大統領令の発動

何もしないのは、考えがないというわけではないという事は、やがて行動となった時に明らかになった。
合衆国大統領からの声明は、忘れかけていたころに突然に発表された。
その日も管理職会議の場で、実施主任からのレーザー発振基地の建設が3割方進捗しているとの報告に対して、
理沙はすべて順調であると満足そうにコメントした。
会議のあと彼女は、居住区画内の避難用住宅の建設状況を確認に行ったのだが、
携帯用端末からアラート音が突然に鳴り、画面表示を見ると、重要メッセージを示すフラグとともに、
[合衆国大統領、21時より特別会見]
その表示を見て、理沙は来るべき時がやってきたとすぐに直感した。

*     *     *     *

「私は、いまこの太陽系は、かつてないほどの危機的状態にあると考えています。
太陽系の開発プロジェクト、特に木星の核融合エネルギー資源開発が始まってから40年ほどの日々が経ちますが、
人類共同で開発し、共同で利益を得るという当初の目的が、大きく狂い始めています。
平和裏に資源を共同開発し、地球のエネルギー資源の危機的状況を解消しようという2060年代での国家間共同声明も、
今では形骸化し、一部の利己的な考え方を持ったグループにより独占され、
彼らは自分たちの目的達成のために、地球人類を危機的状況に陥れようとしています。
これは絶対にあってはならない事で、許される事ではありません。
合衆国政府、および資源共同開発に参画している各国は、この状況を非常に憂慮し、
本来のあるべき状態に戻すにはどうしたらよいのか、協議を重ねてきました。
今日この場で、その協議の結果について皆様に発表します。
この声明と同じ内容の声明が、本日中に世界各国で同様に発表されるものと思います。
太陽系内には、現在のところ4つの地球外行政区があります。
月、L4スペースコロニー、火星、そして木星。
人口も順調に増加し、社会活動を独立して維持してゆくことが可能であるとの判断の元、各々に自治を許可しています。
それは地球政府と協調し、太陽系内を継続的に、持続可能な開発をする事を目的としています。
独立して社会活動を維持できるまでに成長するには、ある程度の時間がかかりました。
月に最初の入植が始まった2040年代、ほぼ同時期に入植が始まった火星。
プレハブ住宅で、生活に必要な水、空気、食料調達でさえおぼつかない居住地が、ようやく自己完結型の生活を確立したのが
2060年代。そのころには人口は数千人の規模に増加していました。
木星は月と火星から少々遅れましたが、2070年代には作業プラットフォームが稼働を開始して、
地球からの水と食料の供給は今でも続いていますが、2080年代に本稼働した核融合燃料生産プラントのおかげで、
形としては収支のバランスがとれた状態になりました。
太陽系は、各々の居住地が得意な分野を発揮し、お互いに協力し発展すべきものと考えています。
そのあるべき目標を、一部の居住地が乱そうとしています。
今回の声明の趣旨について述べます。
太陽系内の居住地に対して、管理をすべて地球国家のもとに戻します。
太陽系内の秩序があるべき姿に整えられるまでの間、各居住地の自治は一旦廃止します。
これは一時的なものです。
当声明に関連する、具体的な措置については今後追って発表いたします。
地球および太陽系内の居住地が、これからも共に協力しながら発展することを願っています」

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具体的な措置についての個別の説明が、引き続き行われた。
政府関係者からの発表では、地球国家による直接の管理へ一時的に移行したことにより、
まずは決済用口座が一時的に凍結された。
生活必需品である、食料と水の確保はすべて地球国家によりコントロールされることになった。
生産した核融合燃料を地球まで輸送しても、木星への戻りの便に食料と水を自由にコンテナに乗せる事ができなくなり、
生産現場職員からは大反対が沸き起こった。
しかしこうなる事はあらかじめ分かっていた事であり、
現場での大反対も単なるデモンストレーションである。裏では理沙が代替プランを粛々と進めていた。
大統領の声明翌日には理沙は反論を行い、生命線である銀行口座の凍結は、お互いに何の利益にもならず、
かえって地球国家の首を締めるだけだと述べた。
「あえて、弱いところを見せてやるのよ」
理沙は、かつて士官学校時代に、海兵隊落ちの女性兵士と圧倒的に不利な状況で闘った時の経験を直子に語った。
応戦するだけで精一杯で、いつ打ちのめされてもおかしくない状況に自分を追い込み、
最後のとどめというところで、スキをついて反撃し、急所を一気に狙う。
「でも、一度しか通用しなかったけどね」
そう言うと理沙は、呆れている表情の直子の尻目に、再び会議室へと戻って行った。


