閉鎖世界シミュレーション

新型宇宙船の指揮官を引き受けることを決めてから1年の月日が経った頃の事。
新たに雇った店員に店を引き継ぐまでの半年間、自宅と事業団の東京オフィスを行き来する日々が続いたが、
引継ぎが終わると自宅は店員が住み込むために貸し出して、自身は単身、事業団本部近くのアパートに住むことにした。
地下鉄1本乗るだけの、15分ほどの通勤時間は非常に魅力的だったが、本部での仕事は退屈極まりない状態だった。
ほぼ毎日の事業団幹部との会合。
しかし内容は関係各セクションとの調整がほとんど。
調整内容といっても、やる気のないセクション長に対しての人員要求と、要求に対してのセクション長からの回答が延々と続くだけ。
2080年代に入ってから、事業団内では中核エンジニアの退職が続き、コアとなる技術者がすっかり抜け落ちていた。
それでも今のところ現場でにまったく問題が起きていないのは、今まで作り上げた個々の仕組みが正しく機能して、
システム全体は正常に稼働しているということを証明していた。
皮肉な事である。
しかし、これから取り組もうとしている新型宇宙船は、今までの考え方が通用しない代物である。
軍退役直前に、概念設計に一部参画していた理沙だからこそ、全体像は理解することができても、
退職までの日々を指折り数えているような事業団の幹部には、新しい考え方を受け入れるような雰囲気はなかった。
とはいえ、理沙はまだ希望は失ってはいなかったが。


*     *     *     *

理沙が事業団本部近くのアパートでの生活を始めた頃、新型宇宙船の軍側の指揮官の一人である大佐と、会議の場で会うことになった。
彼は前線部隊での経験が長く、原子力潜水艦の艦長も務めたことのある人物だったが、理沙には面識はなかった。
しかし、大佐は理沙の事をある程度知っていた。
よくよく訊いてみると、理沙が軍退役直前に士官学校卒業式でのスピーチの場に、来賓の一人として参加していたようである。
「いいスピーチだと思いました。これから士官として生きる彼らの士気向上には役立ったかと」
「ありがとうございます」
しかし、理沙には彼が皮肉で言っているとしか思えなかった。
大佐もまた、前線での仕事からはずされて、新型宇宙船のプロジェクトに秘密裏に参画させられたメンバーの一人であり、
もう一人の中佐とともに、指揮官候補とされた。
目的は明かされずに、理沙が当時かかわっていた新型揚陸艦設計メンバーに宇宙船の要件事項だけが渡されて、
あくまでも揚陸艦の発展型プランだと建前で概念設計だけが行われた。
「私も、何かただならぬ事が動いているとは思っていましたが、すでに退役が決まっていましたから」
会議を重ねるうちに、理沙も大佐との会話が徐々に増えてきた。
新型宇宙船の中核メンバーと呼ばれる、ほんの5人のメンバーは、毎日会議室で今後のロードマップと、
日々定時刻に届く、宇宙船の建造状況報告を聞き、理沙は事業団幹部とセクション長との退屈な会議に参加する。
「私がいたころはまだ良かった。気概のある技術者が要所要所にいて。今では事業団は骨抜き状態ですよ」
そんな愚痴をこぼしている理沙の事を眺めながら、大佐は過去に仕事をともにしたもう一人の女性の事を気にかけていた。
どことなく理沙と似たような雰囲気の彼女。
果たして理沙と対面してうまくやっていけるのだろうか。


*     *     *     *

会議室では彼女が先に待っていた。
冷たい視線を感じ、彼は身が引き締まる思いをしたが、これから仕事を共にしてゆくパートナーだということを感じ取ったのか、
穏やかな表情で彼女は立ち上がり握手を求めてきた。
「よろしくお願いします。現場経験の豊富な方だとお聞きしました」
「いえいえ」
握った手に若干の違和感を感じたものの、大佐は彼女のすぐそばの席に座った。
「あなたのような後方支援の方がいなければ、潜水艦も宇宙船も動きません。非常に心強いです」
手を握ったときの違和感を、表情の変化から読み取ったのか、彼女はすぐに自分がサイボーグであることを告げた。
「そんな事は大したことではありませんよ。もう珍しい手術ではないし」
大佐はそんな事は気にしていないという素振りを見せた。
新型宇宙船に求められる要件事項を取りまとめるために、その日から半年ほどごく少数のメンバーでの会合が続き、
やがて彼女は、現場での指揮をとるための実地作業推進タスクを立ち上げると、会議メンバーからはずれたが、
会議室の静かな雰囲気の中で互いに深く考え、要件をまとめるための日々は、非常に密度の濃いものだった。
会議室での生活を離れる前日、大佐は送別会を企画して彼女と食事をした。
食後には夜景を眺めるためにワシントンの街並みをメンバーみんなで歩き、ワシントン記念塔を見上げた。
「もうワシントンには戻らないと思います。1年後に宇宙船での作業が始まる事になりましたから」
「連絡待っていますよ。次に会えるのはおそらく現地でしょうね」
しばらくの間会えないだろう。
大佐は、最後に握った彼女の手に今回は暖かいものを感じた。


