協力者たち

途中に休みの期間もあったが、合計で4か月間の事業団本部通い。
しかし、目に見える成果を出すことなく、交渉は終了となった。
理沙と実施主任は、会議を終えるにあたり、上層部メンバーに長い間の会議への参加に対して感謝の言葉を述べた。
「今まで、私たちのために貴重な時間を割いて下さった事に対し、深く感謝いたします」
会議テーブル正面の、5人の上層部メンバーもまた、頭を下げた。
「私達も、あなた方の期待に応える事ができず、申し訳ないとは思っています」
しかし、その言葉の通りに申し訳なく思っているのだろうか?
会議室を出て、ラウンジで休憩時間を過ごしながら、理沙は、ああこれで終わったか、
そんな煮え切らない気持ちでいた。
「でも、まだ終わっていない」
理沙は、自分を奮い立たせるようにそう言うと、ソファーから立ち上がった。
「行きますか」
実施主任も立ち上がり、2人は待ち合わせの場所へと向かった。

*     *     *     *

「せっかく木星からやってきたのに、何も成果もなく帰るのも辛いだろうと思いまして」
社員食堂の隅の人気の少ない場所で、先ほどまで会議室で会っていた上層メンバーのひとりと再び会った。
「手土産でも下さるんですか?」
理沙がそう言うと、彼は苦笑いした。
「そんなに期待してもらっても困ります」
コーヒーを3つ注文し、実施主任がテーブルまで持ってくる間、理沙は彼に尋ねた。
「結局のところ、事業団は私たちの案に無関心という事ですよね」
彼は頷くこともなく、ただじっと理沙のことを見つめ、
「全員というわけではない」
実施主任がコーヒーをテーブルの上に置いた。
理沙はシートに座り直し、コーヒーをひとくちだけ口に含んだ。
「それじゃ、あなたは関心があると?」
視線は理沙を見つめたままで、彼もコーヒーを口に含んだ。
そして黙って頷く。
「協力して下さるという事ですか?」
再び彼は黙って頷く。
理沙は手を差し出した。そして彼と固く握手を交わす。
では、というように手を挙げて、彼は席を立ち上がり行ってしまった。コーヒーはまだ半分以上残っている。
「本当にその気があるんですかね?」
彼の後姿を眺めている実施主任、しかしその言葉には疑いの気持ちが満ち溢れている。
「大丈夫よ」
理沙は、コーヒーを飲み干して、よし、と小さく声をあげた。
「会議中、私は彼の事しか見ていなかったのよ」
期待していい人間というものは、よく観察していればわかるもの。
会話している中での、言葉のちょっとした力の入れ具合、タイミング、
そしてその目を見れば分かる。というのが理沙の持論である。
「正直なところ、会議そのものにはあまり期待していなかったのよ」


