戦いの爪痕

「明日、ちょっとこの近辺を散策してみようかと」
理沙がそう言うと、元上司であるジェシーの祖父は、
「それもいいだろう」
そして、言った。
「かなり変わってしまっているから、あなたにはちょっとショックかもしれないが」
このところ数年間の出来事については、理沙も日々のニュースで断片的には知ってはいた。
特に昨年から今年にかけては、世界的な新型感染症の影響で人々の生活習慣は激変していた。
外出することを国から制限されて、不自由な生活を強いられていた事については、
ジェシーから時々届くメールで知らされていたし、
れいなと美紀からも、千葉の店の営業時間が制限されて商売が全く成り立っていないことを伝えられてた。
「とりあえず、実際にこの目で見てこようかと思っています」
祖父は頷いたが、不安な気持ちが表情に現れていた。

*     *     *     *

翌朝、ジェシーと2人でに車で外出した。
「今はこんな感じだけど、去年の今頃は道路はがらがらだったよ」
通るのは、生活インフラを支える物流関係や、軍や警察関係の車のみ。
しかも、物流関係の車は主に夜間に移動しているので、昼間の道路は閑散としていたようである。
「息苦しい部屋の中にいるよりも、閑散としてる屋外にいたほうがずっと健康的だと思っていたよ」
日々の生活は徐々に戻りつつあった。
しかし、2年前の状態と完全に同じになったわけではなかった。
2人はまず、昔よく通っていた、近所のショッピングモールのあたりに向かう事にした。
ショッピングモールに近くなるにつれて、異様な雰囲気に理沙は気がついた。
以前、近くの道路には路上駐車の車もちらほらといたのだが、その路上駐車の車もなく、閑散としている。
まだ活気を取り戻していないだけの事だと思いきや、ジェシーは黙ったまま答えない。
ショッピングモール手前の交差点で、激変した目の前の光景に理沙は小さく声を上げた。
建物は以前のそのままの状態ではあるが、駐車場には規制線が張られている。
2人は車を降りて広い駐車場を見渡し、建物を眺めた。
「2ヶ月前に閉鎖ばかりなのに、もうこんなに荒れ果ててしまったのね」
手入れされていない花壇には雑草が伸び放題。建物の窓ガラスはところどころ割れていて、侵入し略奪された痕跡も見える。
ショッピングモールの1区画を歩き、もうこの場所は昔の繁盛した場所ではないことを確認した。


30年ほど前、サイボーグ手術をした後に、定期健診等で世話になっていた病院へと向かう事にした。
病院までの30分ほどの道中、理沙は道の両側の風景の変化を観察していた。
新型感染症の流行がピークだった頃、病院は最前線の野戦病院のようであったと聞いてはいた。
生命の危険があるからと、近隣の住民たちには、病院近辺は立ち入り禁止命令が出ていたほどである。
その命令も春先には解除されて、普段通りの生活に戻っているものと思いきや、
病院に近づくにつれて、再び異様なほどの静けさに、理沙はまもなく目撃するであろう現実について想像し、
身が引き締まるような思いがした。
「ほら、病棟がかなり減っているでしょ?」
ジェシーに説明されるまでもなく、理沙はすでに病棟の数の変化に気づいていた。
一気に規模縮小しているように見えた。しかも、残っている3つだけの病棟も、かなり荒れ果てているように見えた。
「去年のあの頃には、簡易式の病棟が10棟も増設されて、巨大複合病院みたいになっていたみたい」
陸や空から、この病院には患者が24時間休みなく搬送され、治療が行われていた時期もあったようである。
感染症の勢力が急拡大していた際には、病棟の増設が収容される患者数に追いつかない時期もあったとの事。
しかし、世界中どこでも同様の状況だったようである。
先進国は治療に多少恵まれていた程度の違いである。
「まぁ、ここが落ち着いたのはいい事なのかもしれないけどね」
フェンス越しに場内を見渡してみる。
10棟の簡易病棟が撤去された場所は、広い空き地になっていた。
「残りの3棟も、近いうちに閉鎖されて撤去されるらしいけど。住民は病院がなくなる事で反対しているみたい」
広い空き地を少し行くと、さらに広い空き地があった。
「これが現実ってものよ。でも、このての情報はあまり報道されないみたいね」
空き地の一部は整備されて墓地になっていた。
小高い丘がかなり先に見える。空き地はどこまでも続いているように見えた。
「戦死者の墓地は見に行った事があったな。でも、これだって戦死者の墓地みたいなものだよね」
そしてジェシーは、ある1つの墓碑の前で立ち止まった。
「あたしの高校の時の友人よ」
墓碑に刻まれている、真新しいその名前にジェシーは優しく手を触れた。
彼女はうつむいて、しばらくの間無言で涙ぐんでいた。


