契約延長
「今まで長い事お世話になりました」
理沙は、今までの半年の期間中、裏方の立場で幹部との調整をとってくれた長官に感謝の言葉を述べた。
そして、
「あと3年、頑張ってみます」
理沙のその言葉に、長官はほっとしたような表情になった。そしてソファーに深々と座りなおす。
そうですか。。。と彼は一言、そしてしばらくの間考えている様子だった。
そんな長官に対して、理沙はただ一方的に自分の思いを述べ続けた。
実は3年前に仕事の依頼を受けた時、自分は乗り気でなかった事。
木更津の店の経営が軌道に乗り、さぁこれで自分の余生は決まったと思っていたところで、面倒な事になったなと思った事。
しかし、長官からの頼みであり、自分が長年育ててきた思い入れのある仕事であるからこそ、引き受けたのだという事。
理沙のひとことひとことに、長官はただ頷いているだけだった。
長々とした理沙の演説が終わると、長官はようやく口を開いた。
「これからは、今までと違った意味で苦労が絶えないと思いますよ」
理沙の表情に、ほんの一点の曇りのようなものが現れたが、
「なんとなくそう思っていました。いろいろな動きがあると聞いています」
地球滞在の半年間、事業団幹部との会議を重ねている間、
休暇期間中に入りジェシーと再会し、木更津の店に戻って楽しい時を過ごしている間も、理沙はいつでも情報収集は怠っていなかった。
単なる長期出張ではないのである。
収集した情報をもとに、理沙は自分なりに考えを深め、これから先に起こるであろう事について予想を立てた。
大変な事になるのは目に見えているのに、役を引き受ける必要があるだろうか。
ここで役を降りた方がいいのかもしれない。
自分が思っている方向に進んでいると確信したのは、木星のレーザー発振システム60基の案が却下され、
太陽/地球L3の太陽光エネルギー施設を活用したレーザー発振システムの対案が、幹部から提示された時だった。
自分たちが持ち込んだ案が却下された事に対して、理沙は不満を抱いてはいなかった。
それどころか、幹部たちは自分たちの事を恐れているのではないか、
自分たちが考えている本心を見抜かれていないだろうかと、理沙は常に警戒していた。
「あまり無茶なことはしないで欲しい。私が言いたいことはそれだけです」
いつもだったら、自分の前では落ち着かない様子の長官だったが、今日は違っていた。
やけに落ち着いているように見えた。
「わかりました」
理沙はソファーから立ち上がり、長官の手を握りしめ握手を交わした。
「では、長官もお元気で」
深く頭を下げると、理沙は長官のオフィスを出た。
廊下を歩きながら、これでよしと理沙は自分自身に言い聞かせた。
思えば長官とはかなり長い付き合いとなった。
木星開発プロジェクトの立ち上がりの頃から同じ釜の飯を食い、同じ時間、同じ場所を過ごしながら、
時には激しく口論し、困難に直面しても必死になってアイディアを出し合い、
45年もかけて木星のプラント群を作り上げてきた。
そして理沙は瀕死の重症を負いながら、生死の淵をさまよい、そんな極限に心細い状態の中でも、
当時リーダーであった彼の事が頭を離れなかった。
単なる仕事の同僚というよりは、それ以上の関係になろうとしていた。
その強い思いは、サイボーグの体で生還し彼と再会した時に爆発した。
ただし、うかつだった。
あの夜の出来事は、今でもまだトラウマになって心の中に残っている。
最高のパートナーに思えた彼の本性は、実は最低の男だった。
そんな本性を見抜けなかった自分を情けなく思うとともに、
その本性を見抜き理沙にそれとなく忠告してくれたヴェラに、理沙は今でも心から感謝していた。
あの夜の出来事をきっかけに、彼女は理沙にとってかけがえのない親友となった。
最低の男と思えた彼だったが、お互いに年齢と仕事経験を重ねる中で、お互いに心が成長し円熟したのか、
もう、あんな思い出は忘れよう、単なるくだらない若気の至りだったのだと、理沙は心の中で決着をつけた。
玄関ロビーに到着すると、実施主任が待っていた。
「待たせたわね」
時計を見ると、実際には30分ほどしか経っていなかったのだが、理沙にとっては非常に長い時間のように思えた。
「行きますか」
2人は、空港に向かうために予約したタクシーの方へと向かっていった。
