木星での自給自足

地球/月L4のスペースコロニーが完成して3ヶ月ほどが経過していた。既に入居は始まっていた。
大きさは長さが6キロメートル、直径が1キロメートル。
宇宙船とは異なり、中はがらんどうで地球上と同じ組成の大気が充填されている。
建設については、自動化システムを最大限活用し、工期は12年ほどにおさまった。
最大収容人数は5万人ほど。
地球上の110億人以上の人口から比べれば、ごくちっぽけな規模ではあるが、
今後同様のコロニーの建設を進めることで、地球上の人口問題と環境問題に関する解決策になることが期待された。
しかし、入居者は事前に決められており、選考方法と入居の基準についても不透明な部分があり、
資金に余裕のあるごく一部の富裕層の人間が対象なのではないか、将来の値上がりを期待した投機目的なのではとの噂もあった。
そのような地球での喧騒を横目に見ながら、木星でもこれから先の将来に向けての別なプランが動き始めていた。

*     *     *     *

「到着が2週間ほど遅れるらしいわね」
地球での港湾ストライキもあり、新任の行政官が木星に到着するのが遅れるとの連絡は、もしかして幸いだったのか。
身辺整理も終わり、新任の行政官に対するリモートでの引継ぎも粛々と進み、
あとはもう肩の荷が降りたという安堵からだろうか、最近は行政官の表情も晴れ晴れとしている。
「もう私にはやる事もないでしょうから」
作業プラットフォームの旅客ブロックを抜けて、理沙はいつものように昼食を一緒に食べるために商店街に向かう。
定期的に地球との間を往復する連絡船について言えば、停泊する船はほとんどなく、観光客目当ての商店街は閑散としている。
しかしタンカーとコンテナ船に関して言えば、年々輸送量は増加していた。
旅客で賑わっているのは、今では地球と火星の間のみになっていた。
核融合推進の旅客船であれば、2週間程度のお手軽旅行であり、木星ほどの過酷な環境でもない。
マリネリス渓谷はじめ、現在、生活拠点は10箇所になろうとしていた。
ドーム型や半地下式のコロニーは、着々と拡張されていて、人口も増加していた。
木星とは正反対の状態である。
「単なる資源開発と、供給だけの場所ってのもね」
宝の持ち腐れだよね。。。。
窓の外に見える、巨大な宇宙船の姿を見ながら、理沙は呟いた。
「前から思っていることだけど」
理沙は、運ばれてきたスパゲティとサラダにすぐに手を付け、行政官もまた運ばれてきたピザにすぐに手を付けた。
「これって、地球からわざわざ運んできたわけでしょ?」
「まぁ、そうですね。小麦粉とか野菜とか」
「食料生産プラントを動かせば済む話なのに」
ピザを食べることをやめることなく、ようやく飲み込んでから彼は言った。
「政府の命令ですから」
食料生産プラントの停止は、人員削減とセットで決められた事だった。
つい1か月ほど前に届いた政府からの命令に、管理職はみな唖然とした。
人口も減った事だし、輸送船を活用すればどうにかなるのではないか、政府からの通達はそんな一方的な内容だった。
「でも、実は」
行政官は笑みを浮かべ、右手親指と人差し指を小さく丸めていた。
「ちょっとだけですが、稼働させています。完全に止めているわけではありません」
理沙もまた、親指を立てて満足そうに笑みを浮かべる。
さすが行政官、そうでなくてはね。