翌日には、2人は木星に帰還するための便の手配を済ませた。
しかし、出発ぎりぎりまで理沙は今後どうしたいのか判断するつもりでいた。
長官への意思表示についてはまだ決めかねている。
3日後に、再び先日の事業団幹部から連絡があり、外で会う事になった。
会うなり、開口一番に彼は言った。
「帰りの便は、もう予約されたのですか?」
「ええ」
理沙は頷いた。
「いちおう、2週間後に出発する便で」
横にいる実施主任が、理沙のその言い方に少しだけ違和感を覚えたが、すぐに会話は本題に入った。
「全面的に動けないが、私も裏から協力したいと思っています。STUの技術者が協力可能なことは確認済みです」
端末でチェックリストを開き、彼は状況を説明した。
「中核部品である、安定化装置、キャパシタ、確かそんなところだったかな?」
「ええ、それで十分です」
プランは、実施主任が考えたものである。
本来は60基の大出力レーザー発振施設を作る予定であったが、3基のレーザー発振施設を作るプランに縮小した。
「プロトタイプで技術実証試験用だと言えば、それほど目立つこともないかと」
そのあとは手短に、機器類の輸送のための手続きについて3人で会話をした。
会話は10分もかからずに終わった。
その後は食事を注文し雑談となった。
今のところ事業団内部で最大の話題となっている事は、新型感染症収束後、次は何を目指すのかという事である。
「すでに動きはある。無謀な覇権争いでしかないが」
長い、半年近い地球滞在期間中の、事業団幹部との会話は全てあらかじめ仕組まれた出来レースのようなもの、
しょせん、上層メンバーは太陽系外への探査や植民などというものには興味はない。
「太陽/地球L3の太陽エネルギー設備を利用した対抗プランだって、仕事のための仕事のようなものだよ」
「それじゃ、作るつもりはないと」
理沙がそう問いかけると、彼は首を振った。
「いや、作るつもりではある。議会にも根回しはしているし。でも幹部連中はそれ以外を望んでいるだけだよ」
「見返りってやつね」
彼は口に含んでいたワインを危うくむせそうになった。
「あらごめんなさい」
理沙は、彼の口元に垂れているワインをナプキンで拭った。
「ちょっとヘンな事言ってしまいましたね」
いろいろとしがらみがあるのだろう、
何かプロジェクトが動くときには利権が必ず絡むものである。
STU含め、宇宙開発巨大企業は、新型感染症で一気に冷え込んでしまった景気の回復を狙って、
木星資源開発の次の巨大プロジェクトへの参画に向け、既に水面下で動いていた。
「まぁ、そんな私も、だがね」
彼は苦笑いしていた。
「もう大丈夫です。あとは私たちの方で何とかします」
理沙は、彼の口利きに感謝し、彼が端末で先ほどまで開いていたリストを受け取った。
「じゃ、あとはよろしく」
理沙からそのまま話を振られて、実施主任は一瞬苦い表情になったが、やがて小さく頷いた。


その夜、理沙はれいなと美紀に向けてメールを書いた。
[先日の件のことで、しばらく考えを整理していました]
理沙が店にやってきた日からしばらくの間は、昔からの馴染みの客も久しぶりに現れて、店は繁盛していた。
自分が思い入れのある店であるし、そのまま木星に戻らずに事業団を退職するという事も、理沙の脳裏をよぎった。
長官との口約束ではあるものの、3年間の契約が満了したということは理由にはなる。
[久しぶりでお客さんに会えて、楽しい話をして、ああやっぱり自分の居場所はここなんだなという事を実感しました。
社長とも会って、いろいろと話をしました。私もそろそろ落ち着いて店を切り盛りしながら隠居生活でもしようかな、
もうあとは心配することもない、それで、]
そこで理沙はメールを書く手を止めて、先日の出来事を思い出した。
店の外を2人で歩きながら、社長と特に話をすることもなく、でもこれから先の事を気にしているんだろうな、
酔いが回ってフラフラした足取りの社長を見ながら理沙は思っていたのだが、
タクシー待ちしているとき、理沙が足元がふらつき倒れそうになったところで、驚異的な俊敏さで理沙は社長に抱きかかえられた。
[社長の好意に甘える事もちょっとだけ考えました。あなたたちもなんとなく気づいていたかもしれないけど]
しかし、結局のところその夜の出来事以降、理沙と社長の間には特に進展はなかった。
事業団本部での会議が終わった今、あとは進退判断するだけである。
[もし社長に訊かれたら、また連絡しますと伝えてください]

*     *     *     *

翌週には、木星行きの便に乗るための準備は終わり、今日はワシントンでの最後の日となった。
事業団幹部との最後の顔合わせ、先日会ってレーザー発振基地縮小プランの件で相談した幹部もその面子に含まれるが、
そんな相談の事は全く知らぬというように、彼は冷淡な表情だった。
だが、目の前の幹部たちは、皆がそれぞれ心にやましい事を抱えて互いを牽制しているようなもの。
大したことではない。いざとなれば知らぬ存ぜぬとごまかせばいいのだ。
理沙と実施主任は、幹部ひとりひとりと握手をして会議室を後にした。
「これからのご健闘を祈っています」
彼は理沙にそう言った。
そして、理沙は彼のことを見つめ、笑みを浮かべると、
「ありがとうございます。どうかお元気で」
広い中央廊下を歩き、長官のオフィスへと続く交差部分で理沙は立ち止まった。
「ちょっと挨拶をしてきます。先に行っていてください」
実施主任にそう言うと、理沙は長官のオフィスの方へと向かっていった。



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