人類生き残りの確率
「予想していた通りですが」
理沙は管理職会議の冒頭で、先日完成し入居の始まった地球/月L4のスペースコロニーの話題をとりあげた。
「入居者選定で揉めているようです。そして、さらにやっかいな事が。皆さんもご存じの通り」
ニュース映像とともに、急激に増加するグラフ表示。
画面を見ながら皆はしばらく黙ったままである。
「新型感染症で地球上はどこもロックダウン状態です。私たちにとっても死活問題です。作業プラットフォームのような密閉空間では
ちょっとした感染でも一気に拡大します。ということで、木星/地球間の旅客は先日全面停止しました」
ワクチンの開発は急ピッチで進められているものの、ここで先進国と発展途上国の格差問題が再び勃発した。
このような感染症問題は、数十年に一度は必ず発生するもので、しかも、製薬企業が経営不振になろうとしている頃に、
不思議と自然発生する事から、企業のでっちあげだという噂もささやかれていた。
発生源の追及にあたっては、国同士の醜い水面下での争いもあった。
「本当に、迷惑きわまりない」
作業プラットフォームAの指揮官からのその発言に、皆は無言で反応しなかったが、表情ではこう言っているように見えた。
どこぞの国が、新しい細菌兵器のテストで作ったんじゃないのか?
「まぁ、冷静になって対処しましょう」
理沙は、事前に関係各所に調査を依頼しとりまとめた、自給自足の可能性についてまとめた資料を画面表示させた。
「3つの作業プラットフォームには、水耕栽培や化学合成で食料を生産できるプラントがあります。炭水化物やビタミン、
タンパク質に関しては、今木星にいる職員すべての需要をまかなえる能力があります」
職員の人数は、つい先日まで行われていたリストラで数分の一まで縮小したが、不幸中の幸いか、
そのおかげで食料の需要は、食料生産プラントの生産能力内に見事におさまってしまった。
「当面は、地球からの食料補給は続けられるとの事ですが、最悪の事態になっても、私たちは生き延びる事が可能です」
そして、理沙は別な資料を開いた。
「もうひとつ、これから先の私たちに影響するような事案があります」
* * * *
その会議の10日ほど前、直子からようやく受け取ったその計画書を、理沙はその日の当直時間内で一気に読み終えた。
「かなり本気なのはわかりました。この船の計画段階どころか、それよりも前からなのね」
「言い方がちょっとヘンね」
直子は疑うような目つきで直視している。
「姉さんも多少は関わっていたわけでしょう?」
お互いに、同じ穴の何とかといったようなものだろうか。
そう言われると、理沙もただ笑みを浮かべる事しかできない。
「新型揚陸艦の基本設計にはかかわってきたけど、いったんは中断して、そのあとはお蔵入りになると思っていたのが、
まだしぶとく生き残ったという事ね。そしてこの計画書に繋がるわけか」
計画書の冒頭から、ネガティブな未来予測が書き連ねられていた。
膨大なデータを収集し、綿密に練り上げられたプランであることはよくわかる。
そして結論はたった一言で要約できるほどである。
曰く、人類は地球上であと100年程度しか生き続けられない、と。
「姉さんがプランをまとめる役ならば、私は技術的に可能であることを実証する役かしら」
理沙が木星の資源開発に先頭に立って取り組んでいた時に、直子は核融合推進の宇宙船を実用的な形に仕上げる、
実行部隊で先頭に立って働いていた。
お互いに、表と裏のような関係である。
「どうして、今この時に見せようと思ったわけ?」
直子は、会議室の時計を見て、ちょうど交代時刻になった事を確認し立ち上がった。
「前に言ったでしょう?その時が来たらきちんと説明するから、って」
「すべての計画は、このプランに繋がっています。2030年代からの火星開発も、2040年代からの木星・土星探査も。
2060年代になると木星の核融合燃料資源開発が本格化して、技術的なブレークスルーもいくつかあったおかげで、
太陽系開発は一気に進みました。でも、人類の生活を豊かにすることが目的ではないのです」
理沙は、先日完成し入居の始まったスペースコロニーの映像を、ディスプレイ上に表示させた。
「10年と少々でスペースコロニーが完成しましたが、居住人口は10万人。たったの10万人です」
入居者たちが広々としたコロニーの中を眺める、その映像を理沙もまたしばらく眺め、
再び会議室の管理職たちに目を向けた。
