直轄地構想

不毛な議論というものは、こういったものなのだろう。
いつの場合でも現場不在、当事者不在で議論が進められる。
そして、決められた結論はろくでもないもの。
現場には非常に不利な内容、理不尽な内容になる場合がほとんどである。
今日も木星では2000機もの原子力ラムジェット機が、ミツバチのように木星大気中からヘリウム3を含んだ大気を採取し、
巣である3つの精製プラントへと持ち帰ると、プラントではヘリウム3と水素との分離、精製、カートリッジへの積み込みが行われ、
満杯になったカートリッジが一定の数になると、タグボートが数珠つなぎ状態で作業プラットフォームへと輸送する。
作業プラットフォームでカートリッジをとりまとめ、タンカーへの積み込みが行われ、地球や月、火星へと輸送される。
15年前に細々と始められた核融合燃料生産事業であるが、生産開始当初はなぜこれっぽっちのヘリウム3生産のために、
危険を犯してまで木星へと行き、大量の資金を投入してインフラ設備をわざわざ作ったのか。
議会では議論が紛糾し、ホワイトハウス前ではデモ行進が行われた。
事業体に参画している各国でも状況は似たようなものだった。
しかし、さんざん批判のねたとされていた核融合燃料生産事業は、2080年代に入ると状況は好転し、
2083年に月での核融合燃料生産量を追い越したあとは、毎年の生産量は加速する一方。
批判の声は、評価の声が高まるとともに隅に追いやられてゆき、事業のメリットについて語る輩が次々に現れた。
アリのように利権に群がる行為が始まり、そして投資に対する報酬についての主張が始まった。

*     *     *     *

理沙は、事業団長官から連携されてきた国連総会での映像を眺めながら、
これを現場の人々が知ったらどう思うだろうか、ストライキどころではなく暴動に発展するだろうと思った。
議題は、太陽系開発の今後の方向性についてというのが建前であるが、
明らかに木星資源開発への投資に対する、各国の取り分を主張し合う場になることが予想された。


早速、米国代表が最初のジャブを打った。
「企業連合体のとりまとめ国として、今までの投資に対する公平な分配を主張します」
いかにももっともらしく、公平という言葉を持ち出し、しかしその言葉の裏には親が総取りするという魂胆が見え隠れしていた。
「今の米国からの主張には、非常な違和感を覚えます」
沿海省代表がさっそく反撃に入った。
分裂崩壊した15の中国連合諸国の中でも、比較的政情が安定し経済力のある、上海を首都とする沿海省。
つい10年前までは米国に次いで2番目の拠出国であり、2070年代の半ばに木星核融合燃料生産プロジェクトが
最大の危機を迎えた際には、米国がプロジェクトからの撤退を宣言しようとしていたところ、
沿海省が資金と技術力において貴重なプロジェクト推進国となっていたこともあった。
「プロジェクトからの撤退を宣言しようした事もあったのではないかと。それが今状況が好転したので取り分を主張するとは。
我が国はプロジェクトが苦しい時でも、将来への投資と思って惜しみなく支援しましたが」
「しかし、中核技術は我が国からのものがほとんどですが」
金に糸目をつけていないように見せかけて、実はプロジェクト成功の暁にはすべてを支配してやろうという考えは、
あなたの国の常套手段なのではないかと米国代表は沿海省代表を強く非難した。
米国も、沿海省もどちらも50歩100歩のような、主張の言い合いがしばらく続いた。
議長がようやく2国の間に割って入った。
「ここは世界全体の調整の場です。一方的に意見を述べるのではなく、あるべき姿を皆で議論しましょう」
今この場で議論すべきなのは、過去にどれだけ貢献したかではなく、今の問題をどのような方向性で解決するかです」
核融合エネルギーの実用化と、木星から得られる大量のヘリウム3は世界のエネルギー問題解決に大きく貢献した。
しかし、世界には他にも解決すべき問題は山ほどある。
「今までの経緯から言える事は。。。。」
そこで2国の論争に割って入ったのは、インドだった。
21世紀前半の急激な経済成長と、それに伴い国際的な発言力が増大しているインドは、経済大国でもなく、
または発展途上国として現状に甘んじることもない、独自路線を歩む国として他国に忖度することのない立場を確立していた。
「最初に開発をリードした国が、自国に有利なようにルールを全て決めて、利権を総取りする。
そうしたい気持ちは理解できなくもないですが、利権の独占は、結局のところ自分の首を締める事になるだけです」
奪い合えば足りないが、分け合えば余るということわざを、インド代表はとりあげた。
そこでなぜか沿海省代表は、インド代表の意見に賛同する発言をした。
「私もその意見に賛成です。ですからここで以前提案した、木星を国際共同管理の直轄地するという案について議論したいと思います」


