苦労を共にした人々
リアルタイムではないのを利用して、強い口調で言っているのだろうか。
理沙がそのように思えるほどに、事業団長官は現場に対して命令口調で淡々と述べていた。
確かに、現場にてこ入れをしなくてはいけない事は分かっている。
開発期間は終わり、これからは核融合燃料の本格的な生産を進めて、投資した分を回収しなくてはいけない時期である。
生産設備をフル稼働させて、太陽系内の物流を活発にしなくてはいけない。
理沙は、画面の向こう側の長官の目をしっかりと見つめて、とはいえ、理沙がいま彼に眼力を使っても効果はないことは
よくわかっている。単なる無駄な抵抗でしかなかった。
「これは大統領の願いでもあり、あなた方管理職たちの手腕にかかっている」
なんだ、結局のところ大統領からの圧力で言っているだけのことか。
事業団長官からのメッセージは終わり、新型宇宙船および作業プラットフォームの管理職達は、いつものように会議を始めた。
「長官が述べているように」
行政官はそのように前置きしてから、長官の述べている現場改革案について改めて説明した。
長官から連携された現場改革案のプレゼンテーションを眺めながら、理沙はふと思った。
要するに、人員は生産活動に必要な最小限の人数に縮小し、システムによる完全自動化へと移行を行う事。
木星は単なる核融合燃料の生産のための場所として、目的にのみ専念し他の余計な事は考えない。
確かにその事は至極まっとうな考えだとは思えるのだが、理沙の心の奥底には違和感があった。
行政官からの発言が終わり、理沙は話し始めた。
「確かに、長官の説明はもっともだと思います」
しかし、と理沙はそのあと反論を述べた。長官に対する苦言も込めて。
「ですが、議会やエネルギー省へのご機嫌取りとしか思えない内容です」
理沙の脳裏には、今までの苦労の経験、そして一緒に仕事をした人々の姿があった。
* * * *
「判断は下されました」
理沙は、訓示を述べている事業団長官の姿を見上げながら、しみじみと今日までの日々を振り返った。
「私たちは将来のエネルギー安定供給と、人類の生活圏拡大のための一歩を踏み出します」
綺麗事のように聞こえるかもしれない。
これだけの予算をもっと他の目的のために投入すれば、どれだけの人々が幸せになったことか。
衣食すら十分でなく、その日の生活にも苦労をしている人々、医療が十分でなく死にかけている人々、
生活保護受給者、困窮した母国から流れ込んできた移民、戦場で今日の命さえ保証のない戦士。
それぞれ立場は異なっても、いったい自分は何のために生きているのか常に矛盾を抱えている人々の事を思えば、
こんな贅沢な予算の使い方が果たして許されるのか。
「人間とは、常に矛盾を抱えて生きている生き物です。合理的に考え物事を進める事もあれば、そうでない事もある」
そんな矛盾の象徴とも言えるような巨大プロジェクトが動き始めようとしていた。
出番ですよ、とフライトディレクターから声をかけられて、理沙は自分の席のモニター画面を見つめた。
巨大な壁面ディスプレイの映像と同じく、外の風景が映し出されていた。
1機のヘビーリフターが出発の時を待っていた。
訓示は終わり、フライトディレクターが管制室のスタッフに次々に指示をした。
「全員配置について、マイナス2時間から秒読み再開」
そして、フライトディレクターの合図で、チェックリスト読み上げを理沙が引き継いだ。
「推進剤注入を再開します。各サブシステムの状態は正常」
理沙は淡々と画面に流れるチェックリストに従い、各セクションの状況を確認する。
そんな淡々とした作業が1時間近く続いたが、その1時間は今までの困難な時期を思えば一瞬の出来事だった。
「1時間前になりました。作業スタッフは全て安全エリアへの退避を再確認」
「つまりは。。。。」
いつも穏やかな表情で話す[ミスター核融合]
計画推進のことで気持ちに余裕がなく、気持ちだけで前に進んでいる理沙とは対照的だった。
「少し肩の力を抜いて、1つのやり方にこだわらないことですよ」
彼の言っているように、プロジェクトのあちこちで行き詰りのようなものが発生していた。
目的ははっきりしている。そのためにやるべき事も、進むべきロードマップもはっきりしている。
技術だけが追いついていなかった。
「おっしゃることは、ごもっともです」
2人はテラス席で、アイスコーヒーを飲みながら、少し話題を変えて休暇をとったら何をしたいか、他愛のない話をした。
忙しいとき、なぜか理沙の脳裏には以前行ったマイアミビーチの風景がよみがえってくるのだった。
