事はしたものの、理沙の気持ちはまだ揺れていた。
その気持ちは、れいなと美紀に店を任せるつもりで接客のノウハウを伝授している間も、ずっと続いていた。
事業団長官からは、新型宇宙船に関する情報が続々と理沙の元に届いていたが、
肝心の、宇宙船建造の真の目的については、いまだに核心に触れるような資料は提示されていなかった。
「全てを任せようとしている私に、まだ何か隠しているんですか?」
2人だけでリモート会議をした際に、理沙は長官を問い詰めた。
もしその肝心な部分が明らかにならないのであれば、宇宙船艦長の事はご破算にして、
自分は静かに自宅で余生を過ごしたいと、理沙は自分の強い気持ちを述べた。
理沙が強く出ると、長官はすっかり弱気になってしまう。
それは昔のあの日の夜の出来事を境に全く変わっていない。ここぞという時に、彼はまったく役に立たない。
何万人もの職員を抱え、国家規模の巨大プロジェクトもコントロールしている彼が、自分に対して見せている態度に、
理沙は少々腹立たしく思うとともに、哀れにも思えていた。
少しだけ口調を和らげて、再び長官に問いかける。
「いろいろとしがらみがあるのは理解しています。でも、あたしも引き受ける以上は真剣に取り組みたいんです」
わかりました。。。。そして少し間をおいて長官は話し始めた。
これは簡単な話ではないと思った。
理沙は会議を終えると寝室のベッドに横たわり、天井を見ながら考えた。
3年の約束は守ると長官は言った。
しかし、3年の期限付きで引き受けるどころか、そのままずるずると続き、簡単には抜け出せそうにもないと思えた。
会議を終える際に、さらに苦言の一つでも長官に言ってみようかと理沙は思ったが、やめた。
その夜はいつの間にかベッドの上で寝落ちしていた。
夜明けとともに起きて、気持ちを切り替える事ができないまま、その後数日を過ごすことになってしまった。
「ちょっと、店を開ける事になるけど」
れいなと美紀に、お偉方の人と会いにワシントンに行くとだけ連絡を入れた。
2人はどんな人に会うのかと質問をすることなく、快く引き受けてくれた。
「今夜は、店に来るんですか?」
れいなからの質問に、理沙は少しだけ考えてから答えた。
「今夜の便でワシントンに行きます。みんなに挨拶できないけど、よろしくと伝えてちょうだい」
わかりました、とれいなは言った。
そのとき理沙の脳裏には、一人の客の表情が思い浮かんでいた。
* * * *
木星核融合資源開発プロジェクトが、人々の目に触れる表の顔であると例えるなら、
そのプロジェクトは、人々の目に触れる事のない、裏の顔のようなものであった。
しかしその目的は、木星資源開発と同様に切実なものであり、人類の存亡がかかっているものであった。
ワシントンに到着すると、理沙はまず事業団長官から指定された場所に向かい、建物の前で待ち合わせをした。
理沙が到着する前から長官は建物のロビーで待っていた。
以前、事業団本部に乗りこんで長官に会いに行った時と同様、ドレス姿で車から降りた。
「今日は、単なる食事会だとあなたから聞いたので」
一般人出入り禁止の地下入り口からその高級ホテルに入り、建物の一番安全な場所であるVIP用のホールに入った。
ホールの中央に会食用のテーブル、部屋の壁が全面ディスプレイになっており、清々しい森林の風景が4面に映し出されている。
すでに今日会う要人たちがテーブル席に座っていた。
長官は彼らに理沙の事を紹介すると、そのあと彼ら一人一人を長官は紹介した。
彼らは、今後の人類の行く末を超国家レベルで議論し、各国政府に対して必要な提言をしているタスクチームとの事。
常日頃は、大学教授であったり、企業の役員であったり、科学者であったりと職種はさまざまであったが、
一つの目的のために、裏では繋がっていた。
フルコース料理の準備が行われ、その後雑談をしながら食事をした。
30分ほど歓談が続いたのち、タスクチームのリーダー役の大学教授が話を切り出した。
「私たちの目的はただ一つ、人類と言う種を絶やさないためにはどのようにしたらよいか、案を考え政府に提言することです」
タスクチームの長年の調査、分析結果にもとづいた結論は絶望的なものであった。
20世紀中の2度の大戦、核兵器による人類滅亡の危機はあったが、
それでも国のトップ達は真剣になって危機を回避し、国家間で協力し困難な状況を乗り越えてきた。
時には狂気に振り回されて限定的な紛争も発生したが、矛盾を抱えつつも最悪のシナリオだけは回避していた。
環境破壊も、深刻なレベル一歩手前の状態ではあるものの、こちらもまた矛盾を抱えつつも解決のための努力は継続している。
しかし、その先がビジョンがなかなか見えてこない状態だった。
リーダー役の大学教授が、曲線グラフを画面上で示しながら説明をした。
「人類という種そのものが、全体として衰退の段階にさしかかろうとしています」