水と有機物、そして核融合エネルギーがあれば、太陽の力を借りずに木星の住人は生き続けることができる。
それは、タイタン基地で既に実証済みの技術だった。
水があれば分解して酸素と水素を生み出すことができる。
分解のために必要なエネルギーは、核融合エネルギーを利用すればいい。
木星の4大衛星外側の小型衛星は、木星の重力に捕獲された小惑星なので、氷の塊であったり、
岩石の塊であったりするので利用は可能だった。
実際、作業プラットフォームでは、小型衛星のかけらを捕捉して水や有機物を採取し活用中である。
また、4大衛星のうち、エウロパ、ガニメデ、カリストについては大量の水資源確保のための実験を始めていた。
国際協定で、生物存在の可能性があるエウロパについては、環境保全の観点で本格的な開発は禁止されているが、
ガニメデ、カリストについては、行政官は本腰を入れて水資源確保に乗り出そうとしていた。1か月前までは。
「いちおう、予備調査と称してやるべきだと思います」
理沙は管理者会議の場で、まずはガニメデの氷の調査について、具体的なプランを持ち出した。
その案については、管理職の間で意見が分かれた。
政府決定の事に対して、場をかき乱すような反対意見をするのはいかがなものか。
そんな事なかれ主義を主張する者もいれば、身を乗り出して理沙の意見に賛成する者もあり、喧々諤々の議論。
しかし、会議テーブルをはさんで理沙と正面に座っている直子は、なぜか意見を述べる事もなく静かに見つめているだけ。
政府からの反感を恐れる意見に対し、理沙は言った。
「いいじゃないですか。スタディだと言えばいいのです。不測の事態に備えた水資源確保の実験です、と」
会議が終わり、立ち上がったところで、直子から話しかけてきた。
「あまり、喧嘩を売るようなヘンな事はしないほうがいいと思うけど」
理沙は直子の席のそばに座った。
「別に、あたしはごくごく普通の意見をしているだけ」
直子が言いたいことはわかっていた。
自分もかつて10年前には直子と同じような立場であり、軍人のロジックというものは今でも理沙の体に染みついている。
「余計な事はしないほうがいいよ」
お上に歯向かうことについてのリスクについて、忠告したいのだろう。
生かさず殺さずという原則。
お互いに笑顔でいても、心の底ではお互いを恐れているといったところか。
「わかった」
理沙は笑顔のまま、立ち上がって会議室を出た。
行政官は既に先に行ってしまって、その後を追うことはできなかった。
理沙はその後船に戻ると、やがて当直の時刻になったので大佐と交代した。
中央制御室でいつものようにシステムの状態チェックを終えると、直子のさきほどの言葉が再び気になった。

*     *     *     *

成長には限界があり、無限の成長というものはありえない。
人類の将来に対して楽観的な見方がほとんどだったその頃、その見方に疑問をぶつけるようなその考えは、
当初は世の中から相手にされなかったが、20世紀後半にはその予言は現実のものとなり、
21世紀に入り環境問題が深刻化すると、改めてその考えにスポットライトが当てられることになった。
地球は有限の世界であり、無限に成長することは不可能であるという事が再認識され、
地球環境との共存へと方針転換された。
その間にも、気候変動は年を重ねるごとに過酷になり、環境団体の行動もまた過激になり意見はヒートアップしていった。
環境破壊の推進役である先進国と、被害だけを被っている発展途上国との間では分断が生まれ、意見は対立した。
(とはいえ、急激な気候変動の真の原因が先進国の経済発展だけではないという事は、のちほど分かった事だが)
矛盾を抱えながらも、人類は新たな資源を求めて宇宙に乗り出し、太陽系の開発に着手した。
今や核融合資源の供給基地としての立ち位置を確立した木星。
しかし住人たちは、混沌とした欲求不満を抱えながらも、次の時代に向けて模索を始めていた。


非番の時には、理沙はできるだけ船内の設備を散策して現状把握をするように努めていた。
居住区画の整備がいったん完了すると、次に環境整備に着手したのは生産区画だった。
小惑星の鉱物や、有機物を原料として、自動化工場が構造材や様々なパーツの原材料を生産し、
外部からの部品供給なしに、船自身の修理も行う事が可能な生産区画。
いわば、体の細胞を修理し、新しい細胞へと更新を行うことができる、新陳代謝のような機能である。
将来、技術革新により新しい推進システムの技術が確立したならば、推進システムのアップデートも可能である。
「あとは、移住計画に正式にゴーサインが出るだけなんだよね」
まだがらんとして広々とした自動化工場のスペースで、理沙は一人つぶやいた。
「ねぇ、直子ちゃん」
管理職会議が終わり、今回の会議でも結局考えがまとまらなかったところで、
理沙から声をかけられ、直子はあまりいい表情ではなかった。
「何でしょう?」
軍管理職の会議が15分後に予定されていると言うので、理沙は彼女と一緒に次の会議室へと向かう事にした。
「前にも訊いたことだけど」
事あるごとに理沙は、いったいこの船はいつ恒星間の旅に出発するのかと直子に尋ねていた。
そして今日もまた思い出したように同じような質問をした。どんな反応をするのかは分かっているのだが。
「具体的な予定は未決定です。私は船を命令通りに作り上げて、環境整備をする。そして状況を上位層に報告する」
会議室のドアの前に到着し、直子は理沙の方に振り返った。
「まだ、人選すら始まっていないのよ」
「それよ、人選よ」
理沙は、当たり前のことを、まるで今になって気づいたかのように言った。
「船だけ先に作って、人選はこれから考えますってのは、よくある事なのかしら?」
結局2人の会話はそこまでだった。
ちょうど時間となり直子は会議室の中に入っていった。
まぁいいか。
理沙は行政官に連絡し、15分後に居住区画で会う事を約束すると、居住区へと向かっていった。



「サンプル版ストーリー」メニューへ