責任を取るという事
巡洋艦「アトランティス」が地球/月L1を出発して1週間ほど経った。
すでに加速ステージは完了し、一直線に木星へと向かっていた。
木星までの所用時間は63日ほどの予定である。
一方、新型宇宙船はまもなく出発準備が完了するところだった。
システム起動時に、女性士官が最初に船内に乗り込んだ時、中央制御室はまだ構造材むき出しの状態だったが、
2ヶ月ほどかけて、操縦用のシートや数々の機器類が取りつけられ、中央制御室らしくなった。
「推進剤の積み込み状況は?」
女性士官は、シートに座り出発準備を進めているスタッフひとりひとりに呼びかけた。
「本日中に完了する予定です。最後のタンカーがさきほど到着しました」
「核融合炉の状況」
「出力10パーセントで慣らし運転中。異常なし」
「推進システム」
「調整終わっています」
「船内環境」
「管理区画の環境、居住区画の環境ともに問題なし」
女性士官はスタッフの読み上げを聴くと同時に、自身でもチェックリストに目を通して問題がないことを確認した。
よし。。。と女性士官は小さく声をあげ、艦長席を立った。
「では、引き続き出発準備を進めてください。私は本部へ16時の報告を行います」
* * * *
事業団本部経由で、新型宇宙船の出発準備の状況が理沙の元に伝えられたのは、18時を少々回った頃。
160人の新型宇宙船スタッフは、「アトランティス」に取りつけられた4つの増設居住モジュールで生活している。
増設居住モジュールは、もともとは非常事態における救難活動用に開発されたものである。
「アトランティス」の同型艦は、現時点11隻就役しており、
本来の軍事的ミッションの他にも、非常時においては救難活動に携わる事も想定していた。
増設居住モジュールは、非常時において救助をした人々を収納することを目的として設計されているが、
幸いにも、今のところ実際の救助活動で使用されたことはない。
1つの増設居住モジュールは、それ自体が40人乗りの救命ボートでもある。
独立した動力システムを持ち、食料と水を常備して、40人の生命を最大3週間養う事が可能である。
「まさかそんなに深刻だとはね」
理沙は、事業団側80人のスタッフの報告レポートに目を通し、その後、担当グループリーダーを休憩室に呼び出した。
「状況は理解しました。でも、既に事は始まっているわけで」
テキサスで一緒にレクチャーに参加しているスタッフについては、理沙はスキル不足の要員に対しては、
必要な措置やサポートは行ったつもりだったのだが、ハンブルクから到着したスタッフについては、
多少の問題ありと、各担当リーダーから事前に報告は受けていたが、実際に蓋を開けてみないとわからない事もある。
「体調不良が16名、16名のうち精神に異常をきたしているのが5名。訓練不足も否定できません」
ここにきてホームシックなどという、普通の訓練された宇宙飛行士ではありえないような事態が、ここでは起きていた。
事業団内で技術職が不足しているということは理沙も噂では聞いており、ならば求めるスキルのハードルを下げて、
木星へ到着するまでの間に要員育成するということも考えていたが、体調不良となるとパフォーマンスは一気に落ちる。
「80人体制で元々考えていましたが、64人体制まで縮小して手を打ちます。または48人体制でも」
しかし、それではスタッフとして残った要員にしわ寄せがくるのは目に見えている。
「仕方ないですが。。。」
理沙は、体調不良のスタッフにはとりあえず休暇を取らせることを、各担当リーダーに指示した。
休暇といっても、いまさら地球に帰還させることもできない。
このまま木星に到着したのちに、地球に向かう宇宙船に移送して帰還させる方法を考えた。
木星に到着するまでの間は、薬物でなんとかだましだまし苦痛を和らげて、狭い船内で生活を続けてもらうしかない。
新たなシフトスケジュールのもとに、スタッフ訓練が再開された。
「アトランティス」船内に設置されたシミュレーターを使用して、5人1組のグループで新型宇宙船での操船訓練が行われ、
各グループの訓練の進捗状況および訓練の成績は、毎日行われるグループリーダー会議、
そして管理職3名の定例会議で扱われた。
管理職会議の冒頭、話題になったのは事業団側スタッフの成績の事である。
「困りましたね」
大佐からさっそく苦言が出た。
「平常時の操作には問題ないとしても、異常時の対応が非常に悪いです」
定期輸送船のレベルで操船ができたとしても、新型宇宙船の場合には、中枢システムの仕組みが今までとは全く異なり、
システム障害時の対応に特に手厚く、訓練プログラムが作られていた。
それを覚えるだけでも大変な量である。
加えて、フローに書かれていない事も訓練には含まれていた。
その訓練の元になるのが、理沙が過去にタイタン基地での事故後に経験した、新型中枢システムに関し提起した問題点である。
