決意新たに
実施主任と2人で桜を眺めながら歩く。
今年もまた桜の季節になったのかと実感する。
宇宙船の中の生活環境は日々改善されてはいるものの、木星の閉鎖空間と地球上では感覚がまったく異なる。
「いいわね。。。」
「いいですね」
お互いにそんな言葉しか出ない。
交通機関はできるだけ使わず、2人はひたすら歩き続ける。
人工的でない重力を両足で感じ、調整されていない空気を吸う。
風と太陽光をじかに浴びる。
ワシントンの官庁街を抜けて、郊外の少し外れたところにある墓地に到着した。
毎年欠かさずにやって来ているこの場所だが、木星での仕事のために2年ほど墓参りをすることができなかった。
理沙は墓の前に立ち、静かに目を閉じた。
すでに10年近い時が流れていたが、ここにやって来ると様々な思いが蘇ってくる。
実施主任もまた、彼女から少し離れたところで同じように目を閉じた。
「ヴェラ、あなたの分まで頑張るよ」
理沙は小さな声で呼びかけた。
理沙は目を開けて振り返り歩き始めた。
実施主任もまた彼女の後をついて歩き始めた。
もと来た道を引き返し、2人は官庁街の方に向かってゆく。
* * * *
10年前のあの日。
地球へ帰る[ミスター核融合]を見送ったのはつい昨日の事。
理沙の木星での仕事も終わりが近づき、部下への仕事の引継ぎが始まっていた。
改良型原子力ラムジェット機の受け入れを見込んで、地球では核融合燃料輸送用タンカーの準備が始まっていた。
全てが改良型原子力ラムジェット機の成否にかかっており、
今日もまたSTUとの進捗会議を終えると、もう後戻りできないところまできたことを実感し、気持ちを引き締めた。
とりあえず食事をしようと作業プラットフォームAの商店街を歩き、レストランに入ろうとしたところで
窓際席の一人の女性に目が留まった。ちょうど同じタイミングで彼女も顔を上げていた。
「あら」
理沙は彼女に近づいた。近づいて見たがやはり間違いない。
「どうしてこんな所に?」
開発局退職後は、お互いに時々連絡を取り合うことはあっても、直接会うのは数年ぶり。
彼女もまた立ち上がり、理沙はヴェラとの再会を喜び、抱き合った。
「10年ぶり、だよね」
ヴェラが食事を終えると、2人は店を出て、歩いて1分ほどのオープンカフェに入った。
昨日も[ミスター核融合]の酔いを覚ますために店に立ち寄ったが、今日も再び店長と顔を合わせることになった。
「すっかり馴染みの店なんだね」
「ほとんど毎日来ているからね」
理沙はコーヒーを一口飲み、通りの何軒かの店を指差し、
「来るたびに風景が綺麗になってきているし」
理沙は軽食を注文し、待っている間はお互いの身の回りの他愛のない話が続いた。
ヴェラの娘はすでに10歳になっており、多感な年頃。
仕事の関係でほぼ毎日帰宅が遅く、オンラインで常に会話しているものの、面と向かっての接触は少なく、
娘とは意見が対立することもしばしばあり、夫と一緒に娘の対応には悩んでいた。
「そんな悩みがない理沙が羨ましい」
「そんな事ないよ」
理沙も大佐の孫娘と同居しているが、年齢が実際の孫ほどに離れているため、家族のいない理沙には孫娘の心境はわからない。
自分が長い時間家を空けていることを、孫娘はいったいどう思っているのだろうか。
「ところで」
理沙はようやく思っていたことを切り出した。
「これからどちらへ?」
ヴェラは少しうつむいて、言葉を選ぶような感じで言った。
「ちょっと、タイタンまで」
理沙はしばらくの間真顔でヴェラを見つめる。
「そうなんだ」
真顔で見つめられて、ヴェラはしばらく言葉が出なかったが、
「どうかしたの?理沙」
しっかりと目を見つめたまま理沙は言った。
「寒いよね、あそこは」
再びヴェラは言葉が出なかった。
理沙は真顔でしっかりと見つめる。
「くれぐれも、風邪ひかないようにね」
理沙は笑顔を見せた。
拍子抜けしたヴェラは、理沙が何を言っているのか理解できなかったが、やがて2人は大声で笑い始めた。
翌日、ヴェラの乗った定期船が土星に出発した。
理沙は会議に参加するために出発を見届けることはできなかったが、出発時刻に自分の作業端末から定期船の出発を見届けた。
若干の心残りはあったが、世の中知らないほうがいい事もあるよ、と理沙は自分をなだめた。
その時がヴェラとの最後の直接の会話となった。
理沙は公私ともにその後多忙となり、地球と木星の間を再度往復し、核融合燃料の本格生産の開始を見届けた時には、
ヴェラのことを忘れかけていた。
開発局を退職して軍に戻り、再び仕事に集中していたときに知らせはやってきた。
彼女の遺体と対面できなかったことは、ある意味幸せだったのかもしれない。
タイタン基地の行政官から遺品のメモ帳を渡され、内容を見てショックを受けるとともに、自分に突き付けられた課題の重さを実感した。
昔彼女といっしょに取り組んでいた、自動化システムの課題と重大な問題点を突き詰め、レポートにまとめ、
地球に戻り上司に重大インシデントとして報告する段取りができていたところ、事は思った通りに進まなかった。
木星で事故に巻き込まれ、生命の危機に直面し、瀕死の重症で地球に帰還したものの、
取りまとめたレポートは失われ、事故を引き起こした張本人として理沙は犯罪者として扱われ、全てを失った心境となった。
[自分の信念だけが最後の砦でした]
理沙は軍人としての心構えを仕込まれた、母校の講堂で士官の卵たちを前にして語った。
[私のような被害者がこれからどれだけ発生するのか。発生しても明るみに出る事はないでしょう。
私が生き残ったことが不思議に思えます。もしかしたら私だけが解答を知っていると考え、親友は私にすべてを託したのでしょう]
そして士官の卵たちを見つめ、来賓の軍関係者と政治家たちを見つめて言った。
[自分の信念をしっかりと保ち、部下を導き、この困難で未知の未来へ向かって歩み続けてください。
時には訴えられて軍法会議にかけられることもあるでしょう。でも、そんな事は大したことではありません。
軍法会議にかけられたとしても、別に死ぬわけではありませんから]
一瞬、場内はしんと静まりかえったが、やがてどよめくような笑い声が沸き上がった。
これでよかったのだ。
理沙は自分の心の中にあった靄のようなものが晴れていくのを感じた。
* * * *
開発局本部の前で、2人は立ち止まった。
深呼吸をしてから、理沙は実施主任に言った。
「さて、行きましょう」
前日に、事業団長官と非公式に会話をして、概略は伝えているものの、かなりタフな会議になることが予想された。
自分たちが持ち込む提案は、果たしてまともに扱ってもらえるのか。
地球へ向かう宇宙船の中での、実施主任と何度も交わした議論のことを思い出した。
「ムダかどうかは、やってみないとわからないでしょう」
そこでようやく理沙は提案の背景にある真の目的について実施主任に語った。
開発局本部の広いロビーを歩き、壁面ディスプレイの映像を、立ち止まって眺める。
そして理沙は呟いた。
「未来へと飛躍する人類のために、なんて、笑わせてくれるわね」