行政官の更迭
[もうすぐ店を離れて1年になりますが、いまだに私の話題が出るのは、嬉しい反面、少しだけ残念にも思います]
理沙は、れいなと美紀に久しぶりでメールを書き始めた。
いつも頭の片隅では彼女たち2人の事、店の馴染みの客の事を心配していたのだが、
毎日のスケジュール、特にここ1週間ほどは宇宙港Aでの事故の件で振り回されていた。
[時間がもしあれば、そちらに戻りたい気持ちはあるのですが、既に知っての通り、宇宙港Aで先日事故が発生して、
その対応に追われています。もしかしたら責任者の首が飛ぶかもしれません。。。。]
しばらく事故の件について淡々と書いたのだが、理沙はいったんそこまで書いたところで手を止めて、
宇宙港Aでの事故の件を削除し、店の馴染みの客ひとりひとりに向けてのメッセージに書き直した。
30分ほどかかってメールを書き、内容をチェックすると送信した。
部屋の壁面ディスプレイのマルチモニター表示を眺め、3つの作業プラットフォームの状況をひととおり確認すると、
理沙はベッドに入った。そしてモニター表示はそのままにして眠りについた。
超大型キャリアーが、ゆっくりと作業プラットフォームAに接近していた。
作業プラットフォームが作業員の宿舎兼核融合燃料輸送用ターミナルであるのに対して、
旅客専用の宇宙港が最近建設され、旅客用/貨物用の港とホテル等の宿泊施設、レジャー施設が設置された。
キャリアーはいったんは作業プラットフォームに接岸したが、増設用モジュールを荷下ろしすると、
再び地球へと帰還していった。増設用モジュールは数日かけて宇宙港Aへと向かう。
タグボートに曳航されて、宇宙港Aへと向かった増設モジュール。旅客ターミナルはすでに2つあるのだが、
今回は3つめの旅客ターミナルの増設である。
200メートルほど離れたところで増設モジュールを停止させ、火星へと向かう旅客船が出発したのを見届けると、
作業は開始された。まる1日港を閉鎖したターミナル3の増設作業である。
「作業員は、安全区画へと退避」
旅客ターミナルに非常灯が灯った。アラート音が鳴り響く。
中央制御室で作業全体を見守る作業監督は、すぐ目の前のデスクに座る2人の担当者の作業に目を光らせる。
作業開始前の確認会の場で、2人の目がしょぼしょぼしているのが少々気になっていたが、
まぁなんとかなるだろうと思った。そんな彼もまた、他人の事を気にするような状況ではないのだが。
「全員退避、確認しました」
作業員がそう言ったのと同時に、監督もまた確認した。
「では、増設モジュール接続開始」
今までに何度もやっている作業である。作業内容そのものについては心配はなかった。
ただし、必要性があるかどうかについては考えないことにした。
いろいろと議論があった事だが、現場の担当者からすれば無事に完了させるだけの事である。
「あと50メートル」
ほんの一瞬ではあるが、映像が乱れたのを監督は見逃さなかった。
「いったんストップ」
作業を中断するように監督は指示した。増設モジュールはいったん静止した。
「モニター14と15を確認するように。映像が時々乱れている」
自分が気にしていただけの事はあった。2人の作業員は見逃していた。
今回の作業が終わったら、彼らの事を問いただすこともできるが、それよりもまずは休養が必要だろう。
「いったんモニターを切ります」
モニター14と15の映像が消えた。
調整作業に10分ほどかかったが、モニター表示が復活したのを確認すると、監督は作業を再開した。
「あと15メートル。位置の微調整」
スラスターは既に停止していて、慣性でゆっくりと動いているだけであった。
宇宙港側から捕獲用のアームを伸ばし、トラス構造の接続の準備を行う。
再びアラート音が鳴った。異常接近を知らせる合図である。
「いったん停止」
作業員が告げると同時に、再びモニター14の映像が乱れる。
「停止だ、停止」
「止まりません!」
監督と作業員の声が交差し、そのやりとりとほぼ同時刻にモニター14の映像は消えた。
「何があった?」
ゆらりゆらりと、部屋が揺れてすぐに非常時アラート音が大音量で鳴った。
船外モニターからの映像には、信じられないような光景が映し出されていた。
増設モジュールが旅客ブロックに衝突し、通路のいくつかが破壊されていた。
ひしゃげた窓から空気漏れが発生し、白い煙があがっていた。一瞬、人の姿らしきものが飛んでいくのが見えた。
理沙の元に事故の知らせが届いたのは、事故発生から30分後。
緊急通報アラートとともに中央制御室のマルチモニター中央に、宇宙港Aからの映像が映し出された。
「事故が発生しました」
ちょうどその時当直で艦長席に座っていた理沙は、行政官から事故状況についての説明を受けた。
「旅客ターミナル増設作業中での事故です。増設モジュールが旅客ターミナルに衝突し、双方が大破、
接続通路だけでなく、居住区画にまで影響が及んでいます」
「被害状況は?」
「今のところ確認中ですが、行方不明者がいる模様」
その後の数時間は被害状況の確認に追われ、当直時間は終わってしまった。