沿海省からの提案に、米国は猛反対し、欧州諸国がやむなくといった感じで追随し、
対してインドと沿海省が意見の上で協力し直轄地構想を推薦すると、東南アジア諸国やアフリカ諸国が追随した。
総会の場は大きく2つの勢力に分かれ、お互いの意見が徐々にエスカレートしてきた。
しかし、外野から眺めている理沙にとっては、不毛で退屈な主張の闘いとしか見えなかった。
理沙は画面右側に表示されている、発言を文字で要約した内容を眺めつつ、再生速度を3倍にまで上げた。
退屈な議論は30分近く続き、そのあと休憩を挟んで評決の時間となった。


「まずは、木星を直轄地とする構想に対しての評決となります」
常任理事国12か国、そして非常任理事国の20か国、合わせて32か国の評決となったが、
さっそく米国が拒否権を示し議論は振り出しに。
しかしながら、米国にもどうにかしてこの件を解決しなくてはいけないという強い問題意識はあるようだった。
「ひとつ、興味深い話があります」
米国代表は、水面下で動いているある動きについて述べた。
「情報元について、ここではっきりと述べる事はできませんが、ある不穏な動きがあります」
その一言に、理沙は一気に気持ちが高ぶった。
画面の隅に表示されている、直子と大佐に理沙は声をかけ、国連総会での映像を共有した。
「現場の職員たち、今のところ人数は1万人になりますが、今回の人員整理にかなりの不満を持っているようで、
ストライキとまではいかなくても、現場蜂起を起こそうとの考えもあるようです」
現場に原因を押しつけようとしている。。。?
確かに、今回実行された人員整理により不満は蓄積され、爆発しようとしていることは事実である。
でも、まだしばらくの間は現場に過激な動きはないと理沙は思っていた。
「直轄地にして、国際共同管理にするのも良い案であると我が国は考えています。でも、慎重に事を進めるべきです」
大国の本音といったところか。
米国と沿海省、インドとアジアの新興巨大国家群。
総会はそこで仕切り直しとなり、次の総会のタイミングは改めて日程調整という事になった。


米国の思惑はどこにあるのか。
その答えは、数日後に再び長官から連携されてきた国連分科会の映像の中にあった。
「核融合燃料生産事業と、輸送事業の分離、そして民間参入を徐々に許しながら、自由特区にする案も考えられると思います」
米国代表のその発言は、いかにも米国議会が好むような案だった。
インドやアジアの新興巨大国家から、さっそく反対の声があがった。
「自由特区という方法で、今までどれだけ失敗例があるのか。ご存じでかとは思いますが」
自由主義で市場にまかせるが、裏で糸を引きながら徐々に自分たちがコントロールしやすいように仕向ける。
しかしその結果は、一部巨大企業による利権の独占、貧富の格差拡大、環境破壊。
それは、沿海省がその案に賛成も反対もせず、静観しているという態度にも現れていた。
彼らもまた、本音では利権を独占したいだけなのである。
「自分たちの都合がいいようにルールを作って、世の中を混乱させるという事にはなりませんか?」
インド代表のその言葉は、新興国側からの本音であった。
分科会での議論は続き、長々とした不毛なその議論を、理沙は再び早回しで眺めた。
決議段階になったところで再び通常の再生速度に戻した。
「自由特区にする案について、まだ結論を出すには早いと思われます。継続審議にするかについて決議を行います」
拒否権を発動した常任理事国はなかった。
32か国のうち30か国が賛成し、アフリカ諸国の中の2か国が態度を保留した。

*     *     *     *

「ちょっと、集まりますか?」
理沙は、中央制御室で当直中だった直子に声をかけ、会議参加が可能か確認したうえで、
理沙含めた管理職3人、加えて行政官含めた4人で中核ブロックの会議室に集まった。
4人ともに、事業団長官から連携された国連での会議状況は既に見ているので、会議内容に改めて触れる必要はなかった。
「私は、すぐには決定しないと思っています。慌てる事もなく静観していればいいでしょう」
直子は、すっかり落ち着き払っていた。
「木星への依存体質は、すぐには変えられないでしょう。直轄地になっても自由特区になってもどうでもいいのです」
それは一体どういうことかと、理沙は直子に尋ねた。
「方法は問いません。ただ、利権を支配できればいいからです。直轄地にすることについて総会では反対しているように見えても、
実はどうなってもいいというのが国の本音です」
直子は腕を組んで、満足そうに笑みを浮かべていた。
表立ってあからさまに言う事はなかったが、その余裕のある彼女の態度がすべてを物語っていた。
自分は軍人であり、いざとなれば軍を介入させることも可能だと。
「なるほど」
自分と行政官、直子と大佐という2つのグループ間で、静かな対立になろうとしている雰囲気を感じ取り、理沙は言った。
「私たちの間での分断は避けましょう。現場を守るのが私たちの役割です。争いで現場を崩壊させたくありませんから」



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