理沙の故郷のように、衰退が激しく国全体がゆるやかに滅亡に向かっているような国もある。
21世紀の初頭には未開の国でしかなかった国々が、統計上では巨大な人口を抱える国家に成長し、
先進国、発展途上国といった区分けは、21世紀が終わりに近い今では単純に当てはまらなくなっていた。
それでも、衰退は避けられないというのが教授の主張である。
「早ければ、22世紀の前半から衰退が始まります」
予測曲線では、22世紀初頭に120億人のピークを迎えて以降は、人口曲線は徐々に下がり始め、
今の先進国と発展途上国の関係は、大きく逆転すると想定されていた。
「世界が抱えている問題が解決しないまま、人口が徐々に減ってゆく。これが何を意味するのか」
地域紛争、環境問題、経済格差、このような問題の解決のために積極的に動きたくても、動けなくなるというのは、
新陳代謝が止まった身体と同じようなものである。
「生産活動が衰えてゆき、新しいものが生み出されず、減ってゆく食料と資源を奪い合う地獄絵図です」
いつのまにか皆の食事をする手は止まり、ホールの中には教授が淡々と説明する声だけが響き渡っていた。
理沙は、少々冷めた気持ちで教授の主張に耳を傾けていた。
説明がいったん終わり、質疑になったところで理沙はさっそく教授に疑問をぶつけてみた。
「危機的な状況であることは私も理解しています。私の疑問は、その事と私に課せられているミッションとの関連性です」
すると教授はあっさりと、
「生き残りの選択肢のひとつとしての、太陽系外移住の推進役になって欲しいです」
無謀で、あまりにも飛躍した結論だと理沙は思った。
しかしながら、理沙が軍を退役する直前に知った、揚陸艦発展型プランの件と重ね合わせると繋がりが全くないわけでもない。
手段として揚陸艦発展型プランを実現し、教授が示す目標達成に至るまでの今後50年間のロードマップは、
あまりにも飛躍しているというわけでもなかった。
理沙がそのプランに納得がいかないのは、理沙自身の心の奥底にある違和感によるものだった。
そして、50年後のその日を生きて見る事ができるのだろうかという不安にも似たような気持ちもあった。
食事会と言う名の会議は終わり、宿泊先のホテルに向かうリムジンの中で理沙は窓の外の風景をぼんやりと眺めていた。
* * * *
1週間のワシントン滞在の後、理沙は帰宅した。
事業団長官に対しては、当初約束した3年間で何ができるのかについて、直近の目標を設定し、
今回顔合わせをした有識者タスクチームを含めた推進体勢を構築し、プロジェクトは正式にスタートすることになった。
こうして、地球上の各地や、衛星軌道上や月にいる技術者たち、協力会社、
そして遠く離れた太陽/地球L3の新型宇宙船建造チームと、理沙を中心にしたリモートでの分業体制が始まる事になった。
店で過ごす時間が、1週間の中で多くの割合を占めていた今までの生活は、
自宅の書斎兼寝室を拠点としたプロジェクト推進中心の生活へと変わり、店に顔を出すのは週のうち2日ほどになった。
そんな理沙の生活の変化に一番敏感だったのは、週に1度だけ店に顔を出す初老の社長だった。
「副業がいろいろと忙しくなったのよ」
断片的にではあるが、理沙は彼には新型宇宙船建造チームのタスクの事を会話の中でそれとなく伝えた。
お互いに忙しい身分であり、だからこそ週に1度の店に行き理沙と会う事を楽しみにしている彼。
他愛のない日常会話と、お互いの趣味趣向について語り合うだけだが、
変に気取ったところや、背伸びしたところがない彼と会話をしていると、なぜか理沙も気分が落ち着いてくる。
そして最近特に感じるのは、会話の最中に視線を合わせる時間が長くなったということ。
「長距離移動をしていると、特に感じるのはね」
彼には、遠いところへの移動とだけ前置きして、狭い部屋で1人で過ごす時に感じることを話した。
「やっぱり、常にリアルタイムで会話をしていないと、人間の脳って衰えていくのよね」
「わかりますよ。それって私にも経験がありますから」
狭い部屋の中で運動不足にならないようにするための対策、精神衛生上効果のあるリラックス方法。
そんな会話の中でなにげなく彼の口から出た一言を、理沙は聞き逃さなかった。
初老の社長は、その日はいつもより長い時間店で飲んでいた。カウンター席で理沙と2人だけで会話しながら。
時々理沙は近所の漁師たちが戯れているテーブル席に行き、相手をすることもあったが、
ほとんどの時間を理沙は彼と会話しながら過ごしていた。
れいなと美紀も、2人の会話が盛り上がっているのを察して、あまり理沙の手を煩わせないように気を遣っていた。
狭い部屋の中で、リラックスする方法について、なぜか初老の社長は理沙の話に興味を持って聞いていた。
そして彼もまた、過去の経験から徐々に語り始めた。
「とある事故で、まる3日間仲間2人と土砂の中に閉じ込められたことがあったんです」