次の当直を直子に引き継いだ後も、理沙は会議室にそのままとどまり事故後の対応を見守った。
2時間後、死者3人、行方不明者4人の報告が理沙の元に届いた。
「当事業始まって以来、最大の人身事故になりました」
行政官の表情は、疲れ切っているように見えた。
今まで死者1人の事故ばかりであったのが不思議なくらいである。
理沙は行政官からの報告に対して、淡々と、しかし彼の事をねぎらうように言った。
「わかりました。では引き続き事故原因の究明を進めてください」
* * * *
「いまさらの事なのですが」
理沙は、行政官に問いかけた。
「今回の作業を、このタイミングで実施する必要性はあったのでしょうか?」
腕組みをしたまま、彼は目を閉じて考え込んでいた。
「旅客需要がそれほどあるわけでもなく、であれば計画の見直しをしてもよかったのでは」
「私も。。。。」
そこまで言いかけて、行政官は再び沈黙した。
事故発生からの2日間、おそらく行政官は全く寝ていなかったのだろう。
目を閉じたまま、頭がゆっくりと揺れているように見える。
「とはいえ、一度計画されていた事なので、了承しました。了承したのは私です」
事故調査の結果で、さまざまな不幸が重なっていたことが判明した。
当日の現場作業員は、今までの増設作業と比較して大幅に人員を減らしていた。
すでに作業手順として確立しているものであり、当日の担当者も監督も作業内容は熟知している。
しかしその事自体が甘えとなっていたのではないのか。
さらには当日の作業担当者も監督も、日々の定例作業に追われて疲れが溜まっていた。
前日には、居住区画の配管メンテナンスに時間がかかりすぎて、休憩時間もないほど働いていた。
そこにさらに不幸なことに、中央制御室モニターの故障と、制御システム操作のミスが重なった。
通常であればありえない事として、増設モジュール側の作業者が位置情報の入力を誤り、
制御システムは間違いを指摘したにもかかわらず、増設モジュール側作業者は作業を続行してしまった。
「とにかく、原因の追及としかるべき対応を」
しかし、事は単純に済むような問題ではなかった。
[今回の増設は、元々計画されていたものです]
事業団からの長いメールは、その内容は丁寧な言い方ではあったが、
行間を読み進めると、そこには言い訳と保身がところどころに見え隠れていた。
[しかし、この時期に実施するのが適切かという点に、疑問を感じる点はあり、行政官にはその旨質問していました]
行政官はシートに深く座り、大きくため息をついた。
「いやいや、私は命令されただけです」
理沙は、テーブルを間に挟んだ対面の席から、行政官のことをただじっと見つめていた。
「この時期に実施してくれないと困ると。必要性について質問したのはこちらの方ですが」
なるほど。。。。理沙は改めてメールの文章を眺めながら、しばらく考えた。
「時期は勝手に決められて、作業員の調整を間に合わせるように命令された。という事ですか?」
行政官は頷いた。
「はい、それも一方的に」
何もない時には淡々と事が進むが、いざ事が起きると関係者皆が責任回避するという、典型的なパターンだった。
その日は、行政官がまとめた事故報告書について、理沙含めた管理者3人で内容をチェックし、
今後の対応について会話するだけにとどめた。
「とりあえずは送ってみて、反応を待ちましょう」
そして数日待ったが、事業団からの反応は特になかった。
宇宙港Aの破損した連絡通路の撤去、増設モジュールの破損部分の修理には1週間ほどかかり、再度接続の準備が完了したところで、
再び事業団からのメールが届いた。
内容は非常に簡潔なもので、数行ほど書かれているだけだった。
[今回の事故に関連し、管理体制の見直しを行い以下とします]
その下には、行政官が任を解かれて、次の体制が確立するまでは事業団本部が指揮するとだけ記されていた。
「まぁ、私に適任ではなかったという事ですよ」
行政官はデスクの荷物の整理を終え、あとは荷物をまとめて部屋を出てゆくだけだった。
「そんな事ないでしょう」
コンテナに荷物を詰めるのを手伝った理沙は、名残惜しそうにソファーに座っている行政官の隣に座った。
「あなたは職務を忠実に果たしただけ。しっかりと責任を取ったし、文句を言われる筋合いはない」
先週、亡くなった作業員の追悼式の場で、行政官は現場責任者達から問い詰められながらも、真摯に対応していた姿を、
理沙はしっかりと見ていた。
「そんな事ないですよ」
これから先の事について、理沙は尋ねた。
「もともとはSTUからの出向みたいなものですから、STUに戻って技術職を続けようかと」
「それもいいかもしれませんが」
木星に到着して半年と少々ではあるが、その間に行政官と共に仕事をしながら、彼のひととなりを見て理沙は常に思う事があった。
「あなたにしか出来ないことが、まだあると思っていますが」
冗談はやめてくださいと彼は笑っていた。
翌週、彼を核融合ラムジェット機の実施責任者兼技術チーフとする体制案が事業団に提出された。
推薦者には、理沙含めた3人の管理職を筆頭とし、現場チーフ達の名前が連なっていた。