生き残り別プラン
これでまた現場は辛くなるのか、と思いつつ、理沙は連絡船の出発を見守った。
今回の出発で現場の要員は5000人も減ってしまう。
残りは1万人弱。
しかしそれでも多いのでは?との地球政府からの声も上がっていたが。
いったいどこまで俺たちの事を締め付けるんだ。。。。との声がどこからともなく聞こえたような気がする。
あたりを見渡すと、窓の外を眺めている作業員が数名。
視線を向けている理沙に気づいたのか、そのうちの1人が、おそらく声を上げたであろうもう1人のことをたしなめていた。
心の中の声を口にした、そんな彼らに対して、無言の賛同の声が聞こえてくるような気がしたので、
振り向くと、旅客ロビーには他にも数十名ほどの見送りの者がいた。
理沙は堂々と、彼らの真ん中を通り抜けて、宇宙船との連絡通路の方へと向かっていった。
しかし、それで事は終わりにはならなかった。
管理職会議の場で、現場作業主任から要員配置の見直しについての説明を受けていたその時、
ニュース映像を常時映し出しているディスプレイに、合衆国大統領からの緊急メッセージの表示が現れた。
会議は中断となり、皆が画面を見ているとホワイトハウスのいつもと同じような会見風景の映像が流れた。
「今回、新たな大統領令を発令するに至りました」
日常的に発表されている、新型感染症に関連するものだろうと理沙はふと思った。しかし、
「太陽系内に拡大を続けている居住地に関するものです。
月や火星、そして木星には現在合計で10万人近い居住者が生活しており、
地球政府とはまた別の、新たな社会生活を確立しつつあります。
特に、木星に関して言えば、長年の多額の投資と技術力の投入により、今では地球国家の核融合エネルギーのほとんどを
賄うほどのエネルギー供給拠点となりました。今回の新型感染症の最中でも木星のエネルギー資源により、
国家システムが衰退することなく、持続することが出来たといっても過言ではありません」
その裏では、現場の要員削減が行われて、残された者たちが毎日疲弊しているというのに。
形だけであっても、いちおう公式に感謝の言葉を述べる等、何らかの形で現場に報いて欲しいものだと理沙は思った。
大統領のそのあとの言葉で理沙のその思いは打ち砕かれた。
「私たちは、国家のこの存亡の危機にあるこの時、木星への優秀な技術者への協力を要請しました。
困難な時にあって、国家全体が一致して協力するのは至極当然のことです。
生産現場は自動化されており、要員の助けはそれほど必要としないはずです。何度も交渉の末ようやく彼らは、
政府の要請に対して前向きな回答をしました。本日、5000人ほどの要員がようやく地球に向けて出発するとの事です」
会議室の雰囲気が、徐々に重苦しくなってくる。
何かと挑発的な言い回しは、今までに何度も大統領から聞いてきたが、
今回の対応が当然の事であり、5000人もの要員拠出も、彼らにとってはようやくの事としか受け止められていない。
この退屈な会見、どうします?
理沙の事を見つめる大佐の目つきには、そんな事を言いたいようにも見えた。
「引き続き、生産現場に対してはより一層の省力化を要請し、地球の危機的な状況の回復のために協力を求めていきたいと考えています。
さらに、木星の管理体制に関しても、今後は改善を行っていきたいと考えています。例えば」
大統領の次の言葉に、会議室の管理職達は注目した。
「木星を、地球政府の直轄地とすることも案として考えています」
誰かからのため息が聞こえた。
* * * *
「直談判?」
理沙は頷いた。
「ええ、そうするしかないと思っていますが」
いまだに病気療養中である行政官のことを気にして、理沙は副行政官に相談する事にした。
「あそこまで言われたら、これは単なる嫌がらせとしか思えません」
昨日の大統領声明後の管理職会議の場では、結局のところ意見はまとまらなかった。
現時点、木星の生産現場の最高責任者であるはずの副行政官もまた、的確な意見を出すに至らず、理沙はやきもきしていた。
その心境なのは直子も大佐も同じだった。
「では、あなたはどうしたいのですか?」
昨日の会議の場の時と同じように、理沙は副行政官に再び同じ質問をぶつけた。
腕組みして、彼はしばらく考えていた。
「まだ、しばらく状況を見たいと思います」
彼のその返答に、理沙の頭の中には思いつく限りの様々な苦言が駆け巡った。
しかし、気持ちを鎮めて理沙は言った。
「わかりました」
まぁまぁ、と理沙は手で気持ちを制するような身振りをした。
「では、声明への感想という事で、一筆書いてみようと思いますが」
感想という事であればいいでしょう、ということで副行政官はいちおう了解してくれた。