「これが何を意味するか。地球上では入居者応募に関連して様々なトラブルが発生していると聞いていますが、
大々的に知らされていません。公平な抽選で行われていると公には言われています。
実際に抽選は行われていますが、事前に当選者は決められています。これが何を意味するか」
会議テーブルのちょうど正面に座っている直子に、理沙は目を向けた。
直子は小さく頷いた。
「生き残りの選定に入っているということです。これを皆が知ったら世の中パニックになるでしょう。
そして、今回の新型感染症の件。あまりにもタイミングが良すぎるというか」
会議室の面々も、徐々にそわそわし始めてきた。
お互いに顔を見合わせする者もいた。
自分の故郷の国の政治家たちの思惑を気にしているのだろうか。
「でも今回の件について、私は人為的なものがあるとは考えていません。たまたま今回の感染症が広まったのだと思います」
理沙は、生き残りプランへと話題を戻した。
「スペースコロニーもまた、単なる脇道でしかありません。本題はこちら、他の恒星への移住です」
50年以上かけて磨き上げられてきた、核融合推進システム。
月や火星への植民から始まり、タイタン基地でその技術を完成させた、閉鎖空間での完全自給自足システム。
それらに加えて、スペースコロニーの小型版として作り上げられた宇宙船の居住区。
「星の選定は始まっています。数光年から数十光年の範囲で、人間が居住可能な惑星をもつ星はいくつか発見されていて、
惑星に居住が難しくても、コロニーを作って恒星のまわりに住むことはできるでしょう。
とりあえずは、4光年先のプロキシマBが最有力候補です」
最初の調査はどのように行うか、探査機を飛ばした接近探査プランが資料に具体的に示されていたが、
太陽系内の探査と根本的に異なるのは、結果を得るのに数年単位では無理という事である。
数グラムの、小さくて軽い探査機であったとしても、強力な推進システムが必要となり、
プランの中では、強力なレーザー発振器を地球上に配備して、探査機を光速に近い速さに加速する方法について触れていた。
「大容量のレーザー発振器をどこに配備するのかという点で、まだ計画が具体化していないようですが」
理沙は、次のページを示す前にひと呼吸おいて、会議室の皆の反応をうかがった。
そんな理沙を直子がじっと見ている。
「ここに、私たちの出番があると思っています。私たちは非常に有利な立場にいると思っています」
* * * *
「そういう事なんですね。なんだか面白い話になってきましたが」
行政官は、さきほどの会議での理沙の話に喰いついていた。
「でも、やり方を間違えると間違いなくコレですよ」
彼は、首のところに手を当てる真似をした。
「もちろん、それはわかっています」
理沙は、今まで堪えていた笑いを、行政官の前では抑える事ができなかった。
とにかく、笑いが止まらない。
「笑い事じゃないですよ」
あいかわらず閑散としている旅客ロビーで、2人は窓の外を眺めながら話の続きをした。
「あと10日で次の行政官が到着しますが、今回のプランはあなたに主担当になってもらいたいと思っています」
「ただひとつ、気になる事が」
行政官は、理沙に問いかけた。
「今回のプランを気に入らない人がいると思います。特に軍側は」
理沙の脳裏には、真っ先に思い浮かぶ人がいた。
そのことを承知の上で、理沙はあえて会議の場で問題提起をしたのである。
うまくいくかどうかの確信すらない。
「もちろん」
理沙は立ち上がり、宇宙船へ戻るために連絡通路へと向かっていった。
そのときちょうど目の前を、核融合燃料を満載して地球へと向かうタンカーが通過していった。
その翌週、核融合ラムジェット機が完成し、テストフライトの準備が完了したとの連絡が理沙の元に入った。
テスト実施は、後任の行政官が到着してからということで、まずは先だって現行政官がテスト実施責任者に任命された。
「さて、いよいよですね」
画面越しに、理沙は行政官といっしょに核融合ラムジェット機の推進システムテストを見守る。
「とにかく、よろしく頼みます」
理沙は軽く頭を下げた。
「それと、先日の件も」
直子と大佐も遅れて会議室に入ってきた。
やがて画面が切り替わり後任の行政官が会議に参加してきた。
会話するのに今ではほんの10数秒のタイムラグしかない。
その距離感が気持ちを引き締めたのか、現行政官の声には少々焦りが感じられた。
「これより、着任直前の最後の会議を始めます」
10秒少々待って、画面の向こう側の行政官が頭を下げるのが見えた。