調整役

「私が納得していないのは」
会議の場、理沙に対して1人の技術者から質問が出た。
新型宇宙船の設計思想、機能、建造に至るまでの経緯について、理沙は時間をかけて彼らに説明していたのだが、
皆、分かったように見えていても、心の中では納得がいかないようである。
「自動化システムのために、人間が必要、というのであれば前世紀のシステムと何ら変わるところがありません」
理沙は徐々に苛立ってくる気持ちをなんとか抑えると、
「あなたの言う事はもっともだと思います。実はこのシステムの設計タスクの初期の頃には、
同じ矛盾に悩んでいるメンバーを見てきました。そのたびに私が言ってきたのは」
そしてひと呼吸置いて、
「自動化システムほど恐ろしい物はありません。人間のようにシステム自体が意志を持つという事は、
すべて人間が思うように物事が進むと思いきや、実はさらに混乱が深まることになりました。諸刃の剣です」
「タイタン基地での事故の件ですね」
別な技術者が、理沙の発言に横から割り込んできた。
タイタン基地、というキーワードに、理沙の心は非常に強く反応した。
「そうです」
この会議室にいる、30人ほどの技術者はみな事業団側から出向している人間である。
理沙が直面した軍法会議、その後の記憶分析により、理沙には過失はないということが証明されたものの、
その事は、システム自体の信頼性に大きな疑問を投げかけることになった。
理沙の軍法会議後、自動化システムの問題点と課題事項は軍の技術士官の間で情報共有され、
今回、新型宇宙船のスタッフとして軍から参画する80名にとって、理沙の事例は自分たちの事として受け止められ、
その点が、軍側から参画するスタッフと、事業団側から参画するスタッフの意識の部分での大きな差となっていた。
軍側のスタッフは、自動化システムと面と向かって対峙し、不測の事態発生の場合に備え常に真剣に取り組んでいた。


新型宇宙船はほぼ完成し、来月にはシステム起動が行われるとの事。
断片的ではあるものの、建造中の船内の映像が次々に現場から送られてきて、事前の2年間に渡る地球上各拠点で
行われてきた研修での映像とはまた違い、実物映像には生々しさがあり、スタッフ全員の士気が向上した。
理沙もまた、早く実物をこの目で見てみたいという気持ちが高まっていた。
理沙が研修センターに到着して1週間後から、新型宇宙船で管理職中枢メンバーとなる10人の打ち合わせが始まった。
地球/月L1で待機している、巡洋艦「アトランティス」の木星への出発は3か月後。
新型宇宙船の運用スタッフは全て合わせると160名。
軍と事業団から各々80名参画する人員構成となっており、160人はさらに10のチームで編成されている。各チーム16人構成である。
管理職10名も、当初は軍と事業団から各々5名と、人員構成上いたるところでバランスが考慮される事になっていたが、
実際のところ、事業団側は要員調整ができず管理職適格者は3名。理沙が加わりやっと4名。
対して、軍側は6人のスタッフを揃えていたので、数の上では事業団側は負けていた。
事業団側の適格者と言われている3名も、理沙が実際に会ってみると非常に頼りないように見える。
「まぁ、同じ船に乗るわけだし、軍も事業団も関係ないでしょう」
最初の管理職会議の場で、理沙は場を和ませるためにそう言ったが、軍側は表情ひとつ変えない。
理沙は軽く咳ばらいをして、その後は淡々と会議を進めた。
会議テーブルを挟んで、理沙の目の前に座っているのは、軍側のリーダーであり指揮官のひとりである軍の大佐。
理沙は軍に在籍していた頃、その大佐と直接仕事をする機会はなかったのだが、
木星の核融合燃料生産事業の初期の段階で、輸送システムの構築における技術面/要員協力の点で、
大佐の所属している技術部門に協力を仰いだこともあった。
「私達10人は、単なる新しい船の管理職というよりは、新しい時代を切り開く最初の管理職になるわけです」
大佐はまず、今回のプロジェクトの意義について口火を切った。
「木星を中心とした、太陽系を開発するための核融合資源開発は、あなたのご尽力で礎が築かれて、
今では地球のエネルギー需要の根幹を支えるものとなりました。あなたの功績は賞賛されるべきものです」
理沙を持ち上げようというのか。
しかし、大佐の本心はすぐに出てきた。
「しかし、私たちは次を考えなくてはなりません。今回の事は、22世紀とその先を考えたプロジェクトであるべきです」