20分ほど歩いて小高い丘を越えると、全く異なった光景が広がっていた。
機械が地面を掘り起こし、穴をあけている。その穴の数も数十どころではなく、
差し渡し数百メートルの穴の列が、見渡す限りずっと続いている。
そして穴に棺桶を降ろしていゆく機械が数体。
次々に運ばれてくる棺桶を、極めて機械的に穴の中に収納してゆく。
「全米で墓地が足りなくなって、急遽この土地に受け入れることになったみたいで、大急ぎで整地しているのよ」
棺桶を運送するのは霊柩車ではなく、ゴミ取集者のようなトラックである。
遠くからでは詳細はよく見えないが、トラックが棺桶を穴に降ろす機械に横づけし、ベルトコンベアー式の搬送装置で、
棺桶を穴に降ろす機械に搬送し、穴の中に棺桶が降ろされる。
「葬式どころでないくらいに、みんな心に余裕がなくなって、悲しんでいるどころでなくなるんだよね」
ジェシーのその言葉に返す言葉が見つからず、
機械の淡々とした動きを、理沙はただ眺めているだけだった。


昼食後は、車でさらに郊外へと向かっていった。
途中、ヴェラの住んでいた家の近辺を通ったが、彼女の住んでいた家は元夫が売却してしまったので、
立ち寄る事に全く意味がない。そもそも彼女の住んでいない家を眺めても慰めにも何にもならない。
事業団の最大の協力会社である、STUの工場がその後どうなっただろうかと、立ち寄ってみることにした。
現在の状況については既に知っているのだが、やはり実際に自分の目で見てみたいと思っていた。
工場に近づくにつれて、理沙の予想は確信へと変化してゆく。
工場近辺の商業施設はほとんどが閉鎖されているか、細々と営業をしている程度である。
核融合推進システムの中核部品を作っていた、かつての主力工場にたどり着いたが、
午前中に見たショッピングモールと同様に、こちらも規制線が張られていて、警察官が数名立っていた。
正門のところに取りつけられている、工事予告の看板では、来月から工場の取り壊しが始まると書かれていた。
広大な跡地利用については、何も決まっていないようである。
何も決まらなければ、さきほど見てきた病院の跡地のように、広大な墓地になってしまうのか。
こうなってしまった理由はただ一つ。
宇宙船の製造が、2080年代から宇宙空間での工場にシフトしてしまったからである。
大量のエネルギーを使用して、宇宙船のパーツを運び上げて組み立てるよりも、宇宙空間で製造して組み立てる方が
はるかにエネルギー効率が良いし、無尽蔵の太陽エネルギーと、木星からの核融合エネルギー資源がある。
地上の宇宙船製造工場は、自動増殖Metal-Seedシステムと、それにより建設された巨大自動工場に取って代わり、
木星の核融合資源を苦労して開発したものの、それがかえって地域の雇用を奪う事になってしまった。
何とも皮肉な事である。


「でも、それだけじゃないんだよね」
自宅へと戻る途中、ジェシーは、夫の身の上話を始めた。
工場の閉鎖は、関連する周辺の企業の雇用の縮小へと波及し、ジェシーの夫は今月末で職を失うとの事。
技術革新により恩恵を得た社会。
しかし、恩恵にあずかることなく、生活の糧を失ってしまった人も存在する。
車内に気まずい雰囲気が漂う。
「あ、理沙に苦言を言っているわけじゃないの」
理沙は彼女を慰めるつもりか、笑顔を見せたが、やはり口元がひきつってしまう。
「遠慮しなくていいのよ」
西の空に太陽が沈んでいくのが見える。西の空全体がオレンジ色に染まっている。
まるで、この世の終わりのような夕焼けだった。



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