一日中、何もせずにただ海岸で過ごすだけ。
パラソルを広げて、その下で横になり過ごす。午前中から夕方になるまで。
「宇宙にも、そんなリゾートのような場所が作りたいわね」
夢のような話は膨らむばかり。
思えば、これから本格化する木星資源開発プロジェクトも、そんな夢物語から始まったようなものだった。
しかしながら、夢物語も裏付けとなる技術がなければ何も形にならない。
「ひとつ、面白い話をしましょうか?」
理沙の心の準備ができたところで、すっとなにげなく[ミスター核融合]は核心をつくような話を始めた。
そして彼のその何気ない話が、その後のブレークスルーへとつながっていった。
「ヘリウム3は月の土壌から採取可能ですが、木星の上層大気中にも蓄積されていることがわかっています」
理沙は、仮設のスタジオとなった会議室から、画面の向こう側の人々に説明を始めた。
「大気中から、どのようにしてヘリウム3を採取することが可能なのか、実験が進められました。
最初の実験から7年が経ちますが、どのように大気中から採取するのが効果的なのか、
原子力ラムジェット機をいくつか製造し、実験を重ねてきました」
映像を作業プラットフォームの格納庫に切替した。
そこには、鈍く黒光りするエイのような機体があった。
「原子力ラムジェット機の実証試験用の機体です。これで採算ベースに合うヘリウム3採取が可能か試験をします」
理沙は、今回予定されている大気採取のための飛行コースについて図を用いて説明をした。
今までは予備的な慣らし運転のようなテストだったが、今回はさらに高温状態、長時間となるテストを想定していた。
果たして翼は耐えられるのか、タービンが正常に作動して予定量の大気を採取できるのか。
「今回がひとつの山場と言えるようなテストです。ですが私たちはこのハードルを乗り越えます」
「まもなく上層大気突入」
理沙は、フライトディレクターのすぐ横の席で、担当者がチェックリストを読み上げるのを見守る。
前面のモニター画面には、高精度モニター衛星からのリアルタイム映像、
その左右には、機体の状態を示す表示が。
上層大気への突入が始まると、機体の状態を示す各数値が一気に変化した。
「前縁部分の圧力と温度は規定値内」
そのとき、フライトディレクターが理沙の方に視線を向けてきた。
視線を向けられて、理沙もまた小さく頷いた。
「前縁スロット、オープン、加圧を開始します」
モニター衛星からの映像を見ていると、機体全体が炎に包まれて長い尾を引いた流れ星のように見えた。
しかし、機体はまだしっかりと耐えている。おそらくぎりぎりのところで。
機体内部の4台のタービンが、大気を加圧して機体中央部のカートリッジに確実に蓄積していた。
管制室内に聞こえるのは、作業チェックリストを読み上げる担当者の声だけ。皆が黙って画面を見つめている。
大気に突入して10分ほど経ったが、その10分間が異常に長い時間に感じられる。
「前縁部の温度が上昇中」
モニター表示上では、まだ想定の範囲内である事はわかっている。
しかし、機体の温度分布を示す表示に、理沙は違和感を覚えた。
「あと120秒」
担当者が淡々とリストを読み上げているところに、理沙は割り込んだ。
「上昇の準備を」
制御担当者が復唱し、さっそく動き始める。
「スロットクローズ、上昇準備」
機体の温度分布表示に、一部赤いところが現れた。
「前縁部に限界点」
機体からのモニター表示が一瞬で消えた。
モニター衛星からの映像には、一瞬強烈な光を放ったのちに流れ星が砕け散るのが見えた。
理沙はすぐに管制室全体に冷静になるように指示をした。
「モニターデータの回収を。バックエンド担当はすぐに解析を始めてください」
「目先の事も確かに重要でしょう。人は現実の世界で生きているのであり、夢に生きるのではないと。
人類が他の生物と大きく異なるのは、時間の概念を持っているという事です。
1年先、10年先、100年先のことを想像し、今早急になすべきこと、将来に向けて準備することを常にわきまえています」
そして、「エンデヴァー」元船長は宣言した。
「私は再度挑戦します。4年後のために今から大統領選に出馬します」
小さな会場に、ばらばらな拍手。
しかし理沙は彼の熱い気持ちがまだ健在だということに、非常に心を動かされた。
失敗するのは恐れるほどの事ではない。恐れるべきはチャレンジする気持ちを失う事。
あきらめずに前に進めばいいのである。
「ようやくこの日がやってきました」