「成績を10段階で評価するならば、軍のスタッフが8まで到達しているところ、あなた方事業団スタッフは1か2のレベルかと」
そこまで酷くはありません、と理沙は反論したくなったが、なんとかその気持ちを抑えた。
新型中枢システムに関して理沙が提起した問題点は、軍の内部ではかなり深刻かつ真剣に取り上げられ、
新型宇宙船スタッフ選定にあたっては、かなり過酷ではあるものの、実地的な訓練が事前に行われていた。
対して、事業団側はといえば、理沙が提起した問題点レポートは長官経由で技術管理職に渡っているはずなのだが、
そのレポートに関して、理沙に対して事業団側から追加で問い合わせを受けたことはなかった。
「真剣さが足りないと思います。それと」
大佐は、遠回しにではあるものの、理沙の責任について問い詰めてきた。
「非常時の主導権についても再考が必要かと」
* * * *
事業団長官とオフィスで会話した時の会話を、理沙は今でも時々いやな記憶として思い出すことがあった。
自分が苦労して作り上げてきたものと思ってきた、木星の核融合燃料生産のための施設と育成したスタッフ達。
それが今になって、かえって足かせとなっているとは。
「たしかに、素晴らしいものを作り上げたと思っています。あなたには本当に感謝している」
しかし、長官からの次の言葉に、理沙の気持ちは一気にどん底に突き落とされた。
「ただ、巨大に育ちすぎて困っている。大統領が変わって方針が変わったのは、あなたも知っていると思ったが」
「ええ」
先代の大統領は、木星の核融合燃料生産事業に積極的で、それは宇宙船「エンデヴァー」元船長としての思い入れもあるのだが、
大統領が交代した後は、真っ先にその聖域にメスが入れられる事になった。
「すでにシステムは完成している。投資の時代は終わった。これからはコスト回収の時代だ、とね」
木星の生産現場から、スタッフの引きはがしが早速始まった。
かつて現場を支えていた優秀な人々、今は退職したが[ミスター核融合]のような中核を支えた人々は技術開発部隊に戻された。
開発部隊と言えば聞こえはいいが、木星のエネルギッシュな現場と比較すれば退屈極まりない場所でしかなく、
要は閑職に追い込まれたようなものである。
櫛の歯が抜けるように、現場から中核スタッフが次々に消えていった。
「そして今回の件だ、このままでは軍にすべてを牛耳られてしまう」
「それで私を呼び出した、という事ですね」
その新型宇宙船も、元々は理沙が軍に戻ってから最初に取り組んだ、大型揚陸艦のプランが元になっている。
木星の生産設備にしても、今回の新型宇宙船の件もしかり、宇宙船のスタッフ育成にあたっての訓練プログラムの件もまた、
理沙がなにがしかの形で関わっていた。
「手をつけた以上、そのけじめも私に求めているという事ですか?」
長官は、しばらくの間黙ったままで答えなかった。
ならばよし。
* * * *
「無理をかけてしまって、大変申し訳ないとは思っていますが」
翌日の事業団側リーダーとの会議の最後に、理沙は淡々と話し始めた。
「私が始めた事として、非常な責任を感じています。とはいえ、もうこれは走り始めた以上止められないものなのです」
今も部屋の中で悶々としている、16人のスタッフ達。
戦力外のような状態になってしまったが、徐々に気持ちを戻しながら平常の状態になってもらいたいという事、
そのために精神的ケアを引き続き行ってほしいと、改めて理沙は指示をした。
そのためにリーダーの負担は増える事になるが、なにか不測の事態があった場合には相談してほしい、
自分もなにがしか手助けはすると述べ、リーダー達の気持ちを和らげるように心がけていることを態度で示した。
最後に、理沙は話をこう締めくくった。
「今は悶々としている気持ちも、木星をじかに目で見た時に変わるかもしれませんよ」
「船内環境」
女性士官は、チェックリストに従い淡々と読み上げる。
「問題なし」
「核融合炉」
「出力60パーセント、上昇中」
「推進システム」
「プラズマ制御、噴射システム、ともに問題なし」
「制御システム」
「問題ありません」
よし。。。。と、女性士官はいつものように小さく声をあげ、チェックリストの項目すべての確認を終えると、
「では、すべて準備完了です」
中央制御室中央にある、マルチモニター画面に表示されている、カウントダウン表示を注視した。
手元にある、最終判定スイッチに右手を触れる。
システムが進歩してもこれだけは昔と変わらない。
カウントダウン表示がゼロになると同時に、スイッチを押した。
赤いランプが緑に変化する。
「これより木星に向かいます」
しばらく経ってから、じわりとした加速Gを感じるようになった。ほんの少しだが中央制御室の部屋全体が揺れる。
「到着は、48日と22時間18分後の予定です」