事業プランまとめ
技術リーダーがとりまとめた資料が画面に表示された。
「2ヶ月ほどかかってしまいましたが」
説明の前に彼はそう前置きしてから、ここ数か月の作業状況について述べた。
核融合ラムジェット機の最初のテストはいちおう成果をおさめたが、
パイロットに身体的/精神的負担が大きく、まだまだ改善が必要だという事がわかり、
対策案がまとまったのがつい先週の事。
いくつものタスクをコントロールし、彼が多忙である事について、管理職達の間からは特に異議はなかった。
一同を見渡して、技術リーダーは資料の説明を始めた。
[太陽系近傍の恒星探査に関する事業計画について]
太陽系開発の次の目標として、さらに遠い深宇宙への探査が具体的な計画対象となっているが、
さらに遠く、恒星間宇宙への探査および移住が手の届く範囲になってきたため、具体的なプランとして策定するものである。
なお、当プランは今後さらなる詳細化が必要であり、具体的なスケジュールについても詳細プラン作成時に精緻化する。
[背景と必要性]
地球総人口はいまや120億人に迫ろうとしている。
しかしその増加のスピードは減少しており、22世紀になる頃には減少に転ずるものと予想される。
食料とエネルギー需要については、しばらくの間は増加傾向にあると見込まれているが、人口増加カーブが降下に転じるとともに、
同様の降下カーブをたどるものと予想される。
そのような状況の中で、恒星間宇宙へ進出することについては、その意義も含め疑問の声が上がっていることは事実である。
太陽系の開発より、地球環境の改善を進めるべきだという意見もあり、反対意見はいまだに根強い。
そのような意見もある中、当プランは生き残りのためのプランとして策定された。
人類がこの先も生存を続けることができるのかどうかについて、確率論的なことを述べる事はできるが、
人類のこれから先の生存を不確実としている要素としては、以下が挙げられる。
●国家間の利権の複雑化。動物的本能がその根本にあり、ブレーキがかからない状態になりつつある。
●環境問題。一時は改善の兆しが見られたが、企業の利権に押し潰され、改善の動きそのものが停滞した。
●押し潰される民主化。草の根ネットワークはまだ生き続けてはいるが、絶望論に押し潰されて虫の息状態である。
●凶暴化する異常気象。経済活動は破壊され、環境問題は深刻化する。
私たちは、地球外に生活する者として、人類の今後の生き残りにどのように貢献可能かについて考察した。
恒星間宇宙への移住は、あくまでも選択肢のひとつであり、最善の選択であるとは考えていない。
何もしないよりは、可能な事からどんどん進めるべきだというのが私たちの考えである。
[事業プラン]
以下の段階を踏んでプランを進める。
1.調査段階 : 無人探査機による調査。
2.計画段階 : 調査結果にもとづく、具体的な移住先の検討と移住に向けた事業化計画。
3.準備段階 : 事業化計画にもとづいた移住の準備。宇宙船の建造。
4.実施段階 : 移住の開始と、実施にともない発生する問題/課題の整理と改善、次計画への反映。
[調査段階に向けた準備]
調査段階開始に向けて、以下の準備を進める。
●探査機について
レーザー光により推進する、薄膜帆船を建造する。
数グラムの超軽量のものではあるが、強力なレーザー光を使用し光速に近い速度まで加速させることが可能である。
大量の探査機を目的の恒星に送り込み、継続的に恒星に関する調査を実施する。
●レーザー光照射設備に関して
大出力のレーザー光を照射可能な設備を建設する。
レーザー光帆船を光速に近い速度に加速するためには、別紙仕様のレーザー光照射設備が60基必要と見積もっている。
設備に必要なエネルギーは、核融合エネルギーも選択肢のひとつではあるが、
木星の高エネルギー帯に蓄積されている、莫大な荷電粒子エネルギーから得られる電力の利用も検討する。
具体的な方法については、実験レベルでは確立しており、装置の大型化、大容量化を今後進める。
●探査対象とする恒星について
10光年以内の、太陽系近傍の恒星を調査の対象とする。
優先順位として高いものと認識しているのは、プロキシマ・ケンタウリ星系、バーナード星系である。
両者ともに、レーザー光帆船で数十年程度で到達が可能である事、惑星をいくつか保持しており、
人類の生存が可能な惑星が含まれる可能性が高いということが理由である。
[別紙資料]
●地球人口の推移と今後の予測(国連食料農業機関(FAO)まとめ)
●気象予測:2090~2150(世界気象機関(WMO)まとめ)
●レーザー光推進帆船仕様:Draft版(Space Tecnorogies United(STU)技術開発部まとめ)
●エネルギー白書:2090年版(米国エネルギー省まとめ)
その後、レーザー発振設備の建設についての短い動画が披露され、
会議テーブル中央の立体ディスプレイにはレーザー発振設備の立体映像が登場した。
長い筒にずんぐりとした発振器モジュール、そしてラジエーターパネル。
シンプルな形の実用性一辺倒のデザインだが、それを見た行政官の目つきは、徐々に変わってきた。
すぐそばに座っている理沙は、彼の表情の変化をしばらく観察していた。
「もう、出来上がったようなものだね」
好意的とも受け取れる行政官の発言を、技術リーダーは少々予想外といった感じに受け止めた。
「そうですか?」
行政官は頷いた。
そしてレーザー発振設備に関して彼にいくつか質問をした。
まだドラフト版設計であることを理由に、技術リーダーはまだ確約出来ない部分はあると条件をつけたが、
「おそらく、なんとかなると見込んでいます。もちろん、予算がつけばの話ですが」
と、実現性は十分にあると述べた。
その後、管理職からいくつか質問があり、説明会は終わった。
理沙はすぐに技術リーダーのそばに行くと、彼の肩を軽く叩いた。
「最初の一歩は踏み出したわね」
少し離れたところで、直子はそんな2人のことを眺めていた。
やがて彼女は席を立ち上がり、会議室を出ようとしたところで再び振り返り、理沙と技術リーダーのことを眺めた。
会話の内容まではよく聞き取れなかったが、2人の行動が気になっていた。
* * * *
同じ頃、太陽/地球L3では別な動きが始まっていた。
以前、巨大宇宙船が建造されていたその巨大ドックは、しばらくの間もぬけの殻状態だったが、
数か月前に、ドックの蓋が再び閉じられた。
数キロメートルある太陽光発電パネルが、再び稼働を始めたが、
傍から見た限りでは何が始まっているのかは全くわからない。
作業開始の号令もなければ、かつて直子が行っていた定例的な上官への作業報告もない。
全てが自動化されたプラントが、静かに、着々と事を進めているだけである。
* * * *
「ひとつ、気になる事が」
技術リーダーは、理沙といっしょにプランを策定した日々を改めて振り返り、
理沙の行動力と、彼女が今まで築き上げた膨大な知識、そして関係各所とのコネクションの深さに感心させられたが、
これから先、足を踏み出すにあたり一抹の不安があった。
「実現性は十分あると思います。技術の蓄積もあるわけで、その点では不安はないです」
「では、何を気にしているの?」
理沙はいつものように落ち着き払っていた。少し見上げるような目つきで、口元には笑みが。
「勘ぐられたりしないかという事です」
腕を組んで、しばらく理沙は考えていたが、
「それはあるでしょうね」
そして、軽く手を振って、連絡通路の方へと向かおうとした。
理沙はそこで何かを思い出したかのように、振り返った。
「そうだ、言い忘れていた事が」
再び技術リーダーの元に戻り、理沙は彼の肩を軽く叩いた。
「あなたを今回の案件の推進役に任命します。さきほど行政官と相談して了承されました」