事業団長官が、管制室のスタッフに向かって、そして木星の作業プラットフォームのスタッフ向けて訓示を述べた。
「ちょうど10年前に、作業プラットフォームの建設が始まった当初、何をこんなばかげた事をするのかと議論がありました。
時には議会が紛糾し、ホワイトハウス前でデモ行進もありました。
当時の長官は、この日が果たしてやってくるのだろうかと、土俵際に追い込まれた状態だったのでしょう」
しかし、今日ついにその日がやってきたのである。
理沙があたりを見渡すと、何人かが感極まって涙をこらえている者もいた。
「そろそろ出発の時刻になります」
木星での30分ほど前の出来事ではあるが、作業プラットフォームからの出発秒読みを皆は黙って見守った。
やがてカウントゼロとなり、タンカーは地球に向けて出発した。
[システムには感情がないと言われていました。でも、もし感情を持ってしまったならいったいどんな事態が発生するのか]
ヴェラが書いた手書きのメモを読みながら、理沙は今すぐにでも彼女と直接話をしたいと強く思った。
しかし、彼女はもういない。
自分を実証実験の実験台として、自らの命を絶ったのである。
[感情というものの根底にあるものは何なのか。
もやもやとした無意識状態の中で私たちは誕生し、親の愛情を受けながら成長し、その成長過程の中で感情が作られるものと考えます。
私ヴェラそのものである自我というものが、成長の過程で構築されながら今に至る。
その根底にあるものが何かと言えば、生命力であり、生きていることそのものが自分を構築するのではないかと]
おそらくその実証実験の続きを自分に引き継ぎたいという思いで、ヴェラはこのメモを書いたのだろう。
メモはその後軍法会議の証拠品として没収されたか、タイタン基地の中枢システム障害の報告書の一部として厳重保管されているのか。
しかし、現物を実際に読んだ事のある理沙には、内容の一字一句がしっかりと記憶の底に焼き付いていた。
結局のところ、軍法会議では理沙は責任追及されるに至らなかったが、規則として軍を退役することになった。
理沙は軍での最後の仕事として、母校である士官学校の卒業式の場で訓示を述べた。
「今日この場に私は立ち、皆さんに士官として、人間としてずっと守っていかなければいけない事について話をしています。
自分の信念をしっかり保ち、部下を導き、この困難で未知の未来へ向かって歩み続けてください」
そして、ほんのちょっとのユーモアも。
軍法会議にかけられようが、それは大したことではない。別に死ぬわけではないのだから。
「親友が私にすべてを託したのと同じように、私は困難で未知の未来へと歩み始めた皆様にすべてを託したいと思います」
とりあえずは一線を退いて、外野から世の中を眺めてみようと理沙は思った。
しかし、理沙は戻ってくる事になった。
タクシーを降りて、事業団本部のロビーの中を歩く。静かで閑散としているロビーに声が響いている。
見上げると、壁面ディスプレイに見慣れた光景が。
理沙は立ち止まり、その映像を眺めていた。
木星の作業プラットフォームと、そこで働く人々の姿が。そして時を遡り建設開始当時の映像が表示された。
[判断は下されました。私たちは将来のエネルギー安定供給と、人類の生活圏拡大のための一歩を踏み出します]
当時の長官からの訓示ののち、作業プラットフォームの最初のモジュール打ち上げが始まる。
管制室のスタッフの姿が映し出されている中で、チェックリストを読み上げる聞きなれた声がした。
[5分前、船内動力に切替]
ロビーに響き渡る自分の声を聞きながら、理沙は再び歩き始めた。
[1分前、点火シークエンススタート]
受付デスクで静かに座っている受付嬢に声をかける。その声にカウントゼロを読み上げる理沙の声が重なった。
「長官とお会いする約束をしているのですが」
清楚で落ち着いた受付嬢は、理沙が名前を告げると一瞬表情がこわばった。
受付嬢は立ち上がった。
「お待ちしておりました。ご案内いたします」
* * * *
「インフラ設備は完成しました。そこでこれからの私たちに必要なのは」
モチベーションの問題だと理沙は思った。
「今は再び、あの当時の気持ちを思い出して、熱意と信念を次の世代へとつなげてゆくべきだと思っています。
地球の外に出て、生活の基盤を自らの手で構築して、新しい世界を切り開いてゆく。
そこで振り返って改めて地球を眺めて、ああ、自分たちは成長したんだ、と気づくことになるのではないかと」
その言葉は、会議室にいる管理職に対して向けられたものであるとともに、自分自身に対してのものでもあった。