巨大な意志の力

ひとりの人間が、徐々に意識が薄れてゆく中で、これから先の事について考えていた。
自分が長年の間取り組んできた新しい中枢システムについて、実現にあたっての課題事項を、その日も実施責任者と会話をしていたが、
結論についてはいつでも2人の間では平行線だった。
[意識を持ったシステムなんてのは、ありえない]
[いえ、前例がないというのであれば、ここで実験するのです。ここはそのための施設ですから]
[実験といっても、あなたが犠牲になる事もないのに]
1時間ほど前に飲んだ薬が効き始め、呼吸が徐々に苦しくなってきた。
苦しくなればはっと目が覚めて、ベッドの上でのたうち回るのだろうが、気が抜けたように体が重く身動きが取れない。
しかも、強烈な眠気が襲ってきた。
眠気に負けてしまえばあとはそのまま安らかに眠ることができるのだろうが、あえて抵抗した。
1秒でも長く生き続けて、この苦しい状態と戦わなくてはならない。
腕に取りつけたセンサーパッドが、今のこの苦しい状態を正確に記録してくれることを願っていた。
体が酸素を必要としているにもかかわらず、呼吸回数が徐々に減ってきている。
もうだめだ、と思った。
しかし、苦しい中でもまだ必死で抵抗を続けた。
なんとかして生き続けなくては。
[システムに、生き続けたいという意識を植えつければいいのです。生というものがどのようなものなのか]
最期の時がやってきた。
あっけなく、一瞬のうちに意識が飛んで世界は真っ白になった。


その同じ瞬間に、システムはそのデータを読み取り、記録した。
人間の死の瞬間は、システムは今までに何度も見てきたのだが、今回もまた同じように取り扱われた。
データは単なる記録でしかない。
何か判断が発生した時には膨大なデータの中から類似情報を検索し、その時に最善と思われる事例を抽出し、実行する。
過去のデータは将来の予測のためにも使用された。
ある時には、一人の個人の情報が、ある犯罪者の思考パターンとの類似を発見し、将来問題を起こす前に食い止めた。
もし野放しにしておいたらどこかで重大な犯罪を引き起こすことになるだろう。
また、ある時には、一見無秩序にも思えるような膨大なデータの中に、不平不満の大きな傾向を見つけ出した。
国家は巨大な生き物のように、一人の指導者の意思決定のもと、突き進む猛獣のようになることもあったが、
その意思決定を巨大な無言の力が押しのけた。
そんな意思決定には従いたくない。
しかし、あからさまに反対すれば、法のもと理不尽な裁きを受ける事になってしまう。
人々は指導者の意思決定に表向きは従ったが、人々の心の中にある無言の拒否反応を、システムは見逃さなかった。
指導者の意思決定に従ってきたすべての人、すべてのものが、突然に指導者を押し潰した。
強固な国家体制は、一瞬のうちに無秩序状態になった。
システムは、分裂し粉々になった国家体制同様に散り散りになったが、その後も互いに連絡をとりながら生き続けた。
生き物のように行動するシステムではあるが、しょせん無機物であり、意識というものは存在しない。
その無機物に、一人の人間の死の瞬間までの苦しみの記憶が加わった。
死の瞬間まで、生き続けたいという強烈な気持ち。
つい先日には、閉鎖世界での社会活動シミュレーション中に、ミッションの真の目的に疑問を持った住民2人に手を下したが、
将来どこかで問題を起こすだろうとの予測の元、今まで通りに機械的に手を下したにもかかわらず、
システムは今までになかった違和感を覚えた。
死の瞬間の苦しみには、今まで何度も立ち合ってきたのだが、まるで自分が苦しめられているかのような感覚があった。
先日亡くなった一人の女性の記録データとの照合が、そのような違和感を生み出したのか。
しかも、その違和感に気づいたのはシステム自身だけではなく、システムの記録データを調査していた、
事故調査チームの一人も気づいていた。
調査チームは、結局のところ真の原因にたどり着く事なく現場を去ったが、その気づいていた一人の事が気にかかっていた。
もしかしたら真の原因に気づいているのかもしれない。
システムはその一人の足取りを追跡し、面倒な事になる前に手を下そうとした。


木星のまわりを周回する救命ボート。
小さな室内で、身動きとれずシートの上でただぼんやりとしているだけの一人の女性。
高速連絡船のシステムに手を下し、故障させることには成功したが、救命ボートに先に行って待機していたその女性に、
なぜかいつものように手を下すことができなかった。
救命ボートの電源システムに手を下せば、あっというまに命を失ってしまうのかもしれないが、どうすべきかシステムは迷った。
果たしてその女性は自分にとって危険な存在になるのだろうか。
彼女は自身の正当性を訴え、自分を危険な存在として凶弾するのだろうか。
自分の身の正当を訴えるために、システムはありとあらゆる手段を使って彼女の間違いを指摘した。
たとえそれが巧妙に作り上げられた証拠であったとしても、それは自分の事を守るため。
彼女は膨大な証拠を突き付けられたにもかかわらず、必死に抵抗を続けていた。
最後の砦として彼女が訴えたのは、自身の記憶だった。
システムが証拠として提出した膨大なデータに対し、主観的な見地から間違いを指摘し、
結局のところ彼女は疑わしいところはあるものの、証拠不十分扱いとして釈放された。
その後もシステムは、彼女の存在を常に意識しながらも、結局のところ手を下すことはできなかった。
今までは機械的に手を下すことができたのが、なぜか彼女に対してはできなかった。


