全否定される
事業団管理職との雑談はしばらく続き、理沙も実施主任もそろそろ前段の会話に飽きてきた。
しかしこれは元々理沙が予定していたことで、地球の現状をいろいろと遠回しに尋ねる中で、
相手のスキを伺いつつその懐に入り込んでゆくという策略だった。
「まぁ、とにかく木星の皆さんの力がなければ、地球経済の回復は5年は遅れていたと思いますよ」
長官の片腕である技術責任者は、木星の核融合エネルギー資源の助けで救われたことについて述べた。
新型感染症による2年間の経済停滞は、南北間の経済格差をさらに拡大させることにはなってしまったが、
少なくとも北の先進諸国は生き延び、感染症がひとたび落ち着いたあとは急速に回復した。
「本当にそう思ってますか?」
理沙のその問いかけに、会議テーブルに向かい合って座っている事業団の管理職達はほぼ同時に頷いた。
単なるパフォーマンスであったとしても、会議の冒頭の雰囲気としては悪くない。
では早速、と実施主任が理沙の会話を引き継いで説明を始めた。
「木星の次の活躍のためのプランです」
会議テーブル中央の立体ディスプレイに、木星の映像が登場した。
実は、今日のプレゼンテーションの3ヶ月前に、理沙は事前に事業団長官には今日の資料のドラフト版を渡していた。
渡して2日後に、さっそく長官から返信があった。
「なかなか良い案だと思いますよ。太陽系外進出の事前準備としての探査計画については実施の前段で行き詰っていました」
淡々と自分の感想を述べる長官の映像を、理沙は冷めた目で見ていた。
通りいっぺんの感想のあと、少し間をおいて、再び長官は話し始めた。
彼の次の言葉に、理沙は少々期待しつつ注意を向けた。
「先日の、あなたからの問い合わせというか、意志表示には私自身も少々戸惑っています」
確かに、きちんと文面を残していないのだから無理もないと理沙は思った。
単なる口約束なのだから。
「事業団側の人員体制を整備する事に関して、あなたはしっかりと成果を出してくれた。この点については認めます」
長官の言い訳のような発言は、5分も経たずに終わった。
プレゼンテーションに同行することを理由に、理沙は地球に戻ることを決めた。
木星環境の特徴として、強烈な磁場により形成されている高エネルギー帯について、実施主任は説明した。
20世紀の後半から継続的に行われてきた木星探査により、木星をとりまく高エネルギー帯の働きにより、
木星の北極と南極には巨大なオーロラが輝き、その強力なエネルギーの利用については、
ヘリウムと水素の核融合燃料資源とともに、長い間活用方法が模索されていた。
高エネルギー帯は挙動が不安定で、定常的にエネルギーを利用することは難しい。
2060年代から、木星の南北を通る極軌道周回衛星による調査により、高エネルギー帯のエネルギー分布が明らかになり、
試験的に電力エネルギーを取り出すことも始められた。
「ただし、商業的に利用するには非常に問題がありました。間欠的にしか電力が取り出せないのです」
例えてみれば、雷の中に電源ケーブルを突っ込んで、電力を得ようというものである。
一瞬のパルス電流にしかならず、しかも受け止めた電力を保存することも難しい。
「そこで、1つの設備で取り出すのではなく、複数の設備が連携して取り出すことを考えました。総数60基の電力設備になります」
木星の立体映像に、60基の極軌道衛星が登場した。
全てが木星極軌道を周回しながら、定期的に高エネルギー帯を通過し、
映像の60基の衛星各々のエネルギーレベル表示は、高エネルギー帯を通過するたびに上昇していった。
「間欠的な電力しか取り出せないという問題は、高性能のキャパシタに電力を蓄積することで解決可能となります」
電力を蓄積した衛星の1つが拡大表示された。
衛星にはレーザー発振設備が取りつけられた。衛星は太陽とは反対の方向に向けられている。
強烈なレーザーが60基の各衛星から発射され、木星から離れたある一点に集中した。
「縦横1メートルの薄膜レーザー光帆船を、強烈なレーザー光により加速させます。設計上、ほぼ光速加速が可能です」
レーザーの焦点部分から次々にレーザー光帆船が出発してゆく。
理沙は、説明する実施主任と、テーブル反対側の管理職たちを交互に眺めた。
表情を見る限りでは、反応は悪くはないように見える。
探査の最初のターゲットとなる、プロキシマB・ケンタウリへの探査のタイムスケジュールが示された。
プロキシマB・ケンタウリ系については、生命の生存可能な星系として長年注目されており、
タイムスケジュール上では、最初のレーザー光帆船探査機は出発から10年後にプロキシマ・ケンタウリ系に到着。
探査データが地球に届くまでに約4年。
その後移住船計画の実施判断へと推移する事になっていた。
「移住計画については、当プランの範疇ではありませんが、移住のためのプロトタイプ宇宙船は既にあります」
管理職の一人の表情に、笑みが浮かんでいるのに理沙は気がついた。
よく見るとさらに一人、そしてまた一人。
「いや、失礼」