* * * *
当直の時刻が近くなり、直子は中央制御室へと向かっていた。
最近は後進への引継ぎが着々と進み、当直をする事はほとんどなかったが、
今日は当直が体調不良のため、急遽シフトスケジュールに穴が開きそうになったので、直子が引き受ける事にした。
「たまには仕事しないと、システム操作も忘れてしまいそうだから」
会議室を後にして、移動用シャフトに乗り、
狭い室内でシートに座りぼんやりとしていると、携帯用端末が鳴った。
端末の表示を見ると、直子の管理職専用のID宛に、理沙からのメールが入っていた。
少々緊張しながらメールを開く。
今まで、かなり重要な連絡事項、特に軍と事業団間で共有すべき極秘事項でしかこのIDを使用していないからである。
短いメールの内容に、拍子抜けするとともに直子は少々呆れた。
[やっぱり木星に戻ることに決めました。今夜ワシントンからL1宇宙港へと向かいます]
いかにも姉らしい。
* * * *
この時期には珍しく、土砂降りの雨。
理沙と実施主任は、ラウンジで窓の外に雨が流れ落ちるのをただ黙って眺めていた。
検疫手続きに1日以上も待たされていた。職員の手続きが非常に手際が悪い。
愚痴を言うのもそろそろ疲れてきた。
あと半日で手続き再開というアナウンスが1時間ほど前にあり、若干気持ちが前向きになってきたが、
行きも帰りも検疫手続きが最大の関門になっていた。
「そういえば」
理沙はふと思い出したように、実施主任に言った。
「奥さんと話をして、どうだった?」
幹部の休暇期間に突入し、ほぼ1か月間の休みの期間中、2人は別々に行動していた。
そして再び事業団本部のロビーで再会し、仕事に集中し、成果もなく終わった。
理沙も実施主任も、仕事に集中している間、お互いに気にしている事はあったが、話を切り出すタイミングがなかった。
「いちおう、理解はしてくれました」
彼の家での短い滞在期間中、理沙は彼と奥さんの楽しそうに会話する姿を見ていたし、
家族そろって皆で食事をしている間も、2人の幸せそうな様子を見て、理沙は安心していた。
なので、彼の短いその一言に、かえって衝撃を受けた。
「また、3年後だね、と」
そして再び沈黙。外の雨音がさらに大きくなった。
「故郷に戻って、どうでしたか?」
今度は、実施主任の方から話しかけてきた。
真っ先に、初老の社長の顔が理沙の脳裏に浮かんだ。
事業団長官には、あと3年頑張ると力強く言ったものの、あの夜の出来事を思い出すと、それで本当に良かったのか不安になる。
[お互いにこの先どうなるかわからないが、もし生きていたら。。。。]
彼から貰った手紙が、トランクの中に入っている。
「昔の客に会えて、良かったよ」
理沙が言ったその時、手続き再会のアナウンスが入った。
2人は立ち上がった。
自分にも彼にも、後ろめたいものがあるということが理沙にはわかった。お互い様だ。
* * * *
「1日待たされて、ようやくL1に到着したようです」
直子は、理沙から受け取った木星へ戻るという知らせを大佐に伝えた。
地球からの出国に際して、検疫手続きが以前よりも各段に面倒なことになっていることは知っているが、
新型感染症がほぼ収束したのに、なぜいまだに手続きが面倒なのかと2人とも不思議に思った。
「でも、最大の懸念事項は解消されたわけだ」
直子は、もしかしたら契約更新せずに事業団を退職してしまうのではないか、との最悪の事態も想定していた。
もっとも、最悪な事態になるのは事業団側で、軍側には特に大きな影響はないが。
「さて、戻ってくるまでの間に、これからの事について会話しましょうか」
直子は大佐に、理沙がL1宇宙港から船で出発したところで理沙含め会話すべきことを列挙した。
60基のレーザー発振基地のプランは事業団に却下されたが、スタディと称して3基のレーザー発振基地を作る事。
並行して自給自足体制の構築として、ガニメデとカリストからの水資源の確保。
「もしかしたら、かなりのスピード感で行わないといけないかもしれません」
真の目的については、直子と大佐にもまだわかっていない。
何としても理沙から聞きださなくては。
しかし、政府の動向もまた気になる。
どんな手段に出るのかもまだ見当がつかなかった。