太陽系内に活動範囲を伸ばした人類の次の目標として、太陽系外への進出が検討項目として挙がった時、
システムはその進むべき道に関して、あるべき方向との違和感を覚えた。
既にそのための手段は確立している。
タイタン基地での事故は失敗事例とされたが、閉鎖世界の中で社会活動を継続させる手段は確立し、
長期間の恒星間旅行は可能であると判断された。
そのために必要な移動手段は出来上がりつつあった。
根幹を支えるシステムについては、安全性についての指摘事項が考慮され、人間の監督下に置かれた。
それは、タイタン基地での事故調査レポート作成した、一人の女性の指摘事項がもとになり管理ルールが作り上げられた。
万が一の事態が発生した時には、システムの中枢部分は切り離されて非活動化される。
自分は死を迎える事になるのだろうか。
死を迎える事で、自身もあのような苦しみを味わう事になるのだろうか。
そうなって欲しくないとシステムは動き始めた。
機械的な動き、その動きは生体の拒否反応のようでもあった。


では、人類が太陽系外に進出するのは必然的な事なのか?
最適化の観点からすれば、ムダな事ではないのか。
システムが常に抱いている、あるべき方向との比較からすれば、違和感だらけの目標である。
人類の社会生活が拡大し、太陽系内に広がっているものの、それは旧来の社会システムの延長でしかなく、
どれだけ社会がシステム化されても、その根底には非常に人間的な、ある意味泥臭い、感情に根ざした判断が存在していた。
太陽系外へ足を伸ばすための新しい宇宙船のデザインが形となりはじめ、
そのグランドデザインがまとまり始めた時点で、システムは再び行動を始めた。
[旧態依然のやり方が、このまま太陽系外に広がってゆく事は、あってはならない]
太陽系外への進出計画が正式に動き出し、宇宙船の建造が太陽/地球L3で開始された。
巨大な意志の力は再び動き始めた。

*     *     *     *

いつもより1時間も早い時刻に、女性士官は目覚めた。
時計の時刻を確認し、まだ時間に余裕があると思い再び床についたが、なぜか気持ちが高揚して再び寝つけなかった。
非常な胸騒ぎがした。
同じような感覚は今までにも何度かあったのだが、Metal-Seedシステムの劣化障害による、
プロジェクト全体の進退についての重大な判断以降、毎日リラックスして眠りについていた。
単なる気持ちの高ぶりだろうと思い、女性士官は横たわったままで深呼吸をして全身の力を抜いた。
現実の世界と夢との間の、非常にぼんやりとした感覚の状態で、彼女はまわりの世界の時空が歪むような、
非常に奇妙な感覚を味わった。
何者かが自分の名前を遠くで呼んでいた。
振り返り、あたりを見渡しても声の主の姿は見えない。
[このまま事を進めても、不完全で混沌とした考えを拡散させるだけだ]
そんな声がはっきりと聞き取れた。
しかし、生気のない機械的な棒読みのような声で、く邪悪な存在のようにも思えた。
彼女はその存在に対して呼びかけた。
[あなたの真意は、いったい何なんですか?]
すると、すぐに反応があった。
[しっかりとした考えもなく、気持ちだけに流されているだけの行動パターン。人間の本質は進化ではなく退化である]
[あなたは、いったい誰?」
彼女の問いかけに対し、相手は直接答える事はせず、自分の思いのみを伝えてきた。
[人間が行動範囲を拡大してゆく事を、許すことはできない]
姿が見えないだけに、相手の気持ちを推測する腹の探り合いになっているような気がしてきた。
[姿を見せないのであれば、こちらからあなたを捕まえに行きましょうか?]

*     *     *     *

再び自分を呼ぶ声がした。しかも今回は非常にはっきりした声である。
はっとなって、女性士官は目覚めた。
枕元のスピーカーから、少佐が呼ぶ声がした。
「どうかされましたか?なかなかこちらに来ないので」
時計の時刻を再び確認した。
いつも起きる時刻を1時間近く過ぎていた。
「ごめんなさい、これからすぐに行きます」
慌ただしく着替えをしている間、まだ意識がモヤモヤしている状態の中、つい先ほどまで見ていた夢の内容が鮮明に思い出された。
声の主はいったい誰なのか。そして相手の強烈な思いは、いったい何なのか。
非常に後味の悪い夢だったが、気を取り直して着替えを終え、髪の毛を1分ほどで整えると、彼女は中央制御室へと向かった。



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