理沙の正面に座っている、技術責任者は少々申し訳なさそうな表情で言った。
「既に作ってしまって、その後何の進展もないと言いたい気持ちはわかります」
巨大宇宙船の建造にあたり、意思決定に闇のような部分があることについては、皆が承知している事である。
「とにかく、現場としては上位層の命令に従って作り上げたわけで、正直なところ、事業団側も真意については知らない」
そうでしょうね。理沙はそう言うと、
「あとは、将来どうしたいかの意志の問題だと考えます」と、理沙なりの意見を述べた。
プランの説明は終わった。
会議はいったん中断し、昼食後に再開することになった。
* * * *
事業団側から、また別な担当者が会議に加わってきた。
もともと技術畑を歩んできたというその役員は、話し方は穏やかで理沙も実施主任もリラックスして会話することができた。
彼は、午前中のプレゼンテーション資料の内容を既に把握しているのか、内容について2人が改めて説明する必要はなかった。
「非常に良いプランだと思います。まだ解決すべき課題はありますが、あなた方の技術力で解決可能かと」
賞賛とも受け取れる言葉は、そのあと10分ほど続いた。
「私達からもお見せしたいものがあります」
資料を探すのに彼は少々手間取っていたが、やがて会議テーブル中央には太陽系全体の映像が表示された。
太陽を周回する、地球よりも内側の惑星軌道がクローズアップされた。
「太陽/地球L3です。ここに、今でも限られた人しか知らない巨大設備があります」
巨大宇宙船が建造されたときに使用された、巨大なドックの映像が表示された。
小惑星をまるごと巨大宇宙船建造のために利用し、掘りぬいた巨大な穴はそのまま建造ドックとなり、
これらはすべてMetal-Seedシステムにより作り上げられた。
理沙が注意を引かれたのは、建造ドックから惑星軌道に沿って延々と左右に伸びているソーラーパネル群だった。
「左右に5キロ、差し渡し10キロメートルのソーラーパネル群です。宇宙船建造のためのエネルギー供給に使われました」
エネルギー総出力は、大規模核融合発電所に匹敵するものである。
巨大宇宙船建造のために建設された、巨大なエネルギー供給設備。
まだ謎の部分が多いが、ここでさらに謎が増える事になるのか。
そんな事をあれこれ考えている理沙に対し、役員は早速一発ジャブを打ってきた。
「これだけのエネルギー供給が可能なので、ここにレーザー発振設備を作るのが理にかなっています」
そのあと彼は、自身の考えている事のメリットについて淡々と語り続けた。
太陽エネルギー密度は木星軌道よりも格段に高く、パルス電流ではなく定常的で安定した電力が確保可能であり、
理沙たちの提案と比較して、技術的なハードルがはるかに低い。
「具体的なレーザー発振設備の絵は、まだありませんが」
彼はそのようにことわりを入れたが、理沙と実施主任に対しての遠慮は、今は全くなかった。
「私は、こちらの案の方が実現性が高いと考えますが」
* * * *
理沙は、3日後に再び管理職と会合する約束を交わした。
会議の最後で、梯子をはずされたような心境に突き落とされてしまった。
実施主任はラウンジのシートでぐったりとしている。
しかし理沙にとって、今日の会議の展開はまだ想定の範囲内であり、動揺することはなかった。
「まぁ、同じ組織内とはいえ、あたしたちを見下しているという事は今日よくわかった」
そして声をあげて笑った。
「そんなに楽しい事ですか?」
重苦しい表情の実施主任の肩を、理沙はぽんと軽く叩き、
「楽しまなくちゃ」
プライドは、持っているに越したことはないが、頭ごなしに相手を叩くためのツールというよりも、
じわじわと、例えればブルドーザーのように腹の底から湧き上がる、強力な力として利用するのが理にかなっている。
「さて、次の作戦考えましょう」
その日の夜は、とりあえず気分転換に2人で外出することにした。
ワシントンの中心街から少し外れた場所の、落ち着いた雰囲気のレストランでのディナーを2時間ほど。
そのあとはタクシーで夜の風景を眺めながら走る。
ホテルに戻ったのはちょうど日付が変わる頃だった。
2日間かけて資料を用意し、再び管理職との会議の日となった。
資料はあらかじめ会議前日の昼には送付を終えていたが、すぐに読んでもらう事は期待していなかった。
なので、先日会話した役員の開口一番の発言に理沙は感心させられた。
「資料は拝見しました。30分ほどで一気に読ませていただきました」
「いかがでしょうか?」
役員は、理沙の問いかけには直接答えずに、自分のすぐ隣に座っている3人のメンバーを紹介した。
「今日は、太陽/地球L3の開発タスクチームのメンバーも連れてきました」
これほどまでに自分の予想が当たるとは、理沙自身も思っていなかった。
じわじわと外堀を埋めて、追い込んでゆくというのが彼の性格なのだろう。
今日は自分の手下も加えて、ダメ出しの指摘をという事なのか。
かなりタフな会議になりそうだと、理沙は気持ちを引き締めた。