自室で考えを整理し、理沙は大統領に向けたメールを書き始めた。
[先日の声明に関して、私が自分なりに抱いた意見を申し上げたいと思っております。
しかしこれは私個人の意見ではなく、現場としての意見であります。
私たちは地球国家を支える存在であるという自負を抱いているとともに、自分たちの気持ちのために働いています。
私たちはこの場所に愛着を抱きつつあり、この場を生まれ育った場所のようにも思いつつあります]
先日、療養中の行政官の見舞いに行ったところで、理沙は偶然にも新しい命が誕生しようという場面に出くわした事があった。
既に現場では、2080年代前半には最初の命が誕生し、今では現場生まれの世代は数十人にもなろうとしていた。
数としては微々たるものだが、地球での生活を知らない人間が着実に育ちつつあった。
[声明でおっしゃるように、生産工程は自動化され、人間の手が必要となる工程はほとんどありません。
私は2050年代からこの木星での事業に参画していますが、危険の多い作業現場では自動化は不可欠であり、
システムの開発に全力をあげてきました。
しかし、私はその事がゴールであると考えたことはありません。
ゴールはもっと違ったところにあります。最初の構想の段階から今まで、私はその事を忘れたことはありません]
その目標があるからこそ、時にはプロジェクトの継続すら不可能と思えるほどの問題にぶつかっても、
常に前向きな気持ちのもとで少しづつでも前進しようとしたのではないか。
ストレステストの際に、突然に熱崩壊した原子力ラムジェット機の事は、今でも鮮明に覚えている。
際限なく要求される予算の事を合衆国議会で槍玉にあげられ、四面楚歌の状態であったとき、何度心が折れそうになった事か。
[木星を、太陽系のエネルギー供給の拠点とする先には、太陽系内の物流と人々の交流の拠点とする目標があります。
人々が集まり、木星を中心にして栄え、ハブ空港のように太陽系内の物流の中心拠点となり、
さらにその先へと、太陽系の外の恒星間空間への足掛かりとなる可能性もあります。
地球がすべてという考えではなく、月や火星、そして木星、土星の拠点も同様です。
地球中心という固定観念はもうやめて、もっと広い視野で物事を考えなくてはいけない時期にさしかかっていると思います]
そして最後に、あまり現場に無駄な圧力をかけないようにと、皮肉を込めた意見を述べた。
結果としてそれは火に油を注ぐ結果となったのだが。
大統領からの返信は、思ったよりも早く、2日後には理沙の元に届いた。
しかも、おまけに管理職達への宛先つきでの返信である。
[貴重なご意見ありがとうございます。私たちは常に皆さんの国家を思う気持ちに感謝し、毎日を過ごしています]
その堅苦しい文言に、理沙は皮肉が込められていると思うとともに、悪い知らせだなとの予感を抱いた。
[木星の現場の皆様が思うそれ以上に、私は国家を思い献身的に働いているつもりです。
先日の声明には自己都合的な考えは全くありません。瀕死の状態の国家を思えばこそ、自然と出た考えです。
理想論的な考えも大事ではありますが、日々の生活のことで常に精一杯な有権者の意見こそ大事です]
そのあとには、理沙の考え対する否定的な意見が延々と続いた。
* * * *
その日の管理職会議は、淡々とはいかないだろうと理沙は思っていたが、
その予想した通りに紛糾した。
まずは直子と大佐からは理沙の独断での行動に対する苦言が出た。
「これ以上、現場を混乱させるのはやめて下さい」
直子の強硬な発言はしばらく続いた。
理沙は動じることなく会議テーブルで向かい合い、彼女の言葉を受け止める。
実は、大統領からの返信のあと、国防長官からの苦言の言葉も追加で理沙の元に届いていた。
理沙だけでなく、管理職の一人である直子の責任も追及されることになるだろう。
国防長官からの文面からはそんな事も読み取ることができた。
直子も大佐も気が気ではない。
勘の鋭い軍人であれば、レーザー発振基地の建設の真の目的を理解しているかもしれないだろう。
「そろそろ皆の前で話した方がいいのではないかと思います。レーザー発振基地の事を」
大佐に促され、理沙は立ち上がり、会議室の管理職たちを見渡した。
不思議な事に、厳しい言動で理沙を追い詰めようとしているのは直子と大佐だけで、他の管理職メンバーの表情には、
2人のような厳しさは見られない。
それどころか、皆の表情には理沙に対する強い期待が込められているようにも見える。
作業プラットフォームAの管理者が、画面越しに挙手をした。
「私には、レーザー発振基地にどのような思いが込められているのか、わかっています」