炎に包まれる

3日ほど先に木星の周回軌道に到着した、巡洋艦「アトランティス」は、新型宇宙船との合流点に向けて軌道調整を行った。
先方からは周回軌道到着に向けての準備状況について、逐一連絡が入ってきている。
お互いの距離は数百万キロまで接近しており、タイムラグは秒単位にまで短縮されていた。
その状況を、理沙は非常な緊張感とともに過ごしていた。
しかし他の皆が、巨大な1800万トンもある物体が、木星周回軌道に入ろうという人類史上最大のショーを間近で緊張感をもって見ているところ、
理沙にとっての最大の関心事は、合流ポイントでじかに会うことになる、女性士官がどのような人物なのかという事だった。
[高エネルギー帯に入りました。減速ステージ続行中]
高精度モニター衛星からの映像で、宇宙船からのプラズマ噴射がはっきりと見えていた。
「アトランティス」の中央制御室では、理沙を含め、部屋にいる全員がモニター画面の映像を注視している。
宇宙船の船体の細かいところまで良く見えるほどに、映像は拡大された。
船体後方100キロメートル以上先まで伸びている、プラズマ噴射。
やがて、船体のディテールが徐々にではあるが、もやがかかったようにぼやけてきた。
モニター衛星からの映像調整の不具合ではないかと、室内から小さく呟く声も聞こえていたが、不具合ではなかった。
噴射したプラズマと、木星本体の磁力線に沿って保持されている、大量の荷電粒子が反応しオーロラのような状態となり、
船体にまとわりついている事により発生している現象だった。
もし、直接に触れたならば感電死する程のダメージを負う事だろう。
荷電粒子防止の磁気シールドが、船体を守っていた。
オーロラは船体後部をもやのように覆っていたのだが、やがて船体全体を覆うような状態となり、
見た目にはまるで船体が炎に包まれたような姿になった。

*     *     *     *

「シールド最大です。今のところ船体に問題なし」
新型宇宙船の中央制御室は、スタッフ5人と女性士官のみ。
外の嵐のような喧騒状態とは異なりいたって静かである。
「了解」
女性士官も、特にスタッフ達に指示する事もなく、目の前のモニター画面の各システムの状態表示をただ眺めるだけ。
機関室、統合指令室にいる各5人のスタッフも同様に、今のところやるべきことはない。
不測の事態に備えているだけである。
また、当直時間外の16名は、管理ブロック内の休憩室で休んでいるところである。
広々とした到着ロビー、まだ整備されずがらんどうのような居住区画も、今は非常灯の赤い光に照らされている。
変化があるといえば、減速ステージが佳境に入り、徐々に減速Gが強くなってきたという事である。
女性士官は、体がシートに徐々に沈み込んでいくことから、その事を認識した。
「減速G、0.05。上昇中」
船外モニターの映像では、シールドと荷電粒子との反応で境界面がオーロラのように輝いていた。
あたりの星空や、巨大な木星の姿が徐々にぼやけて見えるようになっていた。
「減速G、0.06」
しかしこれでもまだ序の口である。
あと数時間が最後の山で、このオーロラはさらに輝きを増してゆくことになっている。
外から見たら、さぞかし壮大な眺めだろうなと女性士官は思った。
もしかしたら。。。。。あまりその事については考えたくなかったが、
荷電粒子保護シールドが耐えられなくなり、強烈なプラズマが船体に襲い掛かる事態を想像した。
その際には船体が傷つく程の、かなりのダメージが及ぶことになるだろう。
想定されている減速ステージのチェックリストを、女性士官は再び確認した。
大丈夫、すべてうまくいっている。
「アトランティスからも、良く見えているとの事です」
女性士官は、シートに深く座り腕組みをして、スタッフが「アトランティス」とやり取りするのをしばらくの間聴いていた。
先方は、こちらの事を心配しているようだが、当事者である自分たちの方が落ち着いていた。
危機的状況であれば、今までにも山ほど経験している。
最大の危機であった、宇宙船建造段階での、自動増殖システムの劣化による作業続行判定の方がもっと緊張していた。
100メガトンの核爆発で、確実に自分の命は失われていたかもしれないわけで、
その事と比べたら、減速ステージなんてのは大したことではない。
デスクの隅にある、中止スイッチを彼女は改めて確認した。
いざとなれば、やり直しはいつでもできるのだ。