今まで1年もの間、リモートではあるが軍と事業団の間では数多くの打ち合わせが行われてきた。
すべてが新型宇宙船運用のための実務的なものである。
日々の運用管理については、システムがすべて自動的に行うためあえて気にする事はないが、
最大の懸念事項である、万が一の事態の場合の意思決定については、木星への出発3ヶ月前である今でも決着がついていなかった。
自動化システムの危険性を頭の中だけで理解している事業団側に対して、
生死を決するものとして実感している軍側との間には、根本的な考え方の違いがある。
「常に私達管理職が、システムの上位層としてシステムの暴走を食い止めなくてはなりません。
エリシウムやタイタンでの悲劇は繰り返してはならない事です。その点で私たちの考え方は一致しているものと思っています」
理沙の発言に、特に異議を唱える者はいなかった。
「そのために、最終的食い止めのための仕組みが組み込まれています。それが」
会議テーブルの真ん中に、新型宇宙船の映像が浮かび上がった。
全長が1800メートル以上ある宇宙船は、全体としてすらりとした形で、先頭から4分の1が管理と居住区画になっている。
管理区画の映像を拡大し透視映像にすると、管理ブロックの中核部分が見えるようになってきた。
「ここに中央制御室、ここから船のすべてのシステムが操作可能です」
タイタン基地でテストを重ね、新型宇宙船のシステムが構築された。
テスト期間中にはいくつかのトラブル、理沙個人としては思い出したくない、親友ヴェラの死はあったが、
テスト中に発生した数々の課題を乗り越え、新しい中枢システムは完成した。
エリシウムでの悲劇を乗り越え、タイタン基地での事故と、その事に理沙が巻き込まれた異常事態を契機に、
新型宇宙船では新たな仕組みが加えられた。
「システムが暴走した際には、人間が歯止めになる仕組みが埋め込まれています。この場の管理職の中の数名が、
システムの暴走を食い止める事になっています」
その数名が誰なのかについては、当の本人以外には開示されていない。
理沙はそのうちの一人である。そして目の前にいる大佐。そしてもう一人。
システムと接続するための生体インターフェイスにより、いざという時にはシステムに対して直接に手を下すことが可能である。
しかし、直接手を下すといってもいったいどうやって?
あらかじめ訓練を受けているわけでもなく、今のところはシステムの仕様書に書かれていることを知っているだけである。
そして理沙にとっての最大の興味は、あともう一人の事である。
プロジェクト実施責任者とだけ書かれている、軍の中佐。女性士官。
太陽/地球L3で、新型宇宙船の建造に直接かかわっている、彼女がどのような人物なのか、理沙はまだ知らなかった。

*     *     *     *

3名の最終決定者。そのうち1人の理沙。
もし理沙がこのプロジェクトに参画していなければ、新型宇宙船は完全に軍に掌握されてしまって、好き勝手に使われてしまうだろう。
軍の上層としっかりと渡り合い、管理をコントロールできる人材は事業団内にはいない。
長官が焦っているのも分からないわけではない。
しかし理沙が参画しても、力の上では2対1であり、軍側が有利であることには変わりはない。
理沙は、大佐とは事あるごとに密に会話するように努めた。
退役して数年経つとはいえ、理沙は士官としての立ち振る舞いや思考についてはいまだに衰えていないと思っていた。
「昔は、私もかなり苦労させられたけど、やっぱり軍のスタッフは優秀ね」
「事あるごとにあなたの事が話題に出ます。優秀な指揮官の下には優秀なスタッフが育つものですね」
「それって、皮肉かしら?」
今日の会合を終えると、理沙はさっそく大佐を休憩ラウンジへと誘った。
2人の間ではまず、つい先ほどまでの会議の感想の話になった。
他の管理職の間では非常時における対応について議論になっていた。
「考え方の違いかと。システムに対する扱いについて根本的な部分で違いがあると思っています」
「では、あなたは部下の考えを支持すると?」
大佐からの問いかけに、理沙は少しの間答えに迷った。
大佐は笑みを浮かべたままコーヒーに口をつけている。
「やっぱり、まだ迷っている?」
「そんな事はありません」
理沙は腕組みして小さく首を降った。
「システムはやはり信頼できない、そこからあなた方の考えがスタートしています。私が撒いた種だから否定はしませんが。
でも、何もかも信頼できないとは私は述べたつもりはありません」
「なるほど」
会議の場での反省についてはそこまでとなった。
もう一人の最終決定者である女性士官について、理沙は大佐に尋ねた。
しかし、
「彼女からは、私からは何も話すなと言われているので。それに。。。。」
コーヒーを飲み干し、大佐は立ち上がろうとした、
「あえて説明する必要もないと、会えばわかる、と」

*     *     *     *

作業進捗を表すタスク表示が、残りわずかであることを示していた。
来月には予定通りシステムを起動し、推進システムのテストを行う事ができるかもしれない。
いつものように今日の作業報告を書き上げて、プロジェクト管理者に送付すると、同僚中佐に引継ぎを行い自分の部屋に向かった。
1年前の最大の危機をなんとか乗り越え、その後は毎日が平穏無事、淡々と過ぎていた。
思いはすでに木星到着後の事に飛んでいた。
事業団との日々の調整会議に参加している大佐からは、今日の会議の内容が報告として送られてきた。
非常時の決定権について、なにかと揉めるだろうということは当初から予想されていた。
彼女の視点から見れば、そんな調整会議で会話されている事など、大したことないものだった。
もっと大きな視点で考えなくては。
しょせん、軍と事業団の間での権力争いのようなものでしかない。
そんなレベルの低い争いなど、自分にとってはもうどうでもいい事であり、現場レベルで解決すべきものだと考えていた。
巨大な、なにか大きな意志のような力が働いて、突き進んでいるように思えた。
この巨大宇宙船も、単なるそのための道具でしかない。
ベッドに横になり、彼女はいつも見慣れているフォトプレートをしばらくの間眺めていた。
そしていつの間にか寝落ちしていた。



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