トンネル内での偶発的な事故だと言ったが、理沙は彼の話を聞いているうちに事故程度のものではないと察した。
仲間2人が発狂寸前になりそうだった事を面白おかしく語っていたが、そんな程度の事ではないはずである。
人為的な事故であるか、または戦場での経験であるかもしれない。
酸素が徐々に少なくなり、苦しみ悶えながら死ぬのではないかという恐怖心、
もしかしたら、暗闇の中で誰にも発見されずに死に至るのではないかという絶望感。
そんな実体験を乗り越えたからこそ、今では酒の席での笑い話にできるのではないか。
木星の周回軌道上の救命ボートの中で、誰にも発見されないのではないかという絶望感を味わった経験がある理沙は、
いつのまにか彼との話にのめり込んでいた。
* * * *
日付が変わる頃に、ようやく初老の社長は席を立ち帰宅しようとしていた。
彼との会話に夢中になってしまって、理沙はカウンター席で2時間近く彼と2人だけで会話をしていた事になる。
会話している間も彼はだらだらと酒を飲んでいて、いつの間にかウイスキーボトルを半分空けていた。
ドアを開けて出ていこうとする彼の足元がおぼつかない。
れいなにタクシーを呼ぶように頼み、理沙は彼のあとを追った。
「ちょっと心配だから、タクシーに乗せるまで見送ってくるね」
理沙が店の外に出ると、彼は50メートルほど離れたところをよろよろと歩いていた。
速足で彼の元に近づき、呼び止めた。
「タクシー呼びました。家まで乗っていった方がいいですよ」
幹線道路の見通しのいい場所で、2人は待った。
24時間不夜城のように栄えているショッピングモールなので、この時間帯でも交通量は日中とさほど変わりはない。
「今日はいつもより飲んじゃいましたね」
彼は長々とどうでもよい話をしてしまったと、理沙に謝ったが、
「いいえ、久しぶりに楽しい話ができました」
そう言いかけたところで、すぐ近くをロードバイクが突風のようにすり抜けていった。
理沙はロードバイクの方に振り返り、文句を言おうとしたのだが、よろよろと歩き始めた初老の社長を制止しようと手を伸ばした。
手が届かずに、理沙は前のめりになってよろけてしまった。
ちょうどその時、呼んでいたタクシーが2人のところに接近していた。
理沙は車道に倒れそうになっていた。
そのとき、酔いが回っている初老の社長の脳内で、一気にスイッチが入った。
「俺たち、いつ死ぬかわからないけど」
はるか遠くの空の下、戦闘の火花が夜空に光っているのを眺めながら、男は女に言った。
「もし、契約が終わってもまだ生きていたら、結婚しよう」
お互いに期間限定の傭兵という身分である。
とはいえ、明日にはもしかしたら命を失うかもしれない。
大国のエゴに振り回されて、国境線1メートル進んだ後退したなどという事へのこだわりなど、2人にはどうでもいい事だった。
とにかく今は目の前の戦闘に集中し、明日の事は考えないようにしよう。
恋愛も家族を作る事も老後の事も考えず、現在のことに集中していた。お互いに出会うまでは。
彼女は、少し考えてから、
「まんざらでもないわね」
そして今までに見たこともないような、安心した笑顔を見せていた。
翌日、2人は再び戦闘の最前線に戻った。
市街地戦はここ2ヶ月間、先の見えない膠着戦が続いていた。
瓦礫同然の状態のビル街の中で、2人は装甲車を降りて近くのビルの方へと向かった。
ゲリラ攻撃の身の危険を感じながらも、5人ほどのグループで行動し生存者を探した。
そのとき、甲高いアラート音が鳴った。
携帯端末がキャッチした、ミサイルアラート音である。
男は、2メートルほど先を歩いている女に声をかけ、手を取ろうとした。
彼女もまた、男の方に手をのばした。
しかしそこで女は瓦礫につまずいてよろけてしまい、彼もまた彼女の手を掴めなかったので後ろによろけてしまった。
大きな爆発音がして、彼は気を失った。
どれだけ時間が経ったかわからないが、彼は再び目が覚めた。
ミサイルがすぐ近くに着弾したようで、5メートル先にはすり鉢状の穴が開いていた。
彼女はそこにはいなかった。その代わり、砕け散った肉片がいくつか。
理沙は、初老の社長の腕にしっかりと抱かれていた。
彼は理沙の事をかばうように、向かってくるタクシーの間にしゃがみこんだ。
幸いにも、タクシーは2人のすぐ手前で急停止した。
腕に抱かれた理沙は、やがてゆっくりと起き上がり、埃まみれになっている彼の服の裾を手で軽くたたいた。
「ああ、私は大丈夫」
自分の身を案じている彼に対し、理沙は何ともないということを見せるために笑顔を見せ、
しゃがみこんでいる彼の肩に腕を回して、ゆっくりと起き上がらせようとした。
「余計な心配をかけてごめんなさい。私は大丈夫だから」
タクシーの後部座席に初老の社長を座らせ、ドアを閉める。
タクシーは発車し、交差点を曲がってタクシーの姿が見えなくなるまで、理沙は見送った。