真意を知る
「今は非常事態です」
直子は、頑として自分の意志を曲げなかった。
「地球からの要請については、確かに受け入れがたいところはありますが」
「でも、命令とあれば従う。という事ね」
直子が言う前に、理沙は先回りして言った。
「さすが元軍人」
直子は笑っていた。
今の状況は、理沙と行政官、そして大佐と直子の間で、意見は真っ二つに分かれているといったところか。
「そういう事ではないの」
さらに何か言い返したい直子を、理沙は淡々とした口調で押しとどめた。
「地球国家のエネルギー需要を支えている、自負ってものよ」
思えば50年も前の事。
木星資源開発に構想の段階から参画し、当時の上司から「エンデヴァー」への搭乗を指示され、
理不尽さを感じながらも、完全アウェーの状況で12人の乗組員の一人となり、
地球への帰還後は、事業化のためのプラン策定と、政府からの予算獲得のために奔走したこともあった。
その後もプロジェクト継続が危ぶまれる事は何度あったことか。
自負ねぇ・・・・と、直子が呟くのが聞こえた。
「とりあえず、ここでは一旦議論は中断して、直近の課題事項について話し合いましょう」
行政官からのその言葉で、理沙は苛立つ気持ちを一旦は抑えた。
長々と議論しても、落としどころはないと行政官は判断したのだろう。現実的な進め方だ。
その後、管理職の多数決でレーザー発振基地のプロトタイプの建設は保留となった。
事態が好転すればまた再開させるという条件付きである。
地球政府からの要請である、決済口座の利用制限の間についてはどんな目的があるのか、
意味不明なところはあるものの一旦は受け入れ、
衛星カリスト、ガニメデからの水資源調達、木星大気からの有機物調達については、継続案件とした。
「では、今日の会議はここまで」
行政官のいつもの締めくくりの言葉で、今日も管理職会議は終わる。
理沙はいつものように、作業プラットフォームCとの連絡通路まで行政官を見送った。
「一触即発といったところだったかな?」
行政官は笑っていた。
「あなたと中佐が議論になると、いつもひやひやさせられる」
「そうでもないですよ」
お互いに真剣に仕事をしているだけ、軍と事業団という立場の違いが議論をヒートアップさせてしまうといったところか。
理沙がそう説明すると、行政官は再び笑顔になり、そのまま連絡通路へと向かっていった。
軽く手を振る理沙。
別れ際、行政官の表情がなんとなくぎこちないように見えたのは、気のせいだろうか。
* * * *
しかし、理沙のその予想は正しかった。
「行政官が入院しました」
レーザー発振基地建設の一時中断についての内部調整会中に、副行政官からの一報が入ってきた。
会議を早めに切りあげると、理沙は作業プラットフォームCの医療センターへと向かった。
行政官の入院している病棟の個室に入る。
彼はベッドに横になっていたが、眠ってはいなかった。
「大丈夫ですか?」
心配するほどの事でもないと理沙に言うと、行政官はベッドの上でゆっくりと上体を起こした。
「心配をかけてしまって申し訳ない」
行政官は小さく頭を下げた。
「ちょっとした過労だよ、2日ほど休めばまた元に戻ると言われている」
「副行政官への職務代行手続きは、問題なく完了していますから、お気になさらずに」
その他に、理沙はいくつかの事務的な連絡事項を伝えた。
「そんなところでしょうか。あとは管理職3人でなんとかします。それと、気になっていることが」
理沙は、見つめる行政官に単刀直入に、
「もしかして、持病持ちですか?