*     *     *     *

「事業団からは80名を揃えます。軍と同数の要員を必ず集めます」
理沙は動きが遅いセクション長達を前にして、会議の場で言い切った。
会議の場がざわついてきた。
もちろんこうなることを理沙は事前に予感していたので、さらに追い打ちをかけるように、
「なにも精鋭を集める必要はありません。単にやる気があって若い事。これだけが条件です」
新型宇宙船のスタッフとして予定されているメンバーは160名。
半分を事業団、半分を軍という配分は理沙が軍側に提案した。
大佐からも特に異論はなく、そうなる前に軍側では事前に想定して既に80名の要員が決定していた。
160名が必要というのは、宇宙船のオペレーションに最低必要な要員が16名というのが根拠となっている。
16名が12時間交代で働くので、一日あたり32人、5シフト体制で合計160人。
とはいえ、完全自動化を想定しているので、人の手は全く必要ないという意見もあったが、慎重派と意見は対立した。
自動化システムの問題である、状況把握と常に何が最適解かと判断する能力は、時として人間に対して牙を向いてくることがあった。
巨大な国家が崩壊し、原因追及のために極秘に進められたタイタン基地での検証実験では、死者が発生し、
問題解決のヒントとなる事象をつかみとった一人のエンジニアは、不可解な理由で命を失ってしまった。
そして原因追及のために派遣された理沙も、死の寸前まで追い詰められた。
新型宇宙船では、タイタン基地での検証結果を踏まえて、新しい中枢システムが搭載されることになっているが、
問題の真の原因が分からない以上は、不測の事態に備えて人間がオペレーションをすることが想定されていた。
「新しいシステムだから、先入観のない、頭の柔らかい要員のほうが好都合です」
予定では、宇宙船が完成すると、太陽/地球L3で作業をしている32人のスタッフがそのまま全員船に乗り込み、
目的地である木星へ向かうことになっている。
船が仕様通りに作られているか、性能試験も兼ねた公司運転である。
32人のスタッフは、木星に到着すると、160人のスタッフに対して宇宙船のシステムについて徹底的なレクチャーを行う。
ならば、未経験の若手にベテランになってもらうのが、最適ではないかと。
「そもそもですが。。。。」
計画書をすべて読み終えると、理沙は一番根本のところを突いた。
「最終的な目的さえ決まっていません」


*     *     *     *

同じような質問を、理沙は事業団長官に対しても最初の時点でぶつけていた。
「いったい何が目的なのか。人類の存亡というのは私にもよくわかっていますが、全体的なロードマップが不明です」
長官の苦い表情から、まだまだ何かを隠しているのではないかと理沙は疑った。
「宇宙船を作っても、スタッフをどうするのか。乗員の選定基準はどうするのか。機密保持の問題もあります。
目的となる天体を決める必要がありますが、候補となる星は?技術的に行けるかどうかもまだ定かではないのに」
まあまあまあと、長官は身を乗り出して話している理沙を制止する素振りを見せた。
「正直なところ」
長官はさらに困ったような表情になった。
「私にも全体像は全くわかっていない」
何もかも大事な部分は軍側に握られてしまって、身動きの取れない事業団にいや気が刺してしまい、
ならば私が先頭に立ってやりましょう、それが理沙が指揮官を引き受けた一番の理由だった。
軍から渡された、大量の資料を読みながら、果たして軍を退役したのは良かったのだろうかと改めて思った。
新型揚陸艦の発展型プランにもう少しの間かかわっていたら、軍側の立場で有利に物事を進める事ができたかもしれなかった。
可能であれば事業団側に圧力をかけて、もっと動きのいい体質にできたかもしれない。
事業団は外部からの圧力には非常に弱い。
とはいえ、もし今も軍にとどまっていたら別なストレスを抱えていたかもしれなかった。
特にいまだに正体のわからない女性士官。
彼女からは、毎日届く定時報告以外、全く情報がない。しかもメールのみ。
大佐には、事あるごとに彼女のプロフィールについて尋ねるのだが、いまだに断片的な情報しか得られていなかった。
「木星に着いて、直接お会いできる時まで楽しみにしていてください」


*     *     *     *

80名の要員がようやく集まり、事業団としてもようやく体面が出来上がったのは、木星への出発2か月前の事だった。
若手を揃えて、未来のために役立てるというのは聞こえがいいが、まだ宇宙船の仕様についてのレクチャーすらできていない。
ほぼ準備のできている軍側に対して、事業団側は木星へ向かう宇宙船の中でレクチャーをするという強行スケジュールを組んだ。
地球/月L1に、木星へ向かうために用意された巡洋艦「アトランティス」が到着したのは出発1か月前。
当初は軍の80名の要員を輸送するために準備されたものの、倍の人数の輸送のために居住用のモジュール増設することになり、
木星への出発予定は2か月伸ばされることになった。
そんな状況の中で、知らせはやってきた。
「工作船からの定時報告です」
プロジェクトリーダーの少佐が、いつものように報告を読み上げる。
「本日、船が完成しました。あすシステム起動を行い各システムの稼働確認に着手します」
理沙は、身が引き締まる思いがした。



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