*     *     *     *

宇宙船の姿は、長い尾を引く彗星のようになっていた。
「アトランティス」からはかなり距離が離れており、モニター衛星からの映像でも小さな光の尾になってしまっていた。
やがて木星の裏側に入ろうとしているところ、別なモニター衛星からの映像に切り替えると、
新型宇宙船は、木星の影の部分で長い光の尾を引いて輝いていた。
「あと2日ですね」
大佐に誘われて、理沙は中央制御室を出て食堂に向かった。
「この狭い船内からようやく解放されますね。広いところで体を伸ばしたいといったところか」
誰もが同感する事である。
人は贅沢な暮らしに慣れてしまうと窮屈な生活に不満を言うものである。
「でも、まだ仕上げ中で、完成まであと1年かかるんでしょ?」
「確かにそうですが」
食事を受け取り、2人はいつものように窓際の席に座る。
船の体勢にもよるが、今はちょうど窓からはいっぱいに視野に広がった木星の雲海が見えていた。
「もう、体調は良くなりましたか?いや、あなたの事ではなくて」
自分のことではない事は十分分かっている。
元軍人であり、木星への渡航歴も何回もある理沙は、軍のスタッフ達からも体調の事を心配された事すらない。
理沙は笑い飛ばした。
「ええ、良くなってきました」
事業団側が確保した80人のうち、16人が体調不良のため職務不能になっている問題については、
その後の薬物治療、リハビリ等の効果もあり、今では12人が復帰するまでに回復していた。
残りの4人についても、一時は作業プラットフォームに到着後に地球へ帰還させることも検討されたが、
体調の回復状況が順調である事、また、当の本人たちの願いもあり、そのまま職務復帰させることになった。
「ようやくこちらも一段落、といったところですね」
「あとは。。。。」
大佐は毎週金曜日には必ず食べるようにしている、インドカレーを口に運びつつも、
「私たち3人、管理職がうまくやっていけるかという事ですかね」
そう言いながら、理沙の顔色をうかがっていた。
「うまくいくも何も」
理沙もまた、パンケーキと目玉焼きを、ちょっと大きく口にほおばりコーヒーに口をつけた。
「やってみなくてはわからないでしょ、何だって」
そのあと2人は10分ほど、新しい船の設備のことを雑談しながら食堂で過ごした。

*     *     *     *

「見えましたね」
船外モニターの隅に、長い船体が確認できた。
新型宇宙船は減速ステージを無事に完了し、「アトランティス」との合流ポイントに向かっていた。
低い軌道から「アトランティス」を追いかけるように接近しているので、木星の雲海に船体が紛れ込んでいるように見えた。
しかし、縞模様に埋もれて判別が難しいように見えた船体も、時間が経つにつれて着実に存在感を増していた。
中央制御室のスタッフが、合流に向けて新型宇宙船のスタッフとのやりとりを続けている。
「ああ、あれね」
理沙は、モニター画面中央に見える、その船体を雲海の中に見つけた。
その後1時間もしないうちに、新型宇宙船は「アトランティス」の軌道と交差した。
一旦は、「アトランティス」が前方に出る形になり、その後徐々に距離を詰めてゆく。
モニター画面越しに見える船体を見ながら、理沙はふと今日までの事を思い出していた。
10年程前に、事業団の仕事を離れて軍に戻った時に、次世代揚陸艦の設計タスクを任されて、
基本設計までやり遂げたものの、プロジェクトは予算の関係で中断。
理沙自身も、タイタン基地での事故調査とその後のアクシデントのために生死の境をさまよい、生還したのはよかったが、
地球へ戻れば軍法会議にかけられて身に覚えのない罪で起訴される。
理沙の波乱万丈の10年間の裏で、発展型プランとして巨大宇宙船建造が計画され、計画は極秘裏に実施され、
今こうして目の前にあるのは、実物になった宇宙船である。
「まさかね。。。。」
理沙は、宇宙船の姿を眺めながら、ふと呟いた。
「本当に作るとは思わなかった」
宇宙船は、今では視界のほとんどを覆い尽くすように「アトランティス」に接近していた。
まもなく会うことになる女性士官の事を、理沙はほんの一時忘れていた。



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