大統領からの声明に対する、反論のための猶予期間は2週間。
理沙はさっそく大統領声明の翌日には、反論と口座凍結の撤回を要請したが、
大統領からは反応がないまま猶予期間が終わろうとしていた。
2週間の間に、事業団長官から理沙に対してコメントが何度も入った。
「今までの行動は大目に見てきたが」
その声の調子で、理沙は彼が単に外部から操られているだけだと思った。
「正直に言うが、もう意地を張るのはやめて欲しい。お互いに何の利益にもならない」
大統領から圧力をかけられているだけだった。
理沙は彼とは長い付き合いで、深い仲になってしまった経験もあるから、彼の心の動きは手に取るようによく分かっている。
彼が本心でない時は、その声の調子、そして瞼が微妙にぴくぴくと痙攣したように動く癖がある。
「わかりました、長官」
そして、あまり思い出したくない、彼から裏切られたあの夜と同じように、威圧的な目つきで見つめた。
「でも、こちらも負けるつもりはありませんから」


猶予期間である2週間が終わった。
理沙からの口座凍結の撤回要請に対する、合衆国大統領からのコメントは結局のところなかった。
口座が凍結されたことを理由に、核融合燃料の輸送を停止すれば即戦争状態に突入することになる事はわかっているので、
核融合燃料の生産と輸送は今まで通りに進めた。
しかし、生産現場は納得していない。
「理不尽な状況に置かれていることは、よくわかっています」
生産現場のリーダー達から詰め寄られて、かなり過激な意見も出ている中、理沙は冷静に彼らに語りかけた。
「なので、私たちが生き残るための準備を進めています。彼らに勝てるかどうかわかりませんが、負ける事はないと思います」
そして万が一の事態に備えた避難設備の準備状況、水と食料確保の状況について彼らに説明したあと、
理沙は一言述べた。
「とにかく今まで通りに生産活動に集中してください。いざという時には私が全面に立ち指揮します」

*     *     *     *

理沙は、宇宙船および6つの作業プラットフォームの住民に対して訓示を述べた。
「いま私たちは、圧倒的に不利な状況に置かれ、追い込まれています。
全住民約1万人が、水と食料の供給を断たれて、飢え死にしそうなときに、核融合燃料生産を今まで通りに続けることは、
全く納得のいかない事です。
ですが、もしここで生産を止めるという事は、地球国家には反逆と受け止められ、
反逆は地球国家に対して、戦争への口実を与えるものとなります。
幸いにも、私達にはまだ気持ちに余裕があります。
地球から供給が断たれても、水と食料は確保されています。
衛星ガニメデとカリストからは氷を採取することが可能となっています。
食料生産の原料となる有機化合物も、原料となる小惑星の確保が完了しています。
ですから、今まで通りに皆さんは生産活動に集中し、タンカーとコンテナ船を地球に向けて送り出してください。
私たちが今まで通りに生産活動を続けることが、彼ら地球国家に対するアドバンテージとなり、
彼らの生命線を握り続ける事になるのです。
そしてもし万が一、彼らと闘う事になったそのときには、皆で協力して闘いましょう。
私が全面に立ち指揮します。
私たちは、自らが生きる権利のために闘います。ここ木星は私たちが生活の拠点とする場所だからです」


理沙の身を案じる声は、事業団長官からだけではなかった。
私信メールに目を通すのは、寝る前のほんの30分ほどの時間になってしまったが、
れいなと美紀からのメールをその中に見つけると、嬉しさと同時に胸を締め付けられるような思いがした。
返信したのは、2週間の猶予期間の最後の日。
書きたいことは山ほどあった。
[れいなと美紀にはもちろんですが、お客さん一人一人にまた会いたいです。皆さんによろしく]
そこまで書くのがやっとだった。
しばらくの間、れいなと美紀、そして親しかった客一人一人の表情を思う浮かべていたが、
それ以上筆は進まず、やむなくメールを送信した。



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