行政官は頷いた。
やっぱりそうかと理沙は思った。
「若干の消化器疾患が。もうとっくの昔に完治したものだと思っていたんだが」
再びベッドに横になる行政官。
「一旦はご自分の体のことだけ気にしてください。では、私はこれで」
再び仕事に戻ろうと、ドアに向かって行こうとしたところで、理沙は呼び止められた。
「どうかされましたか?」
振り返ると、行政官は再びベッドの上で起き上がろうとしていた。
「あなたにお願いがあるのだが」
行政官のその言葉に、理沙は何らかの事務的な連絡程度のことを想像していた。
「私のあとを継いでほしい」
「はぁ?」
彼は理沙の方に向きを変え、足をベッドから降ろした。
「まじめに言っているのだが」
しかし、唐突に言われても。
無責任な発言は困ると理沙は行政官をたしなめた。
「この非常に重要な時期に、行政官の立場を降りるというのは、混乱の原因になるだけです」
「そうかな?」
まぁ、聞き給えと、行政官は理沙を近くに置いてあるイスに座らせると、
「もし、大統領からの願いだと言われたらどうする?と言っても今は亡き前大統領からの願いだが」
忘れかけていたその人物の名前を出されて、理沙はひさびさに気持ちが引き締まるのを感じた。
「どういう事ですか?」
「エンデヴァー」の最初の船長であり、理沙も含め「エンデヴァー」の最初の乗組員の中で中心人物であり、
今でも乗組員OB会の中ではレジェンドと呼ばれている彼の名前が、こんなところで唐突に出てくるとは。
「私も軍人の端くれ、原子力潜水艦の乗組員だった頃、私は彼の部下だった」
元大統領は、士官学校を首席で卒業し、まだ若かったものの経験を積んで原子力潜水艦の艦長となり、
しかし、その当時は、数十年後に合衆国大統領になるとは、部下である彼は想像すらしていなかったとの事。
「だが、彼が船を降りる事になり、ではこれからどちらへ?と尋ねたところ、これからは宇宙だと言われてね。
突拍子もない事を言うものだと思ったが、結果としては大成功だったというわけだ。そんな彼が別れ際に訓示で述べたのが」
まるでいま目の前での出来事のように、行政官はその当時の様子を語った。
「たしか、[逆境に打ち勝つ]といった内容だったかな。伝説の士官学校卒業生の話。つまり、あなたの事だよ」
その時、一瞬ではあるが行政官の姿が、元大統領の姿に重なった。
自分の心の中では伝説の人。
明らかに不利な状況の中、周りは四面楚歌状態で誰も助けてくれなくても、
数少ない協力者を励まし、常に冷静であることを忘れずに、ゴールだけをしっかりと見つめる。
あなたは自分の中での手本のような存在だと。
そんな昔を思い出させるような演説が10分ほど続いた。
「まぁ、あなた自身にその認識はなくても、あなたは思いと行動のすべてが私の手本だ」
「ちょっと質問が」
自分を持ち上げてくるような言い方に、理沙は違和感を覚えていた。
「では、今まで私の発言にどちらかと言えば否定的だったのは?」
赴任してから最近に至るまで、特にレーザー発振基地提案のために地球へ行くという事について、行政官は一番の反対者だった。
提案内容の事細かい部分についてまで、まるで上げ足をとるように指摘をしてくる。
直子と大佐の2人の軍側の立場にまで同調して、対して自分は完全に追い込まれていると、理沙は最近まで感じていた。
「否定されるほど、闘志が湧いてくるのがあなたの性格だと思っていたのでね」
いつになく穏やかな彼のその表情に、理沙は心の中では、まだ信じられないという気持ちと、
ああ、やっぱりこの人の真意はこうだったのか、といった気持ちが交差していた。
「わかりました」
理沙はふと時計を見て、かれこれ30分も話し込んでしまったと思ったが、
彼もまた時計を気にして、話はそこまでにすることにしたのか、再び脚をベッドの中に入れ横になろうとしていた。
「では、おやすみなさい。また戻ってくることを願っています」
ドアのところで、再び理沙は振り返った。
行政官はまだ理沙の方を見ていた。
「さっきの件、考えておいて欲しい」
小さく頷いただけで、理沙は病室を出た。
さきほどの行政官からの言葉がその後も気になってしまい、通路の途中でこれから見舞いに行く副行政官とすれ違ったが、
理沙は全く気がつかなかった。
* * * *
「行政官の体調は、どうだった?」
船に戻り、指令区画の会議室へ向かおうとしたところで、直子に呼び止められた。
彼女はやはり感が鋭い。
「だいぶ良くなったみたい」
理沙はできるだけその話には深くは触れずに、それとなく明日の会議の決定事項へと話題をそらしていった。
「継続案件の件を、もう少し精査してみたいと思って。行政官に意見を求めてみました」
あらそう。。。それでどうだったのと、直子は再度理沙に尋ねた。
淡々と、オフレコながらも行政官から伝えられたものとして、理沙は会話した内容を伝えた。
「それじゃ、また後で」
直子はそう言うと、輸送用シャフト乗り場